#16
頭の奥で高く澄んだ音を聴いたような気がして、三蔵はゆっくりと瞼を持ち上げた。 その時また、チリン…と一音。庭へ続く窓辺へ視線を移すと、軒下の風鈴が風に揺れていた。 そっと、自分の腕の中で眠る愛しい者を起こさないように、身体をずらして寝台を下りた。 起きるにはまだ早い時刻。そして今日は、昨夜、悟空に言いそびれた久しぶりの休日。 「休みの日に、早く目が覚めるとはな」 幾つのガキだ。と、自分自身に苦笑が漏れる。 悟空は未だ、夢の世界。 目の前の庭は、春ほどの勢いはないけれど、夏の花がその蕾を大きくしている。 ふと、その中に笑顔の悟空が見えたような気がした。 朝顔、向日葵、山百合… 今では、悟空のほうが自分よりもずっと、草花に詳しくなった。 (ほら三蔵、綺麗だろ) 今日も目覚めれば、庭いじりに精を出すのだろうか。 自分が休みでも? そんな事を考えてしまったら、それを思わず確かめたくなって… 「湧いてんな…」 苦笑いを一つして、けれど、 「悟空…」 安らかな寝顔をさらす悟空の耳元。 「…悟空、起きろ」 吐息のような囁きを落として、 「起きろよ…悟空」 金の花が開くのを、ワクワクしながら待っている自分がおかしくなって、思わず口の端を上げた。
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#17
庭へ続く寝室の軒下に、四つ並んだ鉢植えは色とりどりの朝顔。 三蔵は煙草を咥えながら、何とはなしにそれを眺めていた。 「三蔵?」 背後の声に振り返ると、そこに洗濯籠を抱えた悟空。 「どうかしたのか?」 「…いや」 三蔵の返事を聞きながら悟空はその横を寝室へ入り、洗濯籠を置くと替わりに灰皿を持って出てきた。 それに煙草を押し付けて、三蔵はまた鉢植えに目を向ける。 「朝顔…綺麗だよな、色がいっぱいで」 「そうだな…」 呟く三蔵の横で、悟空は密かに笑みを零した。 きっと、三蔵は気付いてない。 だってそれは、俺しか見られない顔。
「三蔵」 「何だ」 「今日の夕飯、なんにしようか?」 するりと三蔵の腕に自分のそれ絡ませながら、彼を見上げる。 「何でもいい」 「またぁ、三蔵そればっかだぞ」 ぷぅっと頬を膨らませる姿は、まったく歳不相応。なおも食い下がって、「なあなあ」を繰り返す悟空の腕を無造作に解きながら、 「っせえな…―――何でもいいっつてんだろ!」 そのまま部屋へと戻りかけて、それは悟空だけに聞こえる声で、 「何でもいいんだよ…お前の作ったモンなら」 そんな言葉を残して早足に部屋を出た。 その背をポカンと見送って悟空は、それからくふんと笑いを漏らした。
それは三蔵本人でさえ気付いていない変化。 自分の言葉に笑ってくれるトコ、さりげなく自分に甘えてくるトコ。 「さっきも、朝顔見て笑ってたんだぞ」 執務室へ閉じこもってしまったであろう恋人に向かって呟き、 「ありがとな」 三蔵の小さな変化を手伝ってくれた朝顔に、にこりと笑って彼のための夕食を準備するために部屋を出た。 軒下の朝顔とその上に吊られた風鈴が、主の居なくなった部屋で風に揺れていた。
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#18
真夜中に腕の中でモゾモゾと動くモノに、三蔵は片目を薄く開いた。 「さんぞう…」 吐息のような呼びかけに、目線だけで応える。 「外、行こう」 そう言って寝台から降りる悟空に手を引かれ、三蔵も夜の庭へと降り立ち東屋へ足を向ける。その片隅に置かれた鉢植えは、まさに満開の時を迎えようとしていた。 「月下美人か」 「うん…」 真白の花弁をゆっくりと開いていく様に、二人はじっと見入っていた。 「初めてこの花を見たとき、三蔵みたいだって思ったんだ」 花から目を逸らさず、うっとりと呟く悟空に、 「…お前の方が、似合ってるだろ」 三蔵は素っ気無く答える。 そんなやり取りに悟空はくすりと笑って、 「二人して同じ事考えてたんだ」 ちょっと嬉しいな。と、囁いた。
真夏の風が甘い香りを振りまいて、それに誘われるように三蔵は、悟空を背後から抱きしめた。 「三蔵?どうし――…ん」 耳朶を甘く噛まれて、湿った吐息を零す悟空の身体を、三蔵の手が滑っていく。夜着の袷から忍んできた手に、息が上がっていく。 「だ、めだよ…ここ、月…んっ、明る…い」 「見せ付けてやれ…お前が、誰のものか」 口唇がゆっくりと首筋を辿っていく。 「さん…ぞ、っん…ぁ、だめ…部屋に」 「いいだろ」 背後から器用に腰帯を解いた三蔵の手を、悟空の震える手が止める。 「違…う、その…するのが、イヤじゃない…んだ」 そこで漸く三蔵の手が止まった。 振り返った悟空は、夜着を乱したまま三蔵の首に腕を絡めた。 「俺が…三蔵を、誰にも見せたくないんだ」 花の香りを纏って笑うその顔が、見たこともないほど扇情的で、三蔵が口の端を上げる。 「誘い方が上手くなったじゃねぇか」 そのまま悟空を抱き上げ踵を返す三蔵も、抱きついたままクスクスと笑いを漏らす悟空も、同じ香りを身に纏って月に背を向ける。 名残を惜しむように風がまた、花弁をゆらりと揺らした。
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#19
「で、この有様か…」 「ごめん…」 ずぶ濡れのまま力無く項垂れる悟空と、その腕に抱かれる二匹の子犬。その二匹が悟空と一緒になって耳を垂れるから、結局三蔵は苦虫を噛み潰してため息一つ。 「そいつら連れて、風呂入って来い」 と、疲れたように告げた。 「うん…」 すっかりしおれた悟空は、肩を落としたまま子犬と共に風呂へ向かい。悲惨なリビングを一望して、再びため息を吐き三蔵はソファへその身を投げ出した。 (萩の垣根の下で震えてたんだ、この嵐だし、可哀想で…だから) 外ではその嵐がいよいよ激しさを増して、豪雨が窓ガラスを叩いていた。先日の月見で、三蔵たちの目を楽しませていた萩の花も、これですかっり花を落としてしまうことだろう。 秋の嵐は、人間にも自然にも多大な影響をもたらす。 「ついでに騒ぎの種まで蒔いてくれたか」 風呂から上がってきた悟空の言動を思って、三蔵は三度深いため息を吐いた。
「三蔵…」 風呂から出てきた悟空は、タオルにくるんだ子犬をやはり胸に抱え、 「あの…こいつら」 躊躇いがちに開いた口を、三蔵の言葉が制した。 「命の世話をするのは生易しいモンじゃねえぞ、お前にその覚悟があるのか」 けして厳しい口調ではなかったけれど、悟空の瞳を真っ直ぐ見据えた紫暗に、 「俺…俺、がんばる。ちゃんと面倒見るよ」 子犬を抱く腕に力が入るのが分かった。三蔵は口の端をついと上げ、 「好きにしろ」 懐から取り出した愛煙を咥えた。 「うん!ほら、お前らもお礼すんだぞ」 元気の戻った悟空の声に合わせるように、二匹が一声鳴いた。 「な、三蔵、こいつら可愛いだろ」 「あ?」 悟空が子犬を三蔵の目の前に持ってきたその瞬間
―――ペロン
「なっ!」 「ああっ!」 一匹の子犬が三蔵の鼻先をぺろりと一なめした。 「だめ!三蔵にちゅーしていいのは、俺だけなんだぞ」 「―――っ」 あまりの出来事に、三蔵はがっくりと肩を落として吸っていた煙草をもみ消し立ち上がった。 「あ、三蔵」 「何だ」
―――ちゅ
「…へへ」 悟空は子犬を抱えたまま、踵を上げて三蔵の鼻先にキスを送ると、悪戯っぽく笑った。 「……風呂」 「うん!」 数分前の悟空と同じ姿を晒すとは思いもよらず、三蔵は本日四度目のため息を吐きつつ浴室へ向かった。
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#20
常の帰宅より少し早い時間。 夕暮れの秋風が仄かに甘い香りを運んでくる。誘われるように三蔵は、自宅の玄関を通らずに庭へ回った。
先ほどよりもその存在を、はっきりと示すように芳香を振りまく金木犀。その木元には、拾った頃よりもいくばくか大きくなった金の子犬。重なったのは現在(いま)よりも、ずっと幼く小さな背中。
―――三蔵、美味そうな匂いがする
鼻をピクピクさせた幼子を思い出し、苦く笑った。そして、 「琥珀」 名を呼びながら、自分も足を向ける。 「美味そうな匂いがしても、その花は喰えねえぞ」 あの時と同じ言葉を掛けた。 通じているのかいないのか、己の足元にじゃれ付く子犬に、 「悟空はどうした」 そんな独り言のような会話は見事に成立して、琥珀は寝室に向かって駆け出し、後から追いついた三蔵は窓辺の光景に、呆れながらもその口元をついと上げた。
秋晴れの暖かい日中だった。 日干しした二人分の布団、取り込んでそのまま夢の中へ旅立ったのだろう、傍らには真白の子犬。 「ガキ丸出しじゃねえか」 呟いたその顔はしかし、愛しい者を見守る温和な瞳。 そっと足音を立てずにその場を離れ、 「来い琥珀、足を洗わねえと中へは入れねえぞ」 水場へ歩き出す三蔵の後を、琥珀はピョコピョコと追いかける。
夕暮れにしては暖かい風が、金木犀の香りを庭いっぱいに振りまいていた。
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