#21

 それは厳しい寒さが続く中の、珍しく穏やかな日差しに包まれたとある日。
 リビングの窓辺に三つ並んだ鉢植えは、朱色、淡桃、白の花をつけたシクラメン。
 悟空は一鉢ずつ葉を持ち上げては水をやり、小さく笑いを漏らしていた。
「三蔵」
 細口の水差しを片手に、ソファで寛ぐ三蔵を呼ぶ。
「何だ」
「このシクラメン、まだたくさん蕾をつけてるよ」
「そうか」
「うん」
 それから悟空は独り言のように言葉を続ける。
「シクラメンて、花なのに匂いがしないんだよ。品種改良してるうちに、匂いだけ消えちゃったんだって八戒が言ってたけど」
 もったいないよな綺麗なのに。と続く悟空の声を聞きながら、三蔵は読んでいた新聞から目を離さずに、
「お前は、日向の匂いがするな」
 と、一言呟く。
 そんな思いがけない三蔵の言葉に、
「三蔵は好き?…日向の匂い」
 胸のドキドキを隠しながら、何気なく聞いてみた。ら、
「……そうだな」
 と、奇跡のような返事が返ってきて。

 静まり返ったリビングに、ガサリと紙擦れの音。
「聞いたお前が照れてどうすんだ」
 楽しそうな三蔵の声だけが響いた。

#22

「おはよう、三蔵」
「ああ」
 寺の朝は早い。それは、どの寺にいても同じ。
「はい、朝ごはん」
「…あ?」
 まだ、夜も明けきらない時間の朝食に出されたのは、湯気を立てた椀。
「何だ」
「それね、七草粥」
 東の国に伝わる粥で、正月の疲れた胃を休める為の食事なのだ。
「って、八戒に教わったんだけどね」
「中身が変わっただけで、粥は粥じゃねえか」
「たまには変化も大事だろ」
 この頃、受け答えまで翡翠の青年に似てきたな。と、口には出さず三蔵は黙って椀を持ち上げた。

「それ、「春の七草」って言うんだって。外はさ、雪降ったり風がすごく冷たかったりするのに、もう春の準備は始まってるんだよな」
「春の準備?」
「うん、庭の梅の木、蕾がだいぶ膨らんできたんだ。寺の梅林もだろ」
「そうだな」
 二人だけの食卓で、季節の話をのんびりとする。
 旅に出ている時には考えられないことだった。
「梅から始まって、もうすぐ花の季節だ」
 嬉しそうな悟空の声に、小さく三蔵の口の端が上がった。

#23

 野生児の能力を甘く見ていたつもりはないが…

「初めて作ってみたんだけど…」
 そう言って、膳に出された器に紅梅が一枝。
「かぶら蒸しって言うの。八戒に教わったんだ」
 淡雪のようなかぶらに薄い琥珀色のあん、添えられた深紅の小花。
 見た目も、そして味も、申し分なかった。
「また、腕を上げたな」
 言ってやれば、心底嬉しそうに笑う。笑顔はガキの頃のまま。
 そうして食事を進める俺の差し向かい、かぶら蒸しを一口。自画自賛の声を上げ、まあ実際に美味いわけではあるが。
「この梅はどうすんだ」
 小枝に花一輪と蕾ひとつ。よほどの事がない限り、悟空は花を手折る事はしない。
 自然のままで咲いてる方が、一番綺麗だよ。とは、悟空の言葉だ。
「挿し木して、ミニ盆栽にするよ」
 どうやらそれも、八戒の入れ知恵らしい。ふうんと聞き流したその後。

 根をつけた梅の小枝は、俺の手のひらに乗るほどの小鉢に入り。
 なぜか執務室の机上に居を構えることになった。

#24

 悟空が二匹の家族を連れて、町へ買出しに出かけた時のこと。
「淡雪」
 真白の一匹が鼻をヒクヒクさせて道の脇へ外れていきそうになるのを、悟空は名を呼んで戻し、けれど自分もひくんと鼻を一度動かした。
 
 そしてその帰り道。
 淡雪と、今度はもう一匹の琥珀までもが、まるで何かに誘われるように脇へ逸れて行くのを、荷物を抱えた悟空は小走りに追いかけた。
 一歩進むたびに鼻をつく香りに、その眉尻を下げなら。
―――ワンッ!
 鳴き声と、甘い香りと、もう一つ。
「三蔵…」
 その花の前には先客。
 二匹は足元にすり寄り、三蔵はいつもの一本を咥えて、その甘い香りの中に佇んでいた。
「買い物か」
「うん…」
 その横へ並んだ悟空は、視線を花へ移し、
「沈丁花って、匂い嗅ぐとつい探しちゃうんだよね」
「香りが強いからな」
「うん、結構、遠くからでも匂うからね」
 それから、はたと何かに気づいたように、悟空は三蔵を見上げた。
「あれ?三蔵も」
 声をかけた途端、三蔵はふいに踵を返して歩き出した。
「わ、待ってよ三蔵」
 ストライドを大きくして三蔵に追いついて横に並んだ悟空から、ひょいと三蔵は荷物を一つ奪い、
「…遠くからでも、匂うからな」
 と、漏らした。
「え?」
 意味深な一言に思わず立ち止まった悟空は、しばし離れていく三蔵の後姿を眺め。けれど、くふんと笑みを一つ零して、また大好きな背中を追いかけた。
「待ってよ、三蔵!」

エピローグ

 柔らかな日差し、温かい風。
 庭に立つ二人と二匹は、じっと目の前の大樹を見上げていた。
「今年も咲いたね」
「そうだな」
 その時、少し強い風がざわんと満開の枝を揺らし、一片二片、薄紅色の小さな花弁を躍らせた。
「もう、一年になるんだな。ここに来て」
 そう言って悟空は隣に立つ三蔵の肩に頭を預け、
「早いよな…―――旅が終わって、寺を移って…ホント、あっという間だ」
 くすりと笑いを漏らした。

 死闘とも言える西への旅が終わり、暮らす居をここ「桜庵」へと移し、二人だけで始まった新しい生活。
 小さな寺でのんびりと仕事を続ける三蔵。悟空は家事を覚え、大好きな花を育て、近頃では、新たに増えた二匹の家族の世話など、実は三蔵よりも忙しいかもしれない毎日を送っていた。
「朝起きて、飯作って、洗濯したり掃除したり…毎日、おんなじ事が多いけど、楽しいよ」
「そうか」
「うん」
「今年も、三蔵とこの桜が見られて良かった」
 言って悟空は三蔵を見上げて笑う。三蔵のお気に入りの、悟空らしい笑顔で。
 その顔を見つめ、三蔵は静かに口を開いた。
「約束を覚えているか」
「約束…?」
 三蔵の言葉に首をかしげた悟空の、その手をとって三蔵は続けた。
「旅が終わったら、本物を買ってやる」
「…―――あ」
 それは旅の中での一言。
 オモチャの指輪の―――本物。


 三蔵の長い指が、悟空の左手指にそっとそれをはめ込む。
「悟空……お前は、最高の伴侶だ」
「さんぞ、う…」
 薬指に光る金の輝きを見つめ、それから三蔵を見上げた悟空の瞳から、透明な雫が零れ落ちる。
「覚悟しろよ、一生俺のモンだからな」
 穏やかに微笑む三蔵が止まらない悟空の涙を何度も拭う。
「う、ん…これからもずっと…俺は三蔵と一緒に居るよ」
 抱きついてその胸に顔をうずめて、悟空は肩を震わせた。
「一生…俺は…三蔵のものだよ」
「ああ」
 風が、空気が、大地が、祝福するかのように二人を包み込む。
 顔を上げた悟空、見下ろす三蔵。見つめ合って、悟空がゆっくりと金瞳を閉じた。
 

 孤独な夜も、痛い雨も、きっとこの日のため。
 愛する人が共に在る幸福は、どんな困難も乗り越える力を持って、人を強くする。
 これからも、繋いだこの手はけして離れる事はない。

―――愛してる、悟空

―――愛してるよ、三蔵

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