#06

 カチャ―――
「お帰り、三蔵」
「ああ…」
「疲れた?今日は大変だったもんな、花祭りで」
 寺と町の人が一緒に行う行事「花祭り」
 甘茶をお供えして、仏様を花で飾る。
「ガキが多くて面倒くせぇ」
 三蔵は懐から愛煙を取り出して、胸いっぱいに吸い込んだ。
「楽しくていいじゃないか」
 ソファに身を沈めた三蔵の隣に悟空が座ると、そっと肩を引き寄せられた。
「寺じゅう花の香りで一杯だったぞ」
 仏像だけでなく、本堂まで悟空の育てた花で溢れかえっていた日中、珍しく三蔵も煙草を咥えることは無かった。
 そんな何気ない彼の優しさがくすぐったい。
「でも、三蔵からはいつもの匂いがするよ」
 染み込んだ仄苦い匂いに、悟空はすんと鼻を寄せた。三蔵はその後ろ髪をただ愛しげに梳く。暫くして、
「ねえ三蔵」
 と、見上げた金瞳に三蔵が無言で答える。
「今度の休み、天気がよかったら一緒に、ひまわりの種蒔こうな」
 歳不相応な無邪気な笑顔に、すっかり毒気を抜かれて、
「…そうだな」
 三蔵は少し苦いキスを返した。

#07

 庭の蕾も凍える花冷えの雨の夜―――
 湿った前髪をそっとかき上げると、ふるんと睫が震えてゆっくりと開いた瞼。
 カドミウムオレンジの仄暗い明かりの中で、熱に潤んだ金瞳が求める人を見つけると、その口元がわずかに上がった。
(さんぞう…)
「起こしたか…」
(ううん)
 独り言のような会話が続く。
「まだ高いな」
(声…ノド痛いよ)
「無理するな」
 諭すように頬を撫でると、少し冷たい感触が気持ち良いのか、悟空が声もなく笑った。
(雨、まだ降ってんの?)
「まあな…」
 一昨日から降り続く春の雨。季節が戻ってしまったような寒さと、不慣れな家事の疲労が重なって体調を崩した悟空。
 忙しさにかまけて、悟空の不調に気づいてやれなかった自分。
 自分を責めるように、その唇を無意識で噛んだ三蔵に、
(すぐ治るから…ごめんな三蔵、心配かけて)
 声なき声で呟き、彼の法衣を握った。
「病人のお前に慰められるようじゃ、俺もヤキが回ったな…」
 苦笑いを浮かべた三蔵に、つられるように悟空も笑った。

(明日は天気になるかな)
 視線を外に向けた悟空に倣って三蔵の顔も動く。
「菜種梅雨ってんだ」
(なたねつゆ?)
「春の雨は、秋の実りには必要な雨だからな」
(栄養ほきゅう?)
「そんなところだ」
(ふ〜ん、菜種梅雨か)
 カーテンに遮られていても、きっと悟空の耳には春雨の音が聞こえているのだろう。
「もう寝ろ、いつまでも熱が下がらねえぞ」
(うん…)
「何だ」 
 自分を見上げる金瞳が何か言いたげで、三蔵は顔を寄せた。
(俺も栄養補給したい)
「あ?」
(おまじない…ダメ?)
 恥ずかしそうに、けれどたっぷりの期待を込めたその瞳に、否、と言えるわけも無く。
 小さなため息を一つ落として三蔵は、常よりも熱い頬をそっと包み込んだ。

#08

 一日の執務が終わって、表へ出たところで三蔵は母子に呼び止められた。
「三蔵様、先日は大変美しいお花を、本当にありがとうございました」
「ありがとうございました」
 揃って深々と頭を下げられて、思わず首を傾げる。と、病に倒れた母親のために、悟空が花を見舞いに送ったと愁由に耳打ちされた。
「これは、ささやかではございますが、奥方様にお礼をと思いまして持ってまいりました。お受け取りくださいまし」
 差し出した鉢植えは愁由が受け取り、しかし三蔵は聴き慣れない言葉に、思い切り眉間に皺を寄せた。
「本当にありがとうございました」
「こちらこそ、結構な物を頂きまして。奥方様もお喜びになりますよ」
 そんな三蔵を他所に、愁由と母親は挨拶を交わし。母子は再び三蔵に向かって頭を垂れると二人、手をとって帰っていった。
 その姿を見送りながら、
「苺ですね。悟空が喜ぶでしょう」
 愁由が一人呟いた。
「おい」
「はい」
「何だ、その奥方ってのは」
 このところ滅多に聞かなくなった地を這うような声音に、愁由は一瞬身を硬くして、
「ご存知ありませんでしたか」
 次の瞬間、その口角を上げ、目を細めた。
「どういう事だ」
 なぜか嫌な汗が背中を流れたのは、三蔵の方だった。


(奥向きで暮らす悟空を、町人は「奥方様」と呼んでいるのですよ)
 庵に向かう道すがら、愁由の言葉が三蔵の頭を巡る。
「冗談じゃねえぞ、あの猿のどこが奥方だ」 
 一人呟き、持たされた鉢植えを睨み付ける。だが、
「お帰り、三蔵」
 自分を迎える飛び切りの笑顔や、鉢植えを見て喜ぶ悟空に、
「まぁ、悪かねぇ…か」
 と、無意識に三蔵が漏らした事は誰も知らない。

#09

 久しぶりに三蔵が休み。
 朝から天気も良いから、二人で葉桜になった庭の大樹の下でのんびり。

 風の音、土と草の匂い、傍らの温もり。大好きな人が隣に居る幸せ。
 緩む顔を見られないように膝を折って、でもちょっとだけと思ってちらりと隣を伺え…ば、
「何だ」
 三蔵とばっちり目が合った。
「な、な、な、何でもない///」
 って、言ってはみたけど三蔵には絶対バレてる。そんな一人百面相の俺から、三蔵はまた手元の本へ視線を戻した。
 俺はドキドキが納まらないまま、ふと足元の小さな花に気付いた。
 真っ白な花びらが時折風に揺れる。
(ごめんな)
 心の中だけで謝って、それを手折り花びらを一枚摘む。

 好き―――

 嫌い―――

 好き…嫌い…好き…

 一枚ずつ減っていく花びら。そして、残り僅かで思わず手を止めた。
 じっと花を見つめて、無意識にため息。
 子供じみてるなぁって思うけど、やっぱりちょとヘコむ。そこへ、
「終わりか」
「ほへ?」
 投げかけられた言葉に、驚いて三蔵を見た。
「終わりか」
「え?あ…う、ん」
 歯切れの悪い返事に、三蔵はいきなり俺の手から花を奪って、
「最初はどっちだ」
 なんて言うから、びっくりして、
「え?三蔵がするの」
 聞き返せば、悪いかって。や、悪くは無いけど…
「ごちゃごちゃ煩せぇな、始めはどっちだ」
 と叱られ仕方なしに、
「始めは…好き」
 そう言えば、三蔵の指が一枚花びらを摘んだ。
「次」
「…嫌い」
 また一枚。
「次」
「好き…あっ」
 三蔵が摘んだ最後の一枚が、風に乗った。
「さんぞ…」
「そういう事だ」

 俺が始めた「花占い」は好きで終わって、三蔵が始めたのも「好き」で終わった…
 
「そういう…事、だね」
 俺の隣には、大好きな人。
 今日は天気が良くて本当に良かった。


 〜オマケ〜

八戒 : こんにちは
愁由 : 八戒さん、悟浄さん。お久しぶりです
悟浄 : よ、元気そうだな
八戒 : 三蔵たち、居ますか?
愁由 : いらっしゃいますが…
悟浄 : 何だ、都合悪りぃのか?
愁由 : 今はちょっと…
八戒 : ?
悟浄 : ?


八戒 : ああ、なるほど
悟浄 : こりゃ…
愁由 : 申し訳ありません
八戒 : いえいえ、愁由さんが謝ることじゃないですよ。今日のところは失礼しますね
悟浄 : 馬に蹴られたくねえからな
八戒 : と言うより、標的でしょ
悟浄 : 違いねえ

#10

 珍しく真夜中に目が覚めて、悟空はそっと三蔵の腕から抜け出し、彼の寝顔にその口角を上げた。
(旅してる頃だったら、直ぐに目を覚ましたよな)
 規則正しい寝息は、彼の心が凪いでいる証。
 悟空はゆっくりと寝台を下りて、窓辺へ向かった。
 カーテンを薄く開くと、月明かりの庭は風が強いのか、窓越しに葉の揺れる音が聞こえる。そして悟空の視線がある一点で止まった。
 雪柳はその名に違わず、真白の花片を雪のように風に散らしていた。

―――少しずつ、慣れていけばいい…

 焦る事はない。と、優しく肩を抱いてくれたあの日の、遠い記憶が頭を掠め、次いで、雪が降った日は誰よりも早く、外へ飛び出していく今の自分に、笑みが零れた。
「全部、三蔵のおかげだよな…」
 甘やかす事無く見守ってくれた人。
 転んでも、立ち上がって歩き出す自分を信じて、待っていてくれた人。
 何よりも大切で、誰よりも愛しい人。

 悟空はそっとカーテンを閉めると、寝台の三蔵から少し離れた所にもぐり込んだ。
 それからいくらもしない内に聞こえ始めた安らかな寝息。三蔵はゆっくりと瞳を開け、離れたその身を引き寄せると、冷えてしまった悟空の肩を包み込んで、またゆっくりと瞳を閉じた。

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