自分の事だけで精一杯で…

 誰かのためとか

 何かを守るとか

 大切…

 愛しい…

 全部、切り捨ててきたはずなのに ――――



揺れる瞳のその先 2



『三蔵…ごめんなさい』
 悟空の言葉が、顔が…頭から離れない。
 姿無き声は悲痛で儚くて、暗闇の中、たった一人で泣いている。
 傍に居てやりたかった、抱きしめて安心させて、涙を止めてやりたかった。
 今回の事は、決して悟空が悪いわけではない。敵の自爆は予想外の事態で、三蔵は悟空を咎めるつもりなど更々無かった。
 けれど、悟空にあの言葉を言わせたのは、紛れもなく自分なのだ。
 三蔵が怒っているのだとすれば、それは己自身に対して。


 不意に三蔵は足を止めた。耳に聞こえる、微かな読経の声。あたりを見渡せば、街から離れ閑散とした場所へ辿り付いていた。
 声を頼りに歩を進め、見えてきたのは、朽ちかけた古びた山門。
「廃寺か…」
 けれど、読経の声は確かに奥から聞こえる。
 苔むす玉砂利を踏み締め、三蔵は誘われるように門をくぐった。

 半分落ちた屋根、濡れ縁は所々木が朽ちて、少しでも力が加わればそのまま抜けてしまいそうだ。
 雨ざらしでもはや箔も削げてしまった本尊の前に、畏まり低く流れる読経。
 三蔵は何も言わず、経が納まりその者がゆっくりと向きをかえた。
「この様なれ寺にどなたがいらしたのかと思えば、その出で立ち、今世の三蔵法師殿とお見受けしましたが」
「…北方天帝使、唐亜玄奘三蔵だ」
「玄奘…では、聖天、魔天両経文の守護者…これはこれは、かみから大変失礼致しました。ささ、どうぞこちらへ」
 素性を明かせば必ず変わる態度だが、不思議と嫌悪は無く三蔵は言われるまま本堂へ進んだ。
「随分な荒れ様だが」
「ここに寺がある事すら、もはや人々の記憶にはございませんでしょう。以前は修行僧も数多くおりましたが、今は拙僧ただ一人にございます」
 色褪せた頭巾を被り、所々ほつれた僧衣。身なりこそみすぼらしかったが、その眼光は深い年輪が刻まれ、多くのものを見、しかし多くを語る事無い奥ゆかしさがあった。
 その柔和な表情に、張り詰めていた三蔵の神経がほんの少しだけ緩むと、
「暫く…この場を借りたい」
 呟くような声に、老僧は目元を細め、
「この破れ寺が、貴方様の憂いを払うお手伝いが出来るのならば喜んで」
 そう言って、静かにその場を後にした。


 座してゆっくりと瞳を閉じる。
 途端に聞こえてくる、身を引き裂かれそうなほど悲痛な悟空の叫び。
『さんぞぉ…どこ…三蔵』
 ひたすら己だけを求める声に、今は応えてやれない。

―――― 悟空

 こんなにも、大切なお前。
「大、切…」
 己自身に問い掛ける。大切なのか?悟空が。
「そんなモノ…必要、ない」
 本当に必要ないのか?
 では、今まで「悟空」という存在は、自分にとって何だったのか。
 呼ばれてしまったから、拾ってしまったから。蘇ったのは師の言葉。

『ご指名ってやつですね ――――』

 お前が呼ぶから、いつだって俺を呼ぶから…
 俺だけを見ているから、だから目が離せなくなった。
 隣に在るのが当たり前になった。
 その当たり前が崩れかけて、初めて気付く、「悟空」が己の心を占める大きさ。
「悟空…」
 随分と名を呼んでやってない様な気がする。
 まだ、間に合うだろうか…名を呼んで、手を差し出せば…
 その手を、お前は取ってくれるだろうか。あの時のように…


 一つ大きく息を吐いて三蔵は立ち上がった。振り返れば本堂から続く濡れ縁に老僧が佇む。
「お心が決まりましたか」
「…ああ」
「それはようございました。では、お急ぎください。このままでは貴方様に何をするか分からない…」
 言葉と共に頭巾を取ったその顔に、三蔵は目を瞠った。
 額に走る赤黒い痣と、尖った耳。
「お前…」
「近付く妖気に触れれば、もはや自我を保つのは不可能…三蔵様のご来迎は、御仏の最後のお慈悲……お行きください」
 小刻みに震える身体を押し止め老僧は笑った。
 三蔵は静かに近付き、懐からそれを取り出した。彼の行動に一瞬驚いた表情を見せた老僧だが、次には穏やかに口元を上げ、胸元で手を合わせると目を閉じた。
「良い人生でございました」
 昇華の銃声がただ一度。


 濃くなる妖気に足が速くなる。近くなる悲鳴と血臭。
 引き金に指を掛けたまま、三蔵は全力で彼の元へ走った。
 途切れてしまった声に口唇を噛み、昏い思考を振り払う。
「ふざけんじゃねぇぞ、悟空」

「三蔵っ!」
 応戦する仲間、そこに彼の求める少年の姿は無かった。

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あ、あれ?終わらなかった…
思った以上に、三蔵様浮上してくれなかった(汗)
いや、次こそは…

花淋