拾う前からその声は、ただ自分だけを呼んでいた。

 その声に苛ついた事も多くあったけれど、手放すという選択肢は考えもしなかった。

 いつだって、お前は俺の隣に居たから ――――



揺れる瞳のその先 3



「三蔵!」
「猿はどうした!」
「宿です、貴方は悟空のところへ」
 三蔵は脇目も振らずに再び走り出した。声は聞こえないまま。
 進路に立ち塞がる敵を、無駄のない動きで始末し、前方に見知った建物が見えてくる。
「きゅぅ〜」
「!!ジープ」
 頭上から聞こえる甲高い声に、その足を止めると、有翼の仲間が羽ばたいていた。
「きゅっ!」
 一度三蔵の上を回り、彼を導くように先を翔る。迷わずそれに着いて行く三蔵は、口唇をかみ締めた。

―――― 悟空

 ずっと…呼んでいたのに。
 悟空は最初から、自分だけを呼び続けていたのに…
 逃げたのは自分だ。何もしてやれないと思ったから。
 けれど、そうではなかった。そう…悟空はずっと、
『三蔵が居てくれれば、それだけでいい』
 いつだって、悟空の願いはそれだけだった。
 事あるごとに「好き」だと口にするくせに、けして三蔵に応えを求めようとはしなかった。
 そんな悟空に、三蔵は甘えていた。何を言わなくても、この養い子は自分の前から消えることは無いと、それは確信に近かった様に思う。
 今、悟空の声が聞こえない事が、こんなにも三蔵の心を乱す。焦燥を掻き立て、いつもの冷静さを保つ事が出来ない。
「悟空っ!」
 焦る三蔵の声が大気を震わせる。
「悟空、何処だ!悟空っ!!」
 頭の中がショートして、身体中の血が燃え立つような錯覚に陥った。



「へへっ、随分と大人しくなったじゃねえか。観念したのか」
 夕闇に響く声。自分に圧し掛かっているのは妖怪だと分かっていて、悟空のその手は如意棒を振るう事無く、投げ出されたまま。

 目が覚めて、傍に三蔵が居たのは気配で分かった。だから力の入らない手を伸ばし、彼を求めた。
 しかしその手は虚しく空を掴み、離れていく三蔵の気配にただ、縋る声しか上げられなかった。
『悟空の事を心配しすぎるあまり、どうしていいのか分からなくなってるだけですよ』
 八戒はそう言って、慰めてくれたけど不安は消えなかった。
 三蔵は弱い者を傍には置かないから。だから何があろうと、無様な死に方だけはしない強さを ――――
 そう在ろうとした。
 近づく妖気を感じ取って、けれど満足に戦えない事は分かっていたから、八戒と悟浄の言うとおり、己を守る事だけを考えた。それなのに…
 向けられた殺気は感じても、その地形までは分からなかった。
 濡れた草に足を滑らせ、手から離れた如意棒が悟空の末路を表した。
 自分は、自分を守る事も出来ない。その瞬間、悟空の四肢から力が抜けた。
「手こずらせやがって、経文は手に入らなくても、仲間の一人を殺れば玉面公主様から、たんまりと褒美を貰えるからな。その首貰うぜ」
 狂気を孕むその声にも、悟空は恐怖すら感じなかった。
 振りかざすナイフが鈍く光った。
「死ねぇぇぇっ!」

―――― ガウンッ!!

 敵の叫び声を掻き消す銃声。
 圧し掛かる重みが消え、悟空は咄嗟に後ずさった。
「悟空!」
 その声にびくりと身体を震わせ、見えない金瞳が無意識に姿を探した。しかし、近づく足音に今度は逃げる様に這い出す。
「悟空」
「やだ…」
 鈍い動きのその身を難無く抱え込む三蔵の腕の中で、悟空は身を捩って離れようとする。
「や…離し…」
 もがく身体を押さえ込むように、三蔵は抱きしめる腕に力を入れた。
 諦めたように徐々に大人しくなる悟空に、それでも抱きしめた腕を緩めず、三蔵は詰めていた息をゆっくりと吐き出す。
「どこも怪我はねえか」
 三蔵の言葉に悟空は無言で頷いた。そして顔も上げずに漏らした養い子の言葉に、三蔵の顔が歪んだ。
「さんぞ…俺を…殺して」
「な、に…言って」
「俺を…殺して、よ」
 縋るように己の法衣を握り、顔を上げた悟空の金瞳に宿る、揺ぎ無い意思と深い絶望。
 何も答えられない。見えないはずの悟空のその視線に、目を逸らす事も叶わず、三蔵は黙って腕の中の存在を見下ろした。
「…俺…置いてかれるん、だよな…」
 悟空は静かに目を伏せ、そして三蔵の腕から抜け出した。
「三蔵は…弱い奴は傍に置かない。でも…俺もう、自分を守る事も出来ない、んだ…だから、殺してよ…三蔵に置いて、かれるくらいなら…死ん…― バシンッ! ―」
 乾いた音に悟空は言葉を失い、そして息を呑んだ。
 見えない目の前の男が、どれほど怒っているか…どれほど苦しんでいるか。伝わってくる。
「さ…」
「誰が置いてくなんて言った、一人で勝手に回ってんじゃねぇ!」
 呼吸が止まってしまいそうなくらい、きつく抱きしめられ、押し当てられた胸から嗅ぎ慣れた苦い香りが漂うと、堪えていたものが一気に溢れ出した。
「さん…さんぞぉ…ごめ、ごめん…さい」
「お前が…悪いわけじゃねえ…俺は、どうしていいか…分からなかったんだ」
 悟空の震える肩を抱きながら、三蔵が呟くように思いを吐き出した。
「苦しんでるお前を見て、何も出来ない自分に腹が立った。お前に何をしてやればいいか…だから」
 三蔵の手がそっと悟空の涙を拭った。
「お前が教えてくれ、悟空。俺はどうすればいい、お前に何をしてやれる」
 頬に置かれた手のぬくもりに、自分のそれを重ねて、悟空は泣きながら小さく微笑んだ。
「一緒に、居て…」
「ああ」
「抱きしめて…」
「……」
 無言で細い身体が引き寄せられた。
「もっと…名前、呼んで…」
「悟空」
「もっと…」
「悟空……悟空」
「ふぇ…さんぞぉ」
「悟空…」
 
 悟空の名を呼ぶ度に、凍っていた何かが溶ける。心に刺さっていた棘が、抜けていく。
 二度と出会う事は無いと思っていた、大切な存在。
 作らなかったのではない。探し続けていたのだ、悟空というたったひとつの「大切」を得るために。
「お前を置いてくつもりなんかねぇ。俺以外に、誰がお前の面倒、見れっと思ってんだ…お前みたいな馬鹿は…手放せねぇよ」
「さん…」
 呼びかけは熱いそれで塞がれた。一度離れ、再び合わされた口唇に、吐息を奪われ思考を奪われて、悟空は震える指で法衣を握った。
「連れて行く。その目が治らなくても…何があっても、お前だけは」
「三蔵…ありがと」
「悟空」
 腕の中で悟空は安心したように、その意識を手放した。


―――― チチチ…
 遠くで聞こえる鳥の囀りに、ゆっくりと眠りの淵から浮き上がる。
 ふわりと鼻を掠めた覚えのある匂い、頬に触れる感触。
 氷が解けるような緩慢さで、悟空はゆるゆると瞼を上げた。
 仄かに明るく、ぼやけた視界に瞬きを繰り返していると、きしりとベッドが音を立てた。
「悟空…」
「さんぞう?」
 覗きこんで、三蔵はその動きを止めた。悟空の手は震えてはいたけれど、何の迷いもなく三蔵の頬に触れた。
「俺が、見えるのか」
 頬から感じるのは、いつもの少し高い悟空の体温。
「まだ…ぼんやりだけど…見えるよ、三蔵が」
 蜂蜜色の瞳が細められ、口元に浮かぶ微笑みが、じわりと三蔵の胸を熱くさせた。
 頬に触れていたその手をとり、愛しさをこめて口付ける。
「もう直ぐだ、直ぐに元に戻る」
「うん…」
 伸ばされた両腕をとって、しっかりと抱き合った。


―――― 呼ばれ続けて探し当てた、迷惑千万なイキモノは…求め続けた、無二の魂







やっと完結。
ぐるぐる回って、三蔵が導き出した答え。皆さんは納得できたでしょうか(ドキドキ)
ま、大切か大切じゃないかってのは、結局はその人が決める事で、コレっていうものは無いんですよね。
きっと、悟空に何が大切って聞いたら、「喰いモン」って返ってきそうだもん。
だからって、三蔵が大切じゃないのかって言えば、悟空の中の三蔵は、すべてを凌駕した存在なんじゃないかなぁと、勝手に想像。
何はともあれとりあえず、ヘタれ第二弾クリアです。
第三弾は、コレに輪かけて「えせシリアス」で、攻めたいと思います(あはは)
最後まで、お付き合いありがとうございました。

花淋