たとえば、いつも在る事が当たり前だと思っていたモノが、突然失われたら、それはとてつもない恐怖だ。

 そして俺は ――――

 己がいかに無力かを、思い知る。



揺れる瞳のその先 1



「だぁーっ!もう、何だってこう、数ばっか多いんだよ」
「元気な妖怪の父ちゃんと、母ちゃんがいんだろ」
「ははは、産めよ育てよですかぁ」
「ふざけた事ぬかしてねぇで、さっさと片付けろッ!」
 それはすでに日常になりつつある戦闘ではあったが、だからと言って甘く見ていれば、当然のように足元を掬われる。
 負ける気などさらさら無い彼らだったが、手を抜く事も無かった。
 そういう意味で、今回の敵はいつもとは勝手が違っていたのかもしれない。

「こなくそっ!てめぇが最後だッ」
 如意棒を振り上げ、悟空が飛び掛った最後の敵は、確かにその顔に笑みを張り付かせていた。

カッ!――――

「おわっ」
「!!っ」
「くっ…」
 四散した閃光は四人を飲み込み、静寂を生んで、そして何事も無かったように平原に戻る。
 のそりと起き上がったのは三蔵。
「皆さん無事ですか?」
 声を掛けたのは八戒。
「くっそ、目がちかちかする」
 悪態をついた悟浄。そして、
「おい、猿」
「悟空?」
 自分たちより先で倒れる年下の仲間はぴくりとも動かず、慌てた二人が駆け寄る中、三蔵だけはその場から動かずに、否、動けずにいた。
「悟空、しっかりしてください」
 軽く頬を打つと唸る様な声を上げ、しかし目を覚ます事は無く。それでも気を失っている以外、外傷の無い事を確認すると、悟浄がその身を抱き上げた。
「気を失ってるだけです」
 八戒の言葉に三蔵は不機嫌も露に煙草を咥え、
「行くぞ」
 ただその声が、常よりも平静でない事に八戒も悟浄も気付いていた。


 荒野をひた走るジープは、ずっと静かなまま。
 前席の二人が静かなのは当たり前、後部座席は相方が未だ目覚めず、悟浄は火の点いていない煙草を咥えてぼんやりと天を仰いでいた。
 太陽は中天を過ぎて、それでも遮るものが一切無いそこでは、柔らかい日差しと頬を撫でる風が心地よかった。
「ふ、わぁ〜…あ?猿、起きたのか」
 背筋を伸ばしながら何気なく横を見た悟浄は、いつもの金瞳が数度瞬きを繰り返すのを眺め、ただその動きに奇妙な違和感を感じた。
「おい、まだ寝惚けてんのか」
 そんな声を掛けながら悟浄が肩に手を置い途端、悟空が見せたのは驚きと戸惑い。そして、
「八戒、車を止めろ」
 それを命じたのは三蔵だった。振り返り少年の名を呼ぼうとした時、
「三蔵…どこ?」
 彼を求めるように伸ばされた手は、しかし相手を探すように彷徨い震えていた。
「悟空…」
「お前…もしかして」
 そんなはずが無い。と言う三人の思いを突き崩したのは、本人の一言。
「何も…見えない、よ」

 変わらず静かな車上、先と違うのは空気の重たさ。
 誰も口を開かず、二人のヘビースモーカーでさえ一度もそれに火を点けることは無かった。
『はっきりとは言えません。でも…今の段階で悟空は、完全に光を失っています』
 応急的な八戒の診断と、絶望的な一言。
 頭からその言葉が離れない。三蔵は口唇を噛み、拳は色が変わるほど握り締められた。
『とにかく街へ急ぎましょう』
 これ以上の足止めを食わない事だけを祈った。


 ベッドに横たわるいつもより白い顔。
 数時間前、辿り付いた街の病院で、悟空は酷く暴れた。錯乱に近いそれは、どれほどの恐怖を少年が感じているのかを、十分すぎるほど仲間に知らしめ、三人は己の非力を痛感した。
『外傷が原因でない以上、治るとも治らないとも言えない』
 それが医師の診断の結果だった。
 病院を出て宿を取り、三蔵はただ悟空の顔を見つめていた。事が起こってから数時間しか経っていないのに、悟空の顔は痛々しいくらいにやつれ、三蔵の心を掻き乱した。
 目覚めぬ悟空を見て背筋を冷たいものが落ち、忌々しい記憶がフラッシュバックした。目の前に広がる赤の海、失った傷み、守れなかった傷み。
 あの時倒れた悟空に、自分が感じたのは恐怖と絶望。また、繰り返すのか。と…
 
 傍に居てやりたいと思う自分と、顔を背けたい自分。せめぎ合う気持ちを抱え、結局は動く事が出来ずこうして、ぼんやりと枕元に佇む。
 敵に立ち向かっていく時の勇ましい面影は無く、拾った頃よりは幾分か成長した、けれどまだ丸みの残る頬。己の倍ほどもある金瞳、自分を呼ぶ声。
 失う事無く、全てが己の隣に在るものだと、この時まで三蔵は信じていた。否、失う事など無いと思いたかったのかもしれない。
 それは自己防衛。二度失えば、自分を保つ事など出来はしない。

 そっと指先が頬に触れる。輪郭をなぞるように動かしていくと、不意に睫が揺れて、ゆっくりと現れた金の双眸。
 覗きこんで、しかし名を呼ばないのは、無意識の願い。
 けれど、それは叶わず。頼りなく伸ばされた養い子の手を取ろうとして、その言葉に動きを止める。
「さんぞ…ごめん、なさい」
 数センチ先の小さな手を取る事無く、三蔵は硬く拳を握り、踵を返した。
「三蔵!待って、三蔵っ!!」
 悲痛に響く悟空の声に背を向け、扉の向こうへ消える。
「三蔵?」
「猿が目を覚ました……後を、頼む」
「頼むって、三蔵待ってください!三蔵」
 八戒の声に耳を塞ぎ、頭に聞こえる悟空の声も拒絶した。
 手を離せば、二度と戻っては来ないと解っていても、今悟空の傍には居られなかった。
 いつもより早い歩調で、いつもより重い足取りで、最高僧の姿は街の雑踏の中に消えていった。

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一話のつもりがちょろっと長くなりそうなので、前・後編で…
三蔵様、思い切りドつぼ?!
果たして悟空の目は?三蔵様は何処へ行ったのか??
って、あまり期待はしないでください。

花淋