#2 〜予感〜 金色(こんじき)のヒカリ… 薄暗い部屋の中に浮かび上がる一対の瞳は、真っ直ぐに三蔵を見据えていた。 「八戒、この人が俺のマスター?」 「ええ、しっかり守ってくださいね悟空」 「おうっ!」 普段の三蔵であったら、自分を守る。などと言う発言すら許す事は無いはずだった。 「え…と俺は、孫悟空。あんたは」 悟空と名乗った少年は、傍へ歩み寄ると人懐っこい笑顔で、三蔵を見上げた。 「玄奘三蔵だ」 そこに悟浄が居れば、きっと驚いたはずである。自分自身ですら苦笑せずにいられないほど、彼は搾り出すような声で名を告げたのだから。しかし、それを知らない悟空は、おおよそその場に不釣合いなほど幼い仕草で、 「玄奘、社長?」 と、小首を傾げたのである。 三蔵は、眩暈を感じずにはいられなかった。が、それと同時にふつふつと湧き上がったのは、目の前の翡翠の青年に対する怒り。 「八戒、貴様俺を馬鹿にしてるのか」 地を這う様な声音にも、八戒はその柔和な表情を崩さなかった。そして、口を開いたのは、 「あのさ、怒る前にメシ喰わない?俺、ハラ減っちゃってさ」 悟空のそれは、何処までも場違いな発言だった。 目の前で空になっていく皿に何の興味も示さず、三蔵はむっつりと煙草を咥えていた。 「喰わねえの?」 悟空の何度目かの言葉にも一切返事を返すこともなく。 九龍の土地を手に入れるため、渋々赴いた街で己のボディガードとして紹介された人物は、 「大喰らいのチビ猿じゃねえか」 だが、喰う事に集中しているかと思っていた猿呼ばわりされた少年は、皿を抱えたままギロリとその金瞳を三蔵に向けた。 「言っとくけどな、俺は猿じゃねえ。悟空って名前がちゃんとあんだ!」 顔が顔だけに何の迫力もないが、自分だけを真っ直ぐに見据えるその金瞳に、何故か三蔵の心がざわめいた。 「それだけ喰や、さぞかし立派な働きをするんだろうな」 そして、三蔵の挑戦的な言葉に、悟空の片頬を上げる。 「まっかせてよ♪」 本気には聞こえないその口調に、眉間の皺を増やした三蔵は、力任せに煙草を灰皿へ押し付け立ち上がった。 「ほえ?待てよ、三蔵!まだデザート」 店の出口へ向かう後姿を慌てて追いかける。 「三蔵!ちょっと待って」 「おい、誰が名前で呼んでいい――」 最後まで続かなかった言葉。瞬間的に背中合わせになったのは、互いにそれなりの修羅場をくぐって来た賜物と言えた。 「おい、さっきの言葉に嘘はねえだろうな」 「大丈夫だって、そのかし終わったらデザートな」 自分たちを取り巻く殺気を前に、悟空の明るい言葉は何処までも三蔵の神経を逆撫でした。 『喰った分は働いてもらうぞ』 言い放った悟空の言葉に、三蔵は渋面を深くして呟いた。 店の入り口で囲まれた、その数はざっと両手以上。リムジンに就いていた、赤髪の秘書さえも一瞬身を硬くしたというのに、 「よっしゃ、デザートは杏仁豆腐な♪」 陽気な声と共に、宛がわれた「現地秘書」は、息を乱す事無くものの数分で全てを終わらせた。 果たして、リムジンの仄暗い車内に、甘ったるい香りを充満させて、ご希望のデザートを頬張るその顔を、三蔵はただ黙って睨むしかなかった。 音もなく滑り込んだリムジンが豪奢なエントラスに停まると、ゆっくりと開いたドアから先に出てきた悟空の顔色が、僅かに変わった。 身に纏う少年の空気の変化に三蔵が目を眇める。先ほどまでの幼い表情を微塵も感じないほどの鋭い双眸が、ぐっと顎を引いてその先に立つ男を見ていた。 「若…」 「二郎神…」 その顔に年輪を刻んだ男は静かに悟空へ歩み寄った。 「お戻りください。このように危険な――」 「戻らない!」 二郎神の言葉に被せる様にはっきりとした口調で告げ、次いで背後を振り返った。 「ごめんね三蔵、行こう」 「若っ!」 最早二郎神の声に耳も貸さずに、悟空は真っ直ぐホテルの中へと消えていった。 その背に倣った三蔵もまた、彼に一瞥も与える事無く、前を通り過ぎていく。 中へ入れば悟空の顔には、最初に逢った時と同じ屈託のない笑顔が浮かんでいた。 「部屋は一番上。俺も一緒に上がるけど、部屋へは俺が良いって言うまで入らないでな」 それは、悟空の数ある発言の中で、今日唯一のボディガードらしい一言だった。 開け放たれた窓からは地上の喧騒すら届かず、時折風が揺らすカーテンの向こうには、澄んだ星空が広がっている。 窓辺に身体を預け、三蔵は何とはなしにその夜空を眺めていた。 ――――俺は悟空。よろしくな三蔵 実年齢よりも遥かに幼い笑顔が、己の中の何かを変えようとしている。今まで経験した事の無い感情が、三蔵の心を駆け巡っていた。 「あんなガキに…」 苦々しい呟きを風がさらった。 「あんまり窓の傍には、居てほしくないんだけど…」 思ったより近くで聞こえたその声は、しかし内容とは裏腹に幼さを含んだ響きを持っていた。 「ほら、一応さ三蔵の首には金が懸かってる訳だし」 埒も無い言葉すら発した人物の外見の所為か、何とも呑気に聞こえるのだ。 三蔵は嘆息して、その言葉に従った。 ソファに戻ると煙草を咥え紫煙を吐き出した。じっとそれを見ていた悟空は、こくんと小さく喉を鳴らすと、おもむろに口を開いた。 「何も…聞かねぇ、の?」 テーブルを挟んで、上目遣いに三蔵を見上げる。その無防備な仕草に、内心で舌を打つ。 「別に、てめえの素性に興味はねえよ」 にべも無く言い放たれて、微かに悟空の顔に苦笑が浮かぶ。 「それも、そだね」 けれど、三蔵の次の言葉に、悟空は浮かせた腰を再びソファへと下ろした。 「だが、独り言を言うのは、てめえの勝手だ」 言い終わらないうちに、三蔵は手近にあった新聞を広げ、悟空を視界から消し去る。 悟空は数瞬固まってから、はにかんだ様に笑った。 何故、あんな事を言ったのか。 水面に落ちた雫が、その波紋を広げるように音も無く、しかし確実に今、三蔵の中で何かが変わろうとしていた。 |