おはなのおはなし〜夏の章〜


#6 朝一番の笑顔
 
 俺も随分と甘くなったものだ。
 そんな自覚がある、多分…
 法要で訪れた名家。いつもなら絶対に受け取らない貢物のそれを見た途端、頭に浮かんだのは、数年前に拾った小猿の顔。
 そして…奥向の庭に行儀よく並んだ、朝顔の鉢植え。
 悟空曰く、俺の色だと言う濃紫の蕾をたくさん付けた朝顔は、後二、三日もすれば一斉に咲き出すはずだ。
 
 さあ、朝なんと言って起こそうか…
 開いた花を見たら、どんな顔をするだろう…

 気がつけば、悟空の事ばかり考えていた。
「ったく…ザマぁねえな」
 金の台風に振り回される毎日、ただそれが満更ではないのだ。
 その事実に苦く笑って、並んだ鉢植えを眺めながら、紫煙を吐き出した。

「すげぇー!三蔵の花がいっぱいだ」
 早朝の澄んだ空気に響く、悟空の声と嬉しそうなその笑顔。太陽よりも明るいそれに、何故か眩しさを感じて、俺は少しだけ目を細めた。





#7 秘密の願い
 
 毎年、願うことは同じ。
 腹いっぱいの肉。
 腹いっぱいの魚。
 腹いっぱいの肉まん。
 腹いっぱいの…とにかく、喰いモン。
 そして、何より一番に叶えてほしい願い事。
「ずっと、三蔵と一緒に居られますように」

 奥向の庭に揺れる笹飾り。
 何がそんなに楽しいのか、少年は嬉しそうに手にした短冊を吊るしていく。色とりどりの短冊が、風になびいて笹といっしょにざわざわと音を立てている。仔犬のようにその下を動き回る、養い子を眺めていた三蔵は、咥えていた煙草を灰皿に押し付け、少年を呼んだ。
「裏山行って、花を摘んで来い」
 目的だけを告げられ、首を傾げる養い子を強引に行かせ、その気配がなくなると、三蔵はたくさん飾られた笹飾りの中から、一枚を外した。
「三蔵と ずっと いっしょ」
 自分の名前だけ漢字で書かれた短冊に、苦く笑って筆をとった。

「三蔵、何で花なんか飾るんだ?」
「七夕に笹を飾るのは最近になってからだ。本来は花を供えるんだよ」
「へぇ、そうなのかぁ。やっぱ、三蔵って何でも知ってんだな」
 笹飾りと悟空の摘んで来た、くちなしの花。
 なんで「くちなし」だと問えば、うまそうな匂いだったから。と、あまりにもらしすぎる答えが返ってきた。
 甘い芳香に包まれて、嬉しそうに笑う悟空。
 たくさんの願い事が揺れるその笹飾りの、たった一枚。
 毎年、密かに書き直される、悟空の知らない願い事。

「二人で ずっと いっしょ」





#8 たった、ひとつ
  
 旅の途中で、三蔵を散歩に誘うほど、難しいものは無い。
 そして、今日は数少ない成功した日。

「こっちだよ三蔵、なんか小っせえヒマワリみたいな花が、たくさん咲いてんだ」
 渋る三蔵の手を引いて、街のはずれの丘へ登る。目の前に広がる、橙色の平原は、少し湿った風に揺れていた。
「な、すげぇだろ。タンポポみたいなヒマワリ」
「バカ猿、ありゃ紅花ってんだ」
 聞きなれない名前を口にした三蔵に、俺は思わず首を傾げた。
「あの花は油や染料がとれるからな、そのための花畑だろ」
 素っ気無い三蔵の説明に、ふうんと頷き返して、俺は改めて紅花の花畑を眺める。
 丸いその花は、なんだか小さな太陽の群れみたいだ。
 思ってもそれを声にすれば、きっと三蔵は呆れる。だから、自分の中だけにしまっておく事にした。
 それに、太陽は幾つも要らない。
 うん、俺はたった一つの太陽だけでいい。
 俺だけを照らしてくれる、唯一の――俺の我が侭かもしれないけど…
「何だ…」
「ううん、何でも…ない」
 ちょっとだけ沈んだ気分になって、三蔵の腕に自分のそれを絡めた。それが、けして乱暴ではない仕草で振りほどかれて、俺は無意識に口唇を噛み締める。
「…バカ猿」
「え?…」
 解かれた腕は、そのまま俺を引き寄せた。
 さっきよりもずっと近くに三蔵の温もりが感じられて、鼻の奥が不意に熱くなった。
「さんぞ…」
 言葉が無くても、俺の気持ち三蔵に伝わってるって、思っていいのかな…
「お前の声は、よく聞こえんだよ」
「うん…」
 眼下には、小さな太陽の花畑。
 でも、俺の隣には誰よりも何よりも、綺麗で力強く輝く「俺だけの太陽」





#9 苦い思い出
 
「こんにちは、悟空」
 いつもの声と一緒に、涼やかな音が響く。
「八戒!」
 駆け寄った悟空は、その手にある鉢植えに視線を落とした。
「何コレ?」
 問いかけに、手にしたものを持ち上げながら、
「ほおずきですよ」
 いつもの穏やかな笑顔を浮かべたが、次の瞬間「おや」という顔に変わった。
「悟空?」
「ほ…ず、き」
 引きつったような顔で、悟空が一歩足を退いた。
「どうかしたんですか?」
「な、何でもないよ」
 それが嘘だというのは、すぐに分かった。悟空はもともと、隠し事や嘘が下手だし、何より奥の執務机で、少年の保護者が肩を震わせている。
「三蔵!言っちゃだめだかんな」
「さあな…」
 滅多に見られない最高僧の笑い顔に、八戒は大いに興味をそそられた。
「悟空、僕にも教えてくれないんですか?」
「だから、何でもないんだって!」
 ムキになって答える悟空の背後で、ふっと紫煙が上がった。
「そいつは…」
「わぁーっ!ダメダメッ!!」
 言いかけた三蔵に、悟空は飛びついてその口を塞ごうとした。
「言わないでよ!俺、三蔵の言う事何でも聞くから」
 その時、確かに最高僧の口元が上がったのを、八戒だけは見逃さなかった。
「何でもだな」
 自分の上にのし上る養い子に念を押しながら、ちらりと訪問者に視線を送った。
「あはは、悟空、僕これで帰りますね、ちょっと用事を思い出したので」
 そそくさと部屋を後にして、山門を抜ける頃、深いため息を零した。

「去年、せっかく貰って来てやったのに、食い意地張らして食いつくからだ」
「だって、美味そうな色だったんだもん」
 ほおずきの実を口に入れた途端、口内に広がった例えようのない苦味を思い出して、悟空は三蔵の腕の中で顔を歪めた。
 そんな養い子をやすやすと抱え上げ、三蔵は迷う事無く、寝室の扉を開けた。
「さんぞ?」
「何でも言う事を聞くんだろ」
 その怜悧な笑いに、悟空の背中を冷たいものが下りていった。
 すでに八戒の姿はなく。悟空はその日、まだ陽も高いうちからベッドの住人となり、
「三蔵のエロ坊主」
 悪態の背後で、ほおずきの鉢についていた風鈴が、ちりりと澄んだ音を立てていた。





#10 ひまわりにっき

 そとはあめ すごいかぜ
 ひまわりだいじょぶかなぁ
 三蔵にいわれた「そえぎ」っていうのをしたけど
 ちゃんと さいてくれるかな

 窓を叩く大粒の雨、強い風は草木を激しく揺らしていた。
 もう長い間悟空はじっと、窓から離れずに暗くなってしまった庭を、眺めていた。
 その背中を、本日何回目かの溜息が叩く。
「悟空、もう寝ろ」
「…うん」
 返事はしたものの、一向に動く気配の無い養い子に、普段なら確実にハリセンが飛ぶのだが、それすらしないのは何を言っても無駄だと解っているから。
「悟空、何度も言わせるな」
 それでも三蔵は、いつもより低い声で悟空を呼んだ。
「さんぞ…でも」
「ちゃんと「添え木」をしたんだろ。さっさとベッドへ入れ」
 不機嫌ではあるけれど、厳しくないその言葉に、漸く悟空が窓辺を離れた。
「…おやすみ、なさ…い」
 他に何か言いたげに、自分のベッドに潜りこんだ悟空だが、やはりなかなか寝付けずに、布団の中でモゾモゾと寝返りを繰り返していた。と、不意にどさりとベッドが軋んだ音を上げ、驚いた悟空が顔を出すと、ふわりとその頭に手が置かれた。
「朝寝したら、メシ抜きだ」
 言葉と共に三蔵の手がゆっくりと、悟空の胡桃色の髪を梳きだした。
「さん、ぞ…」
 悟空の顔に漸く笑顔が戻り、それに目を細めて三蔵は、眠りを促した。
 心地いい感触に、養い子の瞼がとろんと落ちていく。

 風の音は聞こえない。いつしか、夜空には星空が広がっていた。
 翌朝、飛び起きた悟空は大きく膨らんだ蕾を見上げて、満点の笑顔を咲かせ、
「直だな」
「うんっ!」
 三蔵の言葉に、大きく頷き返した。


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