おはなのおはなし〜夏の章〜


#1 二人…

「静かだと思えば…」
 呆れを含んだ呟きと共に見下ろした先に、寝息を零す子供。
 降り続く雨に、室内はひやりとうすら寒い。寝こけた頬に指を伸ばした三蔵は、常よりも冷たいそれに眉を顰め、ため息を一つ吐いて、自ら軽い身体を抱き上げた。
 その時ふと目に留めたのは、お世辞にも上手いとはいえない、悟空の手習い。
『紫陽花』
 半紙いっぱいに書いたその名は、悟空曰く「三蔵の花」
 自分を表す二つの色を字に持った花だと、嬉しそうに笑った悟空の顔が蘇った。
「何でもかんでも、人に当てはめやがって…」
 苦く笑って、悟空の身体をベッドに横たえると、腰を下ろして胡桃色の髪を指に絡めた。

 ――外は雨だというのに…

 ――忌まわしい記憶しか無いというのに…

 数年前に拾った小猿が巻き起こす騒動に、以前ほど雨に捕らわれない自分が居る。
 そんな己の変化を、この頃漸く受け入れられる様になった。
「バカ面」
 囁いてまろい頬を包むと、眠る悟空の口元が微かに笑った。
 掌から伝わる温もりに目を細めて、三蔵は静かに寝室を後にし再び戻って、そっと枕元にそれを置いた。
 それは彼によって朱筆の花丸三重丸と、ヘタクソの文字が加わった悟空の手習い。
 目覚めた悟空が、枕元に置かれたそれを見つけるのは、もう少し先の事…


 最初はやはり紫陽花から…三蔵を表す色が(紫とお日様色)入っているこの花を、悟空が嫌いな訳は無いっ!
 と、花淋の勝手な解釈。てか、悟空に嫌いな花なんか無いか…大地の子だもんね。
 ま、とりあえず始まりました。よろしくお付き合い下さいませ(ぺこり)





#2 四人…
 
 この時期、重い空気を背負う輩が二人居る。
 まぁ、経験した事を思えば、無理も無いのだが、やり難い事この上ない。そこでだ…
「お前、あそこに咲いてる花、登って取って来い」
 俺の言葉に猿と言うよりは仔犬の様に、キャンキャン騒ぎ出した悟空だが夕食の春巻き3皿で、契約は成立した。そして、奴がその木に登り始めると、慌てた八戒が隣へ来て、
「悟浄、あの木は…」
「ま、いいから見てろって」
 そう言って俺はニヤリと笑った。そのまま視線を泳がせれば、猿の飼い主も新聞の影に隠れた意識が、コッチに向いているのが解る。その時だった。
「だーーーーっっ!!」
「悟空!」
「やた♪」
 思惑通り、悟空は登っていた木から滑り落ちてきた。
「大丈夫ですか?ケガ…は…」
「ててて、ヘーキ…って八戒?」
 助け起こす八戒の肩が震えているのに、悟空は目を丸くしている。その間も、八戒はツボにはまったらしく、笑いをかみ締めている。俺は二人の傍へ行くと、
「悟空、その木はな「サルスベリ」ってんだ」
 言った俺を呆然と眺め、その顔が見る間に真っ赤になる。喚き散らす小猿に笑いが止まらなくなった俺と八戒。
「何だよ二人して!って、三蔵まで新聞に隠れて笑ってんじゃねぇっ!!」
 悟空の雄叫びが木霊した。
 
 それから、たどり着いた街の食堂で、豪勢に並んだ皿を前にした悟空が、ポツリとこんな事を漏らした。
「なんか、久しぶりにメシが美味く…感じる」
 その言葉が全てだ。

――止まない雨は無い
 
 俺の頭に唐突に浮かんだのは、柄にも無いそんな台詞だった。


 珍しく悟浄視点
 実は四人の中で、悟浄が一番情が深いような気がします。
 だって、三蔵は悟空限定だから…





#3 出会い頭?みたいな…

「そんなに心配なら、一緒に行けばよかったんですよ。あんなに誘ってたのに」
 早めにたどり着いた宿で、散歩に行こうと言った悟空の誘いを、素気無く袖にしたクセに、少し戻るのが遅いだけで、彼の周りの温度は明らかに室温よりも低い。そんな不器用な少年の想い人に、マグカップを差し出しながら、八戒は苦く笑った。
 それを無言で受け流し、カップに指が掛かる寸前彼の動きが止まる。
 パタパタと聞き覚えのある足音が部屋の外から響いてきた。
「ただいま」
 珍しく静かに扉が開いて、戻ってきた悟空はその両手一杯に、ビワの実を抱えていた。
 それを迎え入れながら、八戒がどうしたのかと問えば、宿のおばちゃんと一緒に採った。と、あまりに悟空らしい答えが返ってきた。
「今年の実はデカくて甘いって、おばちゃん言ってた。早く喰お♪」
 嬉々としてビワの皮を剥きだす悟空に、八戒と悟浄もつられてオレンジ色の実を手に取る。
 そして、それは起こったのだ。
「はい、さんぞ」
 悟空は最初に剥いたビワの実を、迷う事無く三蔵に差し出し、あろう事か彼もまたその実に直接喰いついたのだ。
「やん、指まで喰うなよ」
「甘え…」
「美味いだろ」
 その光景に、彼ら以外の全てのものが硬直する。ややあって、
「今、何か見ましたか…」
「見てない。俺は断じて、絶対、何も見てないっ!」
 遠い目をする八戒と、捨て鉢に叫ぶ悟浄の姿がそこに在った。

「さんぞ、まだ食べる?」
「もういい、後はお前が喰え」
「うん♪」
 ビワの甘い香りより尚甘い空気が、部屋一杯に広がっていた。


 ちょこっと反則技
 や、我が家のビワの木、今年大豊作なんで…





#4 花を抱(いだ)く

 雨が降る―――

 全ての音を飲み込んで…
 温もりを奪って…
 
 紅く染まった手だけは、雨を弾くように、そのままで―――

 浮上した意識。身体だけが異常に重く、指を動かすのも億劫で、けれど頭だけは冴えて。
 三蔵はゆっくりと起き上がり、乱暴にその金糸をかき上げた。
 背中の湿り気が不快指数を更に上げて、眉間の皺は深くなる。部屋全体がじっとりと湿った空気に包まれて、何かをする気力さえ奪っていくようだった。
 苛々と煙草を咥え、苦い煙を肺いっぱいに吸い込んでも、滅入った気分をどうすることも出来ない。
 そんな三蔵の背後で、躊躇いがちに扉が開き動いた空気に、それが誰なのか直ぐに解ったが、振り返ることもしなかった。
 聞こえるのは抑えた足音、ことりと何かを置いた音。そして…
 三蔵が腰掛けていたベッドがもう一人の体重に軋んだ音を上げ、それから二本の腕がそっと三蔵の頭を引き寄せた。
 何も言わない。
 
 三蔵も―――

 悟空も―――

 雨は降り続いて、空気が水気を含んで圧し掛かるように重いのに、何故か触れ合ったところから心地よい温もりが伝わって、三蔵は静かに目を閉じた。

「なんにも聞こえない…」
 らしくないほどの落ち着いた声に、
「猿の鼻息」
 三蔵らしい返事。ふっと空気が笑った。
「三蔵の心臓の音……ちゃんと動いてる、トクン…トクンって」
 腕の力が強くなって、三蔵の肩に胡桃色の頭が乗る。日向くさい匂いがした。

 翌朝。
「三蔵、今日はきっと良いお天気になるよ」
 万年青空の笑顔が言った。
「ほら、この花が咲いてるだろ、これ――」
「まつばぎく…晴れた日にしか咲かねぇ花だ」
 三蔵の言葉に驚いて金瞳を丸くする悟空に、
「さっさと支度しろ。置いてくぞ」
 素っ気無いいつもの口調。
 悟空はぷぅと頬を膨らませ、けれどその顔を笑顔に変えた。
「へへ、さんぞーだ♪」
 
 雲の切れ間から、太陽が顔を出した。





#5 ひまわりにっき

 さんぞーからもらった ひまわりのたね
 めがでて おっきくなった
 いまは おれとおんなじ
 はやく はながさくといいな

 庭の片隅、梅雨の合間に顔を出した太陽が、少年の影を伸ばしている。
 尻尾のような胡桃色の髪がふわりと揺れて、振り返った自分の養い子。
「三蔵、ひまわり大っきくなったよな」
 駆けてくる様は仔犬のよう。
「梅雨時は水を加減しろよ」
「うん」
 春の花が終わる時、寂しいと顔を曇らせた悟空に渡した「ひまわりの種」。
 あれから悟空はかいがいしく、世話を続けている。少しだけ癪に障る…表には出さないけれど。
 ヘタクソな絵と字で「観察日記」なるものを書き出し、自分に見せに来る。その笑顔が、雨の季節には良い気分転換になっているのを、この頃やっと自覚した。
「もう葉っぱは俺の手より、デカいよ。ホラ」
 開いた葉に自分のそれを重ねて笑う。
「気ィ抜くんじゃねえぞ」
 彼なりの励ましに、ひと足早く咲いた、己だけの花。
 
 青い空と太陽とひまわり…愛し子の笑顔を思って、三蔵は深紫の瞳を細くした。
 

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