おはなのおはなし〜春の章〜


#6 リラックス
 黒檀の机上に増える書類に比例して、積もる吸殻の山。
 肩書きがある以上、執務が発生するのは仕方ない事だと分かっていても、ここ数日、三蔵はたった数歩先の寝室へ戻るのが日付が変わってからだった。
 黙々と真一文字に口を結んで手を動かす彼は、
【いつか倒れてやる】
 そんな昏い決意を胸の奥底に抱きながら、新たな煙草に手を伸ばした。

―コンコン

 響いた小さなノックの後静かに開いたドアに、顔も上げずにいると、風に乗って甘い香りが三蔵の元へ届いた。
「さんぞ」
 幼さの残る高い声で呼ばれ、傍まで来た彼の養い子は、その手に小さな花瓶を抱えていた。
 甘い香りはその花から匂ってくる。
「沈丁花か。どうした」
「あのね、この頃三蔵が疲れてるみたいだって八戒に相談したら、疲れてる時は甘いものが良いって、教えてくれたんだ」
 悟空は机の隅にその花瓶を置くと、
「でも、三蔵甘いモン嫌いだろ。そしたら、八戒がコレくれた」
 八戒ん家の庭にいっぱい咲いてんだ。そう言って、山になった灰皿の中身を、シンクのゴミ箱へ開けて元へ戻す。
 三蔵は持っていた煙草に視線を落とし、結局それを箱へ戻した。
「俺、ここに居たら邪魔?」
 恐る恐る聞いてきた悟空に、一度だけ目を向けた後、
「静かにしてるなら、かまわねぇよ」
 そうしてまた、手を動かし始めた。視界の端で捕らえたのは、嬉しそうな悟空の笑顔。
 さっきまでのイライラが消えている事に、内心で苦笑しながら、三蔵はすっかり甘い香りに支配された空気をいっぱいに吸い込んだ。





#7 ずっと一緒…
 西への旅は今日も続く。
 車の中で縮こまった身体を、木陰で伸ばしていた三蔵のところへ、嬉しそうに駆けてくる養い子。

―猿っていうより、犬だな

 そんな事を思った三蔵の目の前に、丸い綿毛が揺れた。
「たんぽぽ、あっちにいっぱい咲いてた」
 そう言って悟空は、空へ向かってその綿毛を飛ばした。
「初めてたんぽぽ見た時は、びっくりした」
 少年の言葉に、数年前の悟空の顔が蘇った。
 まだ寺院に居た頃、たんぽぽの群生を見つけた悟空が、渋る三蔵の手を引いてその場所へ連れて来た時、数日前まで在った黄色の絨毯は、すでに綿毛へと姿を変えていた。
 ショックで涙を溜めた悟空に、たんぽぽはたくさんの人に自分を見てもらいたいから、種を飛ばすのだ。と、教えたのは三蔵。
 風に乗って運ばれた種は、別の場所でまた咲くのだと。
 そう言った三蔵に、幼い悟空は確かこう言った。
『俺は、三蔵の傍にずっと居るよ』
 けして離さないと、法衣の端を強く握りながら。

「三蔵、俺は綿毛みたいに飛んでかないよ。ずっと三蔵の傍に居る」
 あの日と同じ顔で、あの日と同じ言葉を告げた悟空。
 そして、自分もあの日と同じ事を言うのだ。
「好きにしろ」
 あの日と同じ様に煙草を咥え、けれど今日は、そっと悟空の身体を抱き寄せた。





#8 小さな仕返し
 『俺の家を何だと思ってんだコイツら』
 リビングの片隅で、傍観者を決め込んだ家主。同居人は外へ出たきり戻ってこない。
 金の台風は、奥の客間に立てこもり。追いかけてきた紫の彼は、むっつりと紫煙を吐き出すだけ。
『大体、何で自分ん家で、小さくなってんだよ俺』
 そこへ漸く戻ってきた八戒は、その手に小さなブーケを持っていた。
「三蔵、コレを悟空へ渡してあげてください。きっと機嫌を直してくれますから」
 その笑顔は最強で、最高僧ですら動かしてしまう事を、緋色の家主も分かっている。
 案の定、三蔵は顔こそ不機嫌だが、何も言わずに奥の客間へ消えた。
 暫くして。
「八戒、悟浄、迷惑かけてごめんなさい」
 ブーケに顔を半分隠した悟空と、先程より幾分機嫌を直した三蔵が、リビングへ戻ってきた。
「仲直りできましたか?」
「うん…」
 大切にブーケを抱え、桃色に染まった顔をほころばせる。
 手を繋いで仲良く帰る二人を見送って、
「なぁ、あの花束に何か意味でもあんのか?」
 嬉しそうな悟空の顔を思い出しながら、ぽかりと紫煙を吐き出した悟浄。八戒はコーヒーのカップを出しながら、
「今、街のお嬢さんたちの間で、話題になってるんです。あの花でブーケを作った花嫁さんは、幸せになれるって」
 つまり。
 寺院へ帰る道すがら、そのブーケを嬉しそうに持った悟空と三蔵は、かっこうのネタとなった訳である。
「いつもいつも、あてられっぱなしじゃぁねぇ」
 にっこりと笑う同居人に、さっきまでのイライラは消えて、少しだけ彼らを気の毒に思う赤髪の青年の姿がそこにあった。





#9 手のひらを太陽に
 宿へ着くと悟空は八戒の買出しにくっ付いて行く。けれど時々、そうたとえば今日のように、のんびりとした空気の時は、三蔵の傍に居たがる。
 構って遊んでくれる訳ではないのに、同じ空間の中に居ることが嬉しいというのだ。
 三蔵にしても、悟空のそんな健気なところは、大いに気に入っているので好きなようなさせる。
 そして、顔を覗かせたのは珍しい気まぐれ。
「散歩にでも行くか?」
 眼鏡を外した紫暗の先に、はちきれんばかりの太陽の笑顔。
「さんぞ!早く、早く」
「慌てるな」
 見えない尻尾を目いっぱい振った悟空に、普段では想像もつかないほど穏やかな表情の三蔵。
 前方に見えてきた木立に、二人は足を止めた。
「真っ白の木だ…」
「こぶしだな」
「こぶし?」
「蕾がこぶしを握った形に似てることから、その名前がついた」
 枝いっぱいに咲いた真白の花は、すでにそのこぶしを開き、あたりに芳しい香りを放っていた。
「なんか手をいっぱいに伸ばして、太陽を捕まえようとしてるみたいだ」
 自分の手を同じ様に空へ向けて呟く悟空に、
「お前は捕まえたか」
 煙草に火を点けながら尋ねてみれば、なんとも嬉しそうに頷く愛し子がそこに居た。
「うん…」
「そうか…」
 立ち上る紫煙と、揺れる花。その先に光る太陽。暖かい春の風が二人の頬を撫でていった。





#10 花よりダンゴ
「何と言っても、悟空に一番甘いのは三蔵ですよね」
「そらま、そうだわな」
 西への道は易しくはないし、時間に余裕がある訳でもない。それでも今、この状態はどうだろう。と、二人の仲間は苦笑いを零す。
 と、いうのも、ジープの後ろで人一倍目の良い悟空が見つけたのは、一面の菜の花畑。
 先を急ぐと言った三蔵。止まってと強請る悟空。勝負なんか最初から着いている。
 結果、ジープとはしゃぎまわる悟空を、見た目不機嫌面で見る三蔵の、口元が微かに上がってるのを、見ない振りして八戒と悟浄も、悟空の与えてくれたのんびりを満喫する。
「それにしても元気ですねぇ、悟空」
「それっきゃ、とりえが無いっしょ」
 ぽかりと煙を吐き出して、悟浄はごろりと横になった。
 悟空のあの元気と無邪気な笑顔は、三蔵だけでなく、自分たちにも大いに影響する。
「まぁ、コレで少しは三蔵の機嫌も良くなるでしょう」
「そりゃ、願ったりだ」
 そんな取り止めの無い会話を交わす二人の所へ、悟空が駆け戻って来た。
「なぁ八戒」
「何ですか、悟空」
「菜の花って、おひたしにすると美味いんだろ。これだけあれば、腹いっぱい喰えるよな」
 その途端、間違いなく彼らの周りの温度が下がった。
 片手で顔を覆った悟浄。苦笑いの八戒。そして、空に乾いた音が響いた。
「バカ猿ッ!結局、それかテメェは」


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