おはなのおはなし〜春の章〜


#11 少しずつ
 朝、元気に外へ飛び出したはずの悟空が、寝室の隅で小さくなっている事に、三蔵が気付いたのは、昼を少し過ぎた頃。
「何してんだ。昼メシも喰わねえで」
 三蔵の声に、ビクリと肩を揺らし、ゆっくりと上がった悟空の顔に、確かに見覚えがあった。
 怯えた金の双眸。薄い水の膜が張った大きな瞳が、縋るように三蔵を見上げていた。
「どうした」
 膝を折って、悟空の顔を覗き込むと、瞳を閉じた途端にパタパタと雫が零れ落ちた。
「どうした、悟空。ん?」
「さん、ぞ…さんぞぉ」
 震える背中を擦り、落ち着くのを静かに待つ。暫くして、悟空の口を吐いた言葉に、三蔵は首を傾げた。
「雪…降ってる」
「雪?」
 涙交じりの悟空の説明を聞きながら、三蔵は小さく溜息を零し、その身体を抱き上げ、庭へ降りて行った。
「さんぞ、ヤダよ…」
「よく見ろ悟空。アレは雪じゃねえよ」
「ふぇ…」
 止め処なく舞い散る白く小さなそれを手のひらに載せ、三蔵は悟空の鼻先へ近づけた。
「これはな、雪柳ってんだ」
「ゆきやなぎ?」
「ま、雪に見えねえ事はねぇが、よくみりゃ分かんだろ」
「だって…俺、びっくり、し…て」
 悟空の中にある、雪に対する恐怖は根深い。
「少しずつでいいから」
 三蔵の言葉に、つっと悟空の頬を涙が伝い、けれどはにかんだように笑った。
「さんぞ…ハラ、減った」
 それがあまりにも悟空らしくて、三蔵は口の端を上げて、部屋へ戻っていった。





#12 花便り
 開け放たれた執務室の窓。空から微かな羽ばたきが聞こえて、三蔵は筆を置くと腰を上げて、窓辺へと立った。
 音もなく舞い降りた真白の生き物は、口に咥えていた一輪の花を、三蔵の手に落とし「きゅう」と一声鳴いた。
 潅仏会の所為で悟空が寺院を離れてから一週間。日に一度届く養い子からの花の便り。
「今日は矢車菊か」
 深い蒼の花を眺めて、三蔵は穏やかな笑みを零す。
 それを机上の一輪挿しに活けると、そのまま寝室へ向かいそこから、庭へと降りて行った。
 暫くして戻った彼の手には、黄色い花をつけた小枝が一本。
 一筆箋に流麗な動きで何かをしたためると、小枝に結わえ付け、翼をたたんで待っていた小さな友人に、
「頼むぞ」
 と、差し出した。甲高い返事の後、来た時と同じ様に大空へ飛び立って行った。
 相変わらず、頭には寂しさを堪える声。それに小さく嘆息して、
「我慢してんのは、お前だけじゃねぇんだよ」
 呟いて、ジープが消えた空を見上げる。
 懐を探って、愛煙を一本咥えると深々と吸い込んでから、帰ってきたら我が侭の一つくらいは聞いてやってもいい。と、らしくもない事を考えて、けれどまんざらでも無さそうに口の端を上げた。





#13 花の約束
その日、この家の本当の主である悟浄が帰宅したのは、けして遅い時間ではなかった。
「何、小猿ちゃんてば、もう寝てんの?」
「ええ」
 珍しくはない大勝ちで、懐があったまったおすそ分けにと、山ほどの菓子を抱えて帰ってきたのに、当の居候は既に夢の住人となっていると言うのだ。
 悟空がこの家に来て一週間。寂しさを我慢する悟空の顔が浮かぶ。
「さっき、ジープが三蔵の手紙を持って、戻ってきたんです」
「ああ、例の定期便?」
 離れている間中繰り返された、二人の花の便り。微笑ましいと同時に少しだけ妬けるとも思った。
「潅仏会も終わって、明日迎えに来るって書いてあったんです」
 八戒のそんな説明を背中に聞きながら、悟浄はそっと客間の扉を開いた。
 ナイトランプに浮かぶ寝顔。その手にはしっかりと、件の手紙が握られている。
「前に貴方が言ったでしょう。早く寝れば早く朝が来るって」
「で、寝てるわけ?」
 あまりの素直さに、思わず苦笑が漏れた。
「愛されてるねぇ、三蔵様」
「悟空だってそうですよ」
 潜めた声に、思い出し笑いを含めて八戒が呟いた。
「三蔵の今日の花はミモザだったんです」
 悟浄の先を促す視線に、
「ミモザの花言葉、秘密の愛って言うんです」
 その瞬間、なんともやるせない顔をした悟浄に、八戒も小さく肩を竦めて見せた。





#14 誰にとっても…
「で、お前はいつから植木屋になったんだ」
「煩せえ…」
 呆れた声に悪態を吐きながら、けれど動いてしまう自分が恨めしい。そんな事を思いながら、悟浄はただスコップで土を掘っていた。
「悟浄、それくらいでいいですよ。ありがとうございます」
 八戒と己の養い子が抱える低木の植木を、しげしげと見つめ三蔵は、
「そんなモン植えてどうすんだ」
「育てんだよ、オレが!」
「無理だな」
 にべも無く告げられ、悟空の頬がぷぅっと膨れる。
「出来るもん!八戒にちゃんと教わったから」
 ムキになって反論する、それを宥めすかして、八戒は悟浄の掘った穴に、その木を植えていき、
「ここは日当たりがいいですから、お水はたっぷり上げてくださいね。でも、根っ子にはかけちゃダメですよ、根腐りしますから」
「分かった!」
「今年の花は終わりですけど、来年もきっとたくさん咲きますよ」
「うんっ!」
 結局、嬉しそうに水を撒く悟空に何も言えず、三蔵は煙草を咥えてそれを見ていた。

「おい、何だって連翹なんだ」
「おや、三蔵はあの花の名前知ってるんですね」
「昔、金山寺にもあったからな」
 少しだけ遠い目をして、紫煙を吐き出す横顔に、
「連翹の花言葉は「希望」なんです」
 呟く八戒に、ちらりと視線が動いた。
「ああ、でも悟空が連翹を選んだ理由は違いますよ」
 そう言って笑う八戒から、庭で悟浄とじゃれる養い子に目が移る。
「連翹の実は薬になるからな、少しは役に立つだろう」
 つまらなそうに言って、再び煙草を咥える隣の男に、八戒はくすりと笑みを零した。睨みつけたそれをあっさりかわし、
「良い薬ですよね」
 そう言って、くつくつと肩を震わせた。





#15 育むこと
 天気がいいのに、悟空は遊びにも出掛けず、執務室の三蔵の足元でヒザを抱えていた。
「どうした」
 暫くは放っておいた三蔵も、動く気配がない悟空を訝しんで筆を置く。
 悟空はモジモジとしていたが、三蔵の手が安心させるように頭へ置かれると、やっと口を開いた。
「なんか、寂しいなぁって…」
「寂しい?」
「うん、この前まで桜もたんぽぽもたくさん咲いてたのに、いつの間にか無くなっちゃうんだもん」
 悟空の言葉に、三蔵は背後の窓に目を向けた。
 今日は随分と風が強い。悟空の言うとおり、このままでは木々の桜も散ってしまうだろう。
 今年は寒さがいつまでも続いていた割りに、花がほころびはじめると一気に気温が上がった。
 悟空の好きな花の季節は、呆気なく終わってしまうようだ。
「これから咲く花だってあるんだ。んなシケた面してんな」
 ポンポンと置かれた手が、数度その頭を叩くと、漸く悟空は「うん」と頷いた。

 数日後、三蔵は悟空の小さな手に、五粒の花の種を乗せた。
「きちんと世話をしろ。そうすりゃ、夏にデカい花が咲くぞ」
「デカい花?なんていうの」
「ひまわりだ」
「ひまわり」
 手の中の小さな種を見つめ、それから三蔵を見た。
「寂しいなんて言ってるヒマはねえぞ、しっかり面倒みねえと枯れちまうからな」
「うん!」
 明るい返事を返す悟空に、三蔵も目を細めた。
 それから ―――
 毎日のように庭の片隅にしゃがみこむ悟空と、時折それを執務室の窓から見守る、三蔵の姿が見られるようになった。

 そして、天上の太陽が、その光を少し強めた頃。
「三蔵!出たよ、ひまわりの芽が出たっ!」
 嬉しそうな悟空の声が、青空に響き渡った。


close