仁 慈



 山道を走り出して暫く、右肩に掛かった重みに悟浄が視線を落とした。
「猿?」
 普段であれば猿のように「猿じゃねえ!」と返る声がない。
「おい、どうした?」
 肩に手を乗せると、
「おぉい、悟空」
 慌てたのはその身体が傾いたからだ。
「悟空、おい!」
 支えて覗き込んだ悟空の顔は青白く、眉根を歪ませて汗を流していた。
「悟空!」
「悟空、どうしました?」
 ただならぬ様子に車を停め、八戒も振り返る。
「……ち、悪…」
「何だ悟空、どうしたんだ」
「気持ち……わ、る」
 漸く聞き取れるほどの声、悟浄の服を握る指先は真っ白に変わっていた。
「気持ち悪いって、お前…」
「…吐、く」
「掃く?」
「字が違いますよ、って冗談言ってる場合じゃないでしょう。悟空しっかりしてください」
 悟浄の服を握り締め、細い肩を震わせて悟空は懸命に歯を食いしばりながら、小さく頷いた。途端。
「う…え」
「おおぉい、猿!上向け上!」
 慌てた悟浄は思わず震える身体を抱え直し、その時微かに聞こえた舌打ちは、絶対確実に自分に向けられたのだ。と、悟浄は頬を引き攣らせた。
「おい三蔵!何とかしろよ、お前んだろコレ」
「悟浄!」
 八戒の非難も、それどころではない。今はわが身可愛さだ。このままでは標的確定なのだから。
「そのまま動かさねえで抱えてやがれ。八戒、車を停められる場所まで移動しろ」
 その絶対的な発言に口を挟む余裕もなく、
「悟空、もう少し我慢してくださいね」
 青白い顔に呼びかけて、八戒は静かに車を発進させた。


「悟浄そっとですよ、そうっと降ろしてください」
「ああ」
 山道を進み拓けた木立の脇にジープを停め、急ぎ広げた毛布の上にそっと横たえられた悟空は、顔を歪ませ消え入りそうな声で三蔵を呼んだ。
 すると三蔵は黙って腰を下ろし、ゆっくり悟空の身を起こすと横抱きにして、自らも瞳を閉じた。
「さん、ぞ…」
「黙ってろ」
「でも…」
「吐きたきゃ吐いてもかまわん」
 そんな二人のやり取りを半ば唖然と眺めていた八戒と悟浄は、自分たちを取り巻く空気の質が変わった事に気づいて、互いの顔を見合わせた。
 春まだ遠い季節。それなのに頬を撫でる風も足の裏から伝わる熱も、眠りを誘うほどに穏やかで暖かい。気がつけば、悟空は三蔵の腕の中で規則正しい寝息を零していた。
「あの…聞いてもいいですか」
「何だ」
 眠る悟空を離す気配もなく、三蔵は硬くなっていた肩の力を少しだけ抜いた。
「悟空の変調の原因を知っているんですか?」
 八戒の質問に三蔵は暫く黙って、それから低い声で話し始めた。
「こいつは良くも悪くも「大地の子」と呼ばれているからな。自然の変化には敏感だ」
 首をかしげる二人を前に三蔵の話は続く。
「奪われるはずの無い命が奪われ、必要のない血を大地が吸い上げた。大地は…今、この世界は妖怪の変異によって、生命の均衡が崩れ始めている…」
「本位でない死が多すぎて…悟空は、その負の波動の影響を受けている。と言うことですか」
 黙って視線を落とす三蔵を見ながら、悟浄がポツリと漏らす。
「純粋すぎても、いい事ねえのな…」
 それから八戒が何かに気づいて三蔵を見つめ、
「もしかして、浄化…したんですか」
 その目に驚きの色を認めて、三蔵がむっつりと口を開く。
「俺を誰だと思っていやがる」
「ははは、そうですよねえ」
 乾いた笑いを上げた八戒の前で、悟空を抱き上げて三蔵が立ち上がる。
「行くぞ、今日中に町へ入る」
「え?」
「寺に居た頃から、こうなった後は必ず発熱する」
「ああ、何となく納得」
 三蔵の言葉に悟浄が煙草を咥えて立ち上がった。
「飛ばしますから舌噛まないようにしてくださいね」
「らじゃ、俺は前でいいんだろ」
 悟浄はニヤリと笑って助手席に身を落ち着けた。三蔵が何もいわず後部座席に座ると、八戒が毛布を差し出し、それを受け取る。


 ジープに揺られながら、三蔵は寺に居た頃を思い出していた。
 泊まりの仕事から戻ると決まって翌日、悟空は熱を出した。理由が分からず初めの頃はよく小言を言ったものだ。自分が見ていないところで悟空が受けていた仕打ちを知ったのはそのすぐ後の事。人の心の醜さを見せ付けられ、同時に悟空の真っ直ぐで清かな心を知った。
 悟空は強い。戦闘的なことを言えば、おそらく四人の中では群を抜いて強いはずだ。けれど、
 穢れを知らぬ、穢されることの無い真白の心。
 その心を自らは守れない。そして、それが出来るのは三蔵をおいてはいないのだ。
 三蔵にとってそれこそが「己が強く在るため」の理由。
「さん、ぞぉ」
「どうした」
「…寒い」
 三蔵の思考を戻した悟空の声は細く、その顔は雪のように白い。
「町に着くまでの辛抱だ」
「ん…」
 毛布に包まれた身体を強く抱きしめ、眠りを促す。ゆっくりと瞼が金の双眸を隠し静かな寝息を紡ぎだすと、三蔵も目を閉じて小さくその口元を動かした。

―――渡さない、相手が誰であろうとも。手に入れたこの存在は、けして離しはしない。

 それから奥歯をかみ締め、三蔵は挑むように前方を睨み続けていた。



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ブログの書きかけの小話です。
甘くないし、どっちかというと暗い…悟空にしてみればいい迷惑的な、またの名を八つ当たり?ともいう。
世界中を敵に回しても、君だけは守り続けるよ。
みたいな、三蔵様の決意とうい事で(笑)
花淋拝

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