日 和



 久しぶりに再会した大将は自分たちよりもボロ雑巾だった。
 おまけに「黒い三蔵」と人が豹変(かわ)った上にメタモルフォーゼまでした「西の司教様」相手の特異な三つ巴戦を、振り切って?逃げて?…まあ、あれだ。それらを何とかやり過ごした「真の三蔵法師一行」はジープに揺られ、えっちらおっちらたどり着いた町で、
「三日間お願いします…ええ、四人です…名前は…隼、です」
 漸くまともな寝床と食事を確保した。


「俺…三蔵と一緒がいい」
 尻すぼみに小さくなる声がそれでも自身の希望を告げ、四人の中で一番小さな手が、今は埃と泥で汚れた「証」の法衣をギュッと握り締めているのを見て、八戒はその頬を緩めた。
「僕は構いませんよ。二人ともいいですよね」
 確認と言うよりは念押しに近いニュアンスで笑顔を作る八戒に、「異議な〜し」と悟浄は片手を上げた。
「じゃ、僕らは隣へ移りますね。それと買出しは明日でいいですか? 三蔵」
「構わん」
「解りました。それじゃあ悟空、夕食の時間になったらまた来ますね」
「う…うん」
 あっさりと叶った自分の希望に拍子抜けしたような悟空は、けれど三蔵と二人きりになると途端に落ち着かなくなった。
「え、と…三蔵、あの、ノド…ノド乾いてない? お茶…」
「おい…」
「お茶…よりビールがいいか」
「おい」
「あ、それより風呂…そうだ、風呂の方が…」
「悟空」
 低い声音に悟空の動きが止まり、肩が震える。そんな態度に三蔵は盛大な溜息を一つ。それから、
「ほら」
 その一言に弾かれたように悟空が三蔵を見つめる。
「さんぞ…」
 差し出された右手と、自分だけが見ることを許された柔らかい紫暗の輝き。
「ほら…来い、悟空」
 呼ぶ声は聞きなれた優しい声。
「三蔵…」
 鼻の奥が熱くなってじわりと悟空の視界が滲んだ。ぎこちない一歩を踏み出した後、飛び込んでいった細い身体が広い胸に包み込まれる。
「三蔵、三蔵…―――三蔵ぉ!」
「…―――悟空」
 久しぶりのお互いは、懐かしい匂いに包まれる。
 胸いっぱいに吸い込んで、固く抱きしめあって。
「三蔵…身体…身体平気? どこも…どこ、も」
「んな、ヤワじゃねえよ…―――お前はどうなんだ…痩せただろ」
「俺は…おれ」
 言葉は続かず、ただ縋り付くだけの。背中に回った法衣を握る手、額をこすり付けるように全身で三蔵を感じようとする悟空に、口唇をかみ締めながら三蔵もまた頬を寄せた。
「三蔵…三蔵」
「ここに居るだろ。どこへも行かねえよ」
 そう言って悟空を抱き上げると、寝台へ向かう。
「三蔵?」
「寝るぞ」
「寝る…って」
 布団へ下ろされて、悟空が戸惑いの瞳を向ける。
「疲れてんだよ。お前だって白い顔じゃねえか」
「でも…」
 やっと会えたのに。そんな声にならない声を聞いて、三蔵が瞳を細めた。
「話なんていつでも出来るだろ。この先…いくらだって」
 そう言って、懐へ悟空を抱きこむ。心音と同じリズムで背中をたたいてやれば、案の定悟空は小さな欠伸を漏らした。が、本人はそれに逆らって何かを言うとする。
「さんぞ、俺…三蔵に…言いたい、こと」
「後だって言ってんだろ」
 縋るような金瞳はその奥に不安を抱えている。
「どこにも行きゃしねえよ。このままで居てやるから、とにかく今は寝ろ」
「ホント?」
「ああ」
「わかった…」
 そして漸く悟空の身体から強張りが消える。三蔵が両の瞼に口唇を寄せると、それに倣って瞳を閉じた。幼子を寝かしつけるように三蔵の手がリズムを刻む。呼吸が深く静かになり、安らかな寝息と歳不相応なあどけなさが悟空の顔に浮かぶと、それを見つめていた三蔵の口元に小さな笑みが浮かぶ、金鈷から覗く額に口付けてから彼もまたゆっくり眠りの淵を降りていった。


 それはぼんやりと水面をたゆたゆような緩慢な刻(とき)、部屋中が茜色に染まった音の無い空間の中、
「さんぞう…」
 無意識に呼んだ悟空の頭に、そっと降りたぬくもりが髪を梳く。身体一つ動かさずに悟空はもう一度、さっきよりもはっきりした声で彼の名を呼んだ。
「三蔵…」
「どうした、悟空」
 囁くような三蔵の返事。

―――ああ、この声に名を呼ばれることを、どれほど望んだ事だろう…

 孤独な岩牢に居た頃から、たった一つ望んだのは名前を呼んでもらうこと。
 それを叶えてくれた、この世で何よりも誰よりも大切で、大好きな人。
「三蔵」
 自分に生きる全てを与えてくれた人。
 悟空は顔を上げると、真っ直ぐに三蔵を見つめた。
「ずっと…ずっとな…」
 悟空が紡ぐ言葉を三蔵は黙って聞いている、その瞳を逸らすことなく。
 そして少しだけ震えた悟空のその声は、本当に、一番に、告げたかった言葉を声に乗せた。
「ずっと…逢いたかった…―――逢いたかったんだよ、三蔵」
 水膜で覆われた金瞳と、けれど綺麗に笑った悟空を前にして、今は常よりも濃い紫暗の瞳がすっと細くなると、三蔵もまた悟空と同じ想いを音にする。
「ああ、悟空…俺もだ」
「三蔵…」
「お前に…逢いたかった」
 悟空の頬を撫でる手が涙で濡れていく。とめどなく溢れるそれを拭って、大きな瞳に口付けて、震える肩を抱いて、隙間が無いほどに抱き合って、
「悟空」
「三蔵」
 名を呼び合い見つめ合って、永く深い口付けを交わした。


「ひでえよ八戒。先にメシ喰っちゃうなんて」
「すいません悟空。二人を呼んだんですが、返事が無かったので…」
「よぉっく、オヤスミだったんだろ」
「なんだと、河童!」
「お、やんのか」
「まあまあ。ところで三蔵、明日の買出しはどうしますか?」
 悟浄と悟空のにらみ合いを抑えながら、八戒は黙ってグラスを傾けていた三蔵に向き直った。
 三蔵と悟空が真綿の夢から目覚めた時、外はすっかり闇に包まれており、まんまと夕食を食べ損ねた二人は八戒が気を利かせて用意していた夜食を摂るため隣の部屋を訪れていた。もっともその食事もあらかたは悟空の腹へ収まったのだが。
「あまりのんびりするのもどうかと思うので、少し多めに買出しをして行けるところまで行くと言うのはどうですか?」
 悠長な旅ではない。進めるのであれば、少しでも先へ行きたい。ここ最近、幾度と無く巻き込まれる厄介ごとには、ほとほとうんざりなのだ。そんな八戒の提案に、
「…お前に任せる」
 三蔵の返事は予想通り。そして八戒も「わかりました」と、お決まりの笑顔を浮かべた。
「さ、悟空。お皿の中身を片付けちゃってください。それと明日は一緒に買出し、お願いしますよ」
「おうっ! 任せとけ」
 すっかりいつもの調子に戻った悟空が元気な声を上げた。






「悟浄、悟空、忘れ物は無いですか?」
「「無〜い!」」
「ジープ、少し重いですけどがんばってくださいね」
「きゅっ!」
 山のように買い込んだ物をジープに詰め込み再開された四人旅。悟空の元気な声が、青空に吸い込まれていった。
 途中出遭った西の刺客を難なく蹴散らし、軽口を叩いたりハリセンを振るわれたり、それは本当に久しぶりの日常。
「この辺でお昼にしましょうか?」
「賛成!!」
 真白の太陽が頂点よりも少し西へ行ったところで、八戒が車を停めた。

「あれ、悟空眠っちゃったんですか?」
 食事の後片付けを済ませた八戒は、煙草を咥え新聞を広げる三蔵の隣に横たわる悟空の顔を覗き込んだ。腹いっぱいに食べたその満足げな表情に、八戒も頬を緩める。そして目に入った悟空の左手に深緑の瞳が曇る。
 出逢った頃より成長したその手は、しっかりと法衣の端を握り締めていた。
「そうやって貴方の手を捜した夜が何度もありました。僕たちは何も出来ずに、見ているしかありませんでした」
 潜めた声に隠しようのない苦渋を滲ませて、思わず口唇をかんだ八戒をその視界の端に捕らえて、三蔵は新聞を脇へ置いた。
「何もしてあげられませんでした。僕たちには…悟空を信じることしか」
 父のように兄のように、八戒は悟空の頬にかかった髪をそっと外す。
「それで、十分だろ」
 吸っていた煙草を地面へ押し付け、三蔵が静かに口を開いた。
「確かにコイツはまだガキだが、それでも自分の意思を持っている」
 眠る悟空を見つめる紫暗は、深い愛情に満ちていた。
「自分に何が出来るのか、自分は何をすべきなのか、コイツには解っている。俺たちは、それを見届けてやればいい」
「三蔵…」
 八戒の言葉は続かない。思い知らされた気がした。
 近くに居て何も出来なかった自分たちと、離れていても悟空を信じ続けた三蔵。
 絆の強さが、想いの深さが、どうしたって彼には敵わない。そして、八戒は小さく安堵の息を吐いた。
「強いですね…貴方も、悟空も」
 声に柔らかさが戻った八戒がさらに言葉を続ける。
「でも、見届けると言うなら、貴方の方も悟空が見えるところに居てくださいよ。糸が切れた凧みたいになるのは、貴方が一番多いんですから」
 その聞き捨てなら無い発言に三蔵が片眉を跳ね上げる。それをものともせず、八戒が悟空の身を包む為にブランケットを取りに行こうと立ち上がる、
「おい、一時間で起こせ」
 背後の声に振り返ったそこには、抱き込んだ悟空を己の法衣で包み込んで横たわる三蔵の姿。見開いた八戒の瞳が、すっと細くなる。
「寒くないですか」
「んな、ヤワじゃねえ」
 三蔵の言葉に声もなく笑って、八戒はそっとその場を離れた。

「―――…んぞ」
 もそりと身動いた悟空の、額に浮かんだ小さな縦皺にそっと三蔵が口付けると、その身体からふっと力が抜ける。ゆっくりと背中を撫でる暖かい手に安心して、再び安らかな寝息を零す愛し子。
 心地よい温もりと重みは、確かに求めていたもの。自分を呼ぶ少し甘えた声も、輝く笑顔も、温かい手も、失いたくないと願ったもの。いま、全てがこの手の中にある。満たされた安堵感に身を任せながら、三蔵も静かな微睡みの中を落ちていった。


「ごくう…悟空、起きてください。出発しますよ」
 聞きなれた声に、一度硬く閉じた瞼が静かに持ち上がる。
「は、っかい?」
「さあ目を覚ましてください悟空。そろそろ出発ですよ」
 笑みを崩さず自分を見つめるその人に、頷きながら身を起こした悟空の肩からするりとそれが滑り落ちる。
「え?…これ、三蔵…の」
 柔らかい肌触りの温かさとすっかり染み込んでしまった紫煙の匂い。自分を包み込んでいた法衣を見つめながら、抱きしめられて眠っていたのは夢だったのかと思う。
「夢じゃないですよ」
「うん…うん?え?」
 弾かれたように上げた顔の先、笑みを崩さず小さく頷き返す八戒を見て、悟空は黙って法衣に頬を寄せた。
「三蔵」
 悟空の声にチラリと後ろを伺った三蔵は煙草を咥えたまま。
「ありがと三蔵…あったかかった」
 背中に寄った悟空が法衣を広げれば、当たり前のように三蔵が袖に腕を通す。慣れた手つきで後ろから襟元を治した悟空は、そのまま彼の前に腕を回した。
 何も言わずに三蔵の背中に額をつけてじっと瞳を閉じる。
「ちょっとだけ…」
 呟くような懇願の声に、「好きにしろ」と返った素っ気無い返事。けれど、悟空の手を包むのは少し冷たい大きな手。その手が、自分の中に暖かい力を注いでくれる。

―――うん、俺は大丈夫だ

 心の中で呟いて悟空が微笑む。すると、まるでその声が聞こえたかのように、三蔵が発したのはたった一言。
「しっかり、ついて来い。悟空」
 ああ、力が湧いてくる。
 全身に広がる力を感じながら、悟空は元気よく背後の仲間を振り仰いだ。
「行こう! 八戒、悟浄」
「ええ」
「だな」


 昨日と同じ旅路。けれど、昨日とは違う自信と勇気に満ちた自分たち。
 最後に勝って笑うのは絶対に俺たちだ。と、それは確信。
「こんな厄介な旅は、さっさか終わらせちまおうぜ」
 悟浄の言葉が、きっと全て。
「今度はもっと、のんびりした旅がしたいですねえ」
 八戒が相槌を打つ。
「お前らとは御免だ」
 告げた三蔵に、
「うわ、きょーちょー性がねえ」
 笑った悟空の声が、大空に吸い込まれていった。



copyright(c)karing/Reincarnation



三人と一人が再会して間もない頃の話。
もっと、もっと強くなるという、悟空の決心。…かな

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