Next stage


 悟空がキレた―――
 原因は解らない。
 西を目指し、敵を倒し、宿へ入って一日を終える。それはもう当たり前すぎる、俺たちにとっての日常。
 今夜も同じはずだった。食事を終え、部屋でテーブルを囲んだ。その中の何が悟空の癪に障ったのか、気がつけば年上三人でも手が付けられない状況に陥っていた。

「いっつも、いっつも、いっつも、俺のこと猿だとかガキだとか言いたいこと言いやがって」
「そりゃお前、それが事実だからだろ」
 この程度はいつもの事だ。きっと、悟浄もそう思っていたに違いない。
 俺は煙草を咥え、八戒はただ苦笑いを浮かべていた。正直、煩ければいつもの一発を見舞ってやれば、それで終わるだろうと思っていた。

「もう、たくさんだ! 俺は何でも一番最後で、俺の話なんか後回しで、結局全部三人で決めて」
「悟空…」
「俺は戦うのに便利なだけなんだろ! おだててメシ喰わせておけば、いいだけだと思ってんだ!」
 どうやら、このまま好きに言わせておくと厄介な事になりそうだ。八戒がいよいよ本格的に宥めはじめたが、時すでに遅しだったようだ。
 興奮して涙も鼻水もドロドロで、もう自分が何を言っているのか、何を怒っているのか、悟空はきっと解ってはいないはずだ。
 ただ―――…
 俺だけが聞けるその声は現実のそれよりも、ずっと悲痛で苦渋に満ちた、ギリギリの叫びだった。

「悟空、落ち着いてください。 僕たちはけして貴方を蔑ろにした覚えはないんです。 いつもいつも一番がんばってくれるのは悟空じゃないですか、僕たちはすごく頼りにしてるんですよ」
「そうやって持ち上げてれば、俺が調子に乗って何でもやると思ってんだろ!」
「悟空、お前ちょっと言いすぎじゃ…」
「煩いっ!」
 三人の声を聞きながら、俺は思い出していた。
 悟空と出逢ったときの事、共に始めた暮らし、その中で生まれた想い。繋がった心、奪われそうになった生命。そして、失いかけた絆。
 俺は全てを捨てて逃げようとした。失う事に耐えられなくなる前に手放してしまえば、傷つかなくても済むと思ったから。だが、失ってからそれが本当に大切なものだったと後悔するのは、もっと愚かな事だと言うことにやっと気付いた。
 悟空が受けた苦しみや痛みは、俺の比ではない。俺にはその悟空の叫びを、甘んじて受けなければならない責務がある。
 悟空を―――失わない為に…

「やめる! みんなやめる! 戦いも旅も、全部。 俺はもう行かない! 三人とは行かないっ!」
「悟空!」
「おい!」
 二人にくるりと背を向け。しかし、その肩はただ震えるだけで、部屋を出て行こうともせずにすすり泣く、悟空の声だけが聞こえた。
「三蔵…」
 途方に暮れた二人の縋るような眼差し。俺はゆっくりと立ち上がり悟空の背に近づいた。
「悟空」
 びくんと肩が揺れる。振り向く気配のない奴に向かって静かに口を開いた。
「悟空…もう、戦いはいやか」
 僅かな間をおいて「いやだ…」と返った消え入りそうな声。
「俺たちと旅をするのもいやか」
 たっぷりの間をおいて、やはり「いやだ…」と悟空は答えた。
「…そうか」
 言った途端、悟空の身体が強張るのが解った。きっと、好きにしろと言われると思っているのだろう。まあ、ムリは無い。その悟空へ近づき、震える身体を後ろから抱きしめた。
「さ…ん、ぞ」
 いまだすっぽりと腕に納まる身体を抱きしめたまま、
「なら、違う土地で二人で暮らすか」
 そう問いかけると、息を呑む悟空の気配がダイレクトに伝わってくる。
「旅をやめてどこか違う、誰も俺たちを知らない遠い土地で、二人で暮らすか」
 じっと、返事を待った。
「な…んで、そんな、の…俺を捨てれば、い…じゃん。 三蔵、が…旅、やめる事…」
「構わねえよ、三仏神の命令なんぞクソくらえだ」
「だって…そしたら、経文…は? 牛魔王…だって」
「当然、三蔵の名前も召し上げられるだろうな。 そうなれば、俺は名無しだ」
 落ち着いた口調で告げれば、唐突に悟空が振り返り声を荒げた。
「駄目だそんなの! 三蔵が旅をやめるなんて、そんなの絶対駄目だっ!」
 噛み付くような剣幕のその顔に、俺はそっと手を置いた。
「お前は…まだ、俺の言葉が信じられないのか」
 涙に濡れた赤の強い金瞳を覗き込んで、八戒も悟浄も居る事など気にしなかった。
「お前が旅をやめるのに、俺だけが続けるのか。 俺にはお前が必要だと、失う訳にはいかないと、お前はいつになったら信じてくれる」
「三蔵…」
 俺を見上げた瞳から溢れ出す涙。真っ直ぐで清らかな、悟空の心そのままの透明な涙。
 もう何度、俺はこんな風に悟空を泣かせたのだろう。何度、傷つけたのだろう。己の弱さゆえに。失う訳にはいかない、手を離す訳にはいかねえんだ。
「泣くな…」
「ごめ…ごめん、ごめん…ごめん、三蔵――…ごめんなさいっ!」
 縋りついて赤子のように声を上げて泣く悟空が、ただ愛しくてたまらなかった。
「泣くな、お前が悪いんじゃない。 お前をここまで追い詰めたのは俺だ…悪かった悟空、俺を許してくれ」
「三蔵ぉ…」
 溜まっていたものを悟空が全て吐き出すまで、俺はその背を撫で深い胡桃の髪に頬を寄せていた。

 やがて、涙が止まって真っ赤になった金瞳で俺を見上げた悟空は、
「もう…疑わ、ない…三蔵を、疑わない…三蔵を信じる…言葉を、信じる…」
「一緒に、来てくれるか」
「行くよ…決めたのは、俺…だから。 西に行くって、決め…たのは、俺だから。 もう、逃げたり…しない」
「ああ、悟空」
 暖かい身体を抱きしめながら、悟空を失わずに済んだことを心のそこから神に感謝した。



 その夜、互いの身体にしっかりと腕を回して、泣き腫らした悟空の瞼に幾度も口付けて俺たちは眠りについた。
 久しぶりに見た夢で、やはり悟空は俺の隣で輝く笑顔を見せていた。
 
 翌朝目覚めたとき、悟空の大きな金瞳が俺をじっと見つめていた。
「起きてたのか」
「うん…」
 まだ、赤みの残る眦にそっと指を滑らせると、
「目がショボショボする」
 少し困ったように笑う悟空に、つられて口元を上げた。
「泣きすぎたな」
 目元に口唇を寄せれば、くすぐったそうに悟空が首をすくめた。
「いい天気みたい」
「そうか」
「また、一日忙しい…よな」
「そうだな…頼りにしてる」
 途端、悟空の顔が花が咲くような笑顔になった。こんな些細な一言でも、お前に喜びを与えてやれるんだな。

 身支度を整えた細い身体を抱き寄せて、何だと首を傾げた悟空の耳元へそっと囁く。
「離れるなよ…」
 一瞬見開いた金瞳が、嬉しそうに細められるのを見ながら、ゆっくりと口唇を重ねた。



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亀かカタツムリかという、のろまな更新スピードになっていますが、無事に6周年を迎える事が出来ました。
長くてあっという間の6年です。
いよいよ、本編も最終章へ突入ですが、悟空が笑顔でいられる事を願うばかりですね。
本編を期待しながら、できるだけ皆さんを待たせないように、これからも続けていこうと思います。
これまでの応援、本当にありがとうございます。そしてこれからも、変わらないお付き合いをよろしくお願いいたします。

11/23 花淋拝

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