〜それが強さになる〜




 いつだって貴方の傍に居たいから…


 三蔵が悟空の態度が少しぎこちないと気付いたのは、前の町を発って暫くしてから。
 山越えのこの道は、標高が高く気温も一気に下がっていく。そして、悟空の苦手なあの季節が近付いていた。
「うえ〜くっそ寒みぃな、ったく」
「町までは、もうすぐですから…悟空?大丈夫ですか」
「ぅん、平気…ちょっとハラ減っただけ…」
 鉛色の空は、今にも泣き出しそうにその雲を、低く広げていた。ほとんど日差しの無い今日は、降り出せば間違いなくそれは雪へと変わるだろう。
 少しずつ克服しているようだが、少年には微かな怯えが見え隠れるする。五百年間、悟空を苦しめた雪への恐怖は、生半なものではない。
 だからこそ誰もが悟空の元気の無さが、山の頂上を覆う雪の所為だと思っていた。


 今夜の寝床を確保して、まずは冷えた身体を温めるため、悟空、八戒、悟浄は宿の大浴場に居た。一人残った三蔵も、今頃は部屋の風呂に浸かっているだろう。けして、一緒に入る事は無い。それが少しだけ悟空は寂しかった。
「悟空は、三蔵の誕生日に、何か考えているんですか?」
「え…」
 ぼんやりと視線を泳がせていた悟空に、八戒は何気なく聞いた。
「このままで行くと、誕生日に町にたどり着くのはちょっと難しいですから」
「う…ん」
 三蔵の誕生日。
 悟空にとって、何よりも大切なその日は、間近に迫っている。けれど今、悟空の心は別のところにあった。
 

 少し熱めの湯船に浸かりながら、三蔵はゆっくりと目を閉じた。
 途端に、ここ数日の悟空の顔が浮かぶ。苦々しく顔を歪め、勢い良く湯で顔を洗った。
「くそっ、何だって俺が…」
 あんな猿の心配をしなければならない。
 そう思いながら、三蔵は少しずつ、記憶を辿り始めた。

「さ〜んぞ♪」
「離れろ、鬱陶しい」
 いつものスキンシップを、いつもの様にハリセンで退けた。だが、その時の悟空は、少しだけ態度が違うような気がした。
「何だ」
「う、ううん…何でも、ない」
 
 それが嘘だと直ぐに分かったが、問いただす前に悟空は自分から離れて行った。
 それから時折、酷く傷ついたような目をするのを、三蔵だけは知っていた。
 けれど、理由が分からない。それが腹立たしくて、苛々して、悟空の一挙一動に振り回される自分が、ひどくバカバカしいとさえ感じた。
 湯に浸かってさっぱりした体とは逆に、滅入った気分のまま風呂から上がった三蔵は、真新しい法衣に袖を通しながら、ふとあることに気付いた。
 手にした小さな小さな繻子袋。
 この旅に出発する前、悟空から貰った「匂い袋」は、いつも法衣の懐に在って、ちょっとした瞬間に仄かに三蔵の鼻を擽っていた。
 悟空曰く、三蔵の香り。甘いだけでない清涼感を持ったそれは、決して嫌いな香りではなかった。
「さすがに消えてきたな」
 鼻先へ近づけて漸く香るそれを、しかし三蔵は再び懐へと納めた。
 その時、何かが引っ掛かった。
『えへへ、さんぞーの匂いだぁ』
 抱きつくたびに胸元へその鼻っ面を寄せた悟空。様子がおかしくなったのは、いつもの抱きつきから、引き剥がした時からだ。
「まさか…な」
 そうして三蔵は、ベッド脇のサイドテーブルに煙草と匂い袋を、無雑作に放り投げた。

「あーっ!ハラ減ったぁ〜三蔵、早くメシ行こうメシ!」
 首からタオルを下げて、頬を赤くした悟空が勢いよく入ってきた。
「なんだ、また吸ってんのかよ。メシの前に煙草吸うと味が分かんなくなるって、八戒がよく言うじゃん」
「せえな、メシなんて喰えりゃ何でも、いいんだよ」
 そう言いながらも灰皿へ煙草を押し付ける三蔵を、笑顔で見つめながら悟空は、それを見つけた。
「これ…」
「ああ?それか」
「三蔵、持っててくれたの?」
 その少し震えた悟空の声に、勤めて素っ気無く答えた。
「もう、匂いも消えちまったな」
「うん……そ、だね」
 俯いてしまった悟空に、自分の考えが正しかった事を知る。
「バカ猿、泣いてんじゃねえ」
「だ、って…匂いしな…ったから」
 自分だけが知っている三蔵の香り。それがあの日、突然消えてしまった、それが悟空を不安にさせていた、雪の季節が近付いていたのも一因だったかもしれない。
「これが無くたって、俺は俺だ」
「うん、そうだよな…ごめん、三蔵」
 鼻を擦った少年の額を小さく小突いて、三蔵は悟空と共に階下へと降りて行った。

「おい」
 テーブルにつくなり、差し出されたワインボトルに、三蔵は眉を顰めた。
「ああ、大丈夫ですよ。これは僕らからですから」
「ま、一年に一度だからよ。大目にみろって」
 二人の笑顔に毒気を抜かれ、注がれたワイングラスを持つと、
「三蔵、誕生日おめでとう」
「おめでとうございます」
「おめっとさん」
 ささやかな宴が幕を開けた。

 テーブルの料理もあらかた(悟空の腹へ)片付き、グラスを傾けていた彼らは、突然立ち上がった悟空に、動きを止めた。
「俺…ちょっと出掛けて来る」
 言い放ってくるりと席を離れた。唖然と見送った仲間たちは、再び椅子の引かれる音で我に返る。
「三蔵?」
「部屋に戻る。まだ、飲んでたきゃ勝手にしろ」
 そう言って、数歩足を進めてから、
「今日の酒は…美味かった」
 呟くような声を残して、食堂を後にした。
「こりゃまた…」
「雪じゃなくて、槍が降ってきそうですね」
「だな」
 カチリとグラスを合わせて、笑いあった。


 部屋へ戻れば案の定、悟空の姿は無かった。
「だから、バカ猿だってんだ」
 窓の外は厳しい寒さとなっているはずだ、その中へ飛び出していったであろう悟空。
「あんなモンだけで、繋がってるわけじゃねえだろ」
 もうずっと前から…遥かの古から、きっと二人は繋がっていた。
 それでも、モノにこだわる悟空。
 何が、そうさせているのかは、分からない。分からないが、三蔵はいつだって悟空のしたい様にさせた。そしてそれを認め、受け入れてきた。
 今も、怒りは無い。ただ少し…そう、心配なだけ。
 窓辺に凭れ、帰りを待った。

 バタバタと廊下を駆ける、聞き覚えのある足音。そして、三蔵は愛用のそれを取り出した。
「た、ただい ——っ痛えー!」
 飛び込んだと同時に振り下ろされたハリセンに、頭を抱えて蹲る。
「どこほっつき歩いてやがった!バカ猿」
 物凄い剣幕に圧倒されそうになりながら、負けじと悟空は言葉を綴ろうとした。
「だって、俺やっぱ —— さんぞ?」
 それが続かなかったのは、キツく抱きしめられたから。
「こんなに冷てえじゃねえか…」
「三蔵…」
 押し付けられた胸元から温もりが伝わってくる。躊躇いがちに悟空の手が、背中に回ると、三蔵はすっかり冷たくなった胡桃色の頭に、口唇を寄せた。
「ごめん、三蔵…でも俺、どうしてもあげたかったんだ…」
 何を。とは、聞かなくても分かる。三蔵が腕を緩めると、悟空は小さな包みを差し出した。
 中から出てきたのは、見知った形。以前の繻子袋と色は違うが、香る匂いは変わらずに清しい。
「貰って…くれる」
 金瞳を不安に揺らしながら見上げている。三蔵はそれを悟空の手ごと握り締め、口付けを一つ落とすと、
「貰ってやるよ」
 悟空だけが見る事を許された笑顔で囁いた。


 翌日、出発時間を延ばした三蔵は、悟空を伴って町を歩いていた。行き先は、昨夜悟空が匂い袋を買った店。
 そこで三蔵は、同じものを悟空に与えた。
 形あるものだけが全てではないけれど、悟空がそれを持って、安心できるのなら、と三蔵は思った。
 この先、絶対的な命の保障は無い。それでもきっとこれが、二人を繋ぐ何かとなる。
 心だけでなく、悟空がその匂い袋を見て、笑顔になれるのなら安いものだ。自分はその笑顔さえ在れば…
「三蔵?」
 一人の思考にはまっていた三蔵を、現実に引き戻す金の双眸。
 ごまかすように煙草を咥えた三蔵に、首を傾げた悟空の視線が上を向いた。倣って空を見上げた三蔵は、微かに眉を寄せる。
「雪…」
「ああ……大丈夫か」
 思いがけない三蔵の言葉に、一瞬目を丸くして、それから悟空は小さく笑った。
「平気…三蔵と、コレあるから」
 自分の胸を軽く押さえて、三蔵を見上げる。そんな愛し子の手を、彼は握り締め、仲間の待つ宿へと帰って行った。


 誕生日は、特別な日ではない。
 いつだって、自分は特別な何かを貰っている。
 隣を歩く、かけがえの無い存在に ————









あ〜、間に合わなかった0時up(くすん)
でも、こうして「三ちゃんおめでとう!」を二度も書けたのは、皆さんのお陰です。
閑話休題と微妙に繋がったお話、でもやっぱり悟空は泣き虫だった。
ま、とにかく
HappyBirthday!!三蔵さま♪