Promise 天気が悪い。と、憂鬱になる・・・ 見上げた空には、分厚い雲が幅を利かせて太陽を隠している。降ったり止んだりしている雨に、屋根の無い車は本当に厄介で。 たどり着いた宿で、部屋に入った途端ベッドへ勢いよく身を投げ出した。 「ふ、ぁ…」 大欠伸に滲んだ目元をぐいっと拭って、腹は減ったけどどうせメシの時間までは何も喰わせてくれないだろうと、そのまま目を閉じた。 耳の後ろに鈍い痛みを感じながら… 「……くう…ご、くう」 肩を揺すられて、うっすらと目を開けるといつもの優しい翡翠の瞳が、覗き込んでいた。 「はっ、かい?」 「ご飯ですよ、悟空」 微笑みを張り付かせて、大きな手がそっと胡桃色の頭を撫で、離れて行こうとしたその指が一瞬悟空の頬に触れた。 「八戒?」 青年の顔から笑みが消えた事に、悟空は未だ横たえていた身体を起こそうと、頭を上げた途端。 「ぅ、え……」 ぐにゃりと歪んだ視界、腹から湧き上がるおう吐感と締め付けられるような頭痛。 「動かないでください、悟空」 滅多に発する事のない硬い声と共に、八戒は悟空の着衣を緩めると上掛けを肩まで引き上げた。 「はっかい…俺、どし…て」 心音と同じリズムで襲い掛かる激しい頭痛に、蜂蜜色の瞳が水膜に覆われる。 「大丈夫ですよ、きっとただの風邪です。過労と、このところのおかしな天気の所為でしょうから」 「か、ぜ?」 不安の混じった震える声の悟空を安心させるように、八戒は軽く上掛けを叩くと、 「薬と、三蔵を呼んできますから」 元の笑顔を浮かべてベッドを離れた。 「さんぞぉ…」 一人になった途端、押し寄せた不安は、恐怖にも似て、 「俺…また、さんぞ…めい、わく…」 透明な雫が幾つも、悟空のまろい頬を伝った。 「どんな具合だ」 隣の部屋へ入るなり、新聞の奥から掛けられた声に、八戒はその動きを止めた。 「三蔵?あの…」 「アイツの声は煩いからな…」 音を立てて読んでいた新聞を脇へ放り投げると、そのまま部屋を出て行く。半ば唖然とそれを見送った八戒は、話の見えない悟浄の呼びかけに我に返って、 「…敵いませんねぇ」 と、小さく息を吐き。 「何が?」 戸惑った悟浄の問い掛けに、苦笑いを漏らした。 背後で扉の音が聞こえ、近付く足音に悟空の身体が強張る。 「猿…」 その間違えようも無いそれに、ひくりと肩が揺れた。 一言呼んで、振り返る素振りも無い養い子に、三蔵は知れず嘆息して、 「おい、起きてんだろ」 先よりも幾分低い響きに、悟空はますます振り向けないでいた。 「さんぞ、ごめ…ごめ、な…さぃ」 嗚咽の混じったか細い声に、今度こそ三蔵は大きく息を吐いた。 「別に、怒ってるわけじゃねえ。だから、こっち向け」 そして、一度言葉を区切ると、 「悟空」 たった一人が聞く事のできる、どこまでも穏やかなその声音に、ひくっと悟空の喉が鳴る。 「さん、ぞぉ…」 振り向いた金瞳は、涙で赤く染まっていた。 「何、じゃ猿の調子が良くねえのに、三蔵は気付いてたのかよ」 三蔵の出て行った部屋で、八戒は薬を用意しておきながら、その腰を椅子から上げようとはせずに、目の前で煙草を吹かす悟浄に悟空の変調を伝えていた。 「ええ、僕もびっくりですけど、三蔵のさっきの言葉からすると、悟空の『声』で調子の悪いのに気付いてたみたいです」 八戒のそれに、ふーんと相槌を打ちながら、 「なのに、サンゾー様ってば自分から動かねえの」 呆れを含んだ悟浄の口調に、少し考えてから八戒は静かに口を開いた。 「多分、悟空の気持ちが解ってるから、何もしないのだと思いますよ」 「猿の気持ち?」 悟浄は素直に首を傾げた。 足手まといは必要ない―――― 三蔵が八戒に言った言葉は、同時に自分にも向けられている。 だからこそ、悟空は強く…誰よりも強く在ろうとしているのだ。 「一人で歩こうとする悟空の手を、三蔵は無理に引くような真似はしないという事ですよ」 今日だって、悟空が起きてくれば、何も言わなかった筈です。 そう続いた八戒の言葉に、 「ふ〜ん、それなりに保護者の責任は果たしてるって事か」 そう言って悟浄は、新たに咥えた紫煙をプカリと吐き出した。 「まぁ、薬くらいは飲ませたかもしれませんけどね」 「だろうなぁ。何言ったって、猿に一番甘いのは、奴だからよ」 口の端を上げて笑ってみせる目の前の男に、その翡翠が細くなる。 「もちろんですよ」 爽やかに断言して、八戒は漸く立ち上がりトレイを持って、隣へ足を向けた。 不安に揺れる金瞳がじっと三蔵を見上げている。 苦く笑って、三蔵は静かにベッドへ腰を下ろした。 「ごめん、な…さい」 呟いて閉じた瞳から、また一筋涙が頬を濡らした。 「迷惑を掛けたくないと思うんなら、自分の体調くらいはしっかり管理しろ」 その言葉とは裏腹に、涙を拭う手はとても優しい。 「だがな、それでも身体を壊す事は、誰だってあるんだ」 「…うん」 頷く悟空の頬に手を置いたまま、 「そんな時に、人を頼るのは弱さじゃない」 「三蔵…」 はっきりと言われた訳ではない。けれど、今は我慢をしなくてもいい。三蔵の言葉に張り詰めていた悟空の気持ちがふっと緩んだ。途端、 「さんぞ…痛い、あたま…痛いよぉ……気持ち…わる…さん、ぞ…ふぇ」 一度音にした声は、もはや止める事はできなくて、痛いと訴え、力なく伸びる悟空の細い手を握って、三蔵は震える身体を抱きしめた。 「ただの風邪だ、すぐ治る」 「だって…痛い…すごく、あたま…」 堪えていた涙を零し、襲い来る痛みに顔を歪ませて、悟空はただ三蔵に縋りついていた。 「薬を飲めば治まる。大丈夫だ」 背中を撫で擦り、額に濡れる眦に頬に、幾つも口付けを与えて、三蔵は繰り返し悟空の名を呼び続けた。 「さん…ぞ…さん、ぞ…さんぞぉ」 「ここに居る」 不安が消えるように、痛みが忘れられるように、それだけを願い口付けと悟空という囁きを三蔵は送り続けた。 ![]() 眩い輝きは、それだけで濃い影を生み出す。「悟空」と言う強烈な金のヒカリもまた、その内に昏い闇を抱えていた。 それでも尚、笑う姿に自分は幾度となく救われた。 けれど、共に過した時間の中で、悟空の中に巣食うその闇が、けして消える事はないのだと悟った時、 ――――共に堕ちる事を選んだ 掴んだこの手を、二度と離さない為に。 扉を叩く音に三蔵の顔が上がった。それを不安げに見つめる悟空の額に、口付けを落として身体を離そうとすると、 「ゃ…さんぞ」 法衣を握り締める指が白く変わる。 「八戒だ。薬、飲まねえと治まんねえだろ」 あやす様に背中を叩き、もう一度口付けを施す。 「どうですか?」 持ってきたトレイを三蔵に手渡しながら、悟空の様子を聞くと、 「かなり頭痛は酷いな」 「そうですか…薬を飲んでも、今夜は熱が高いかもしれませんね」 宿泊の延長は済ませました。と、続けた八戒は、 「後で軽い食事を持ってきます。いらないなんて言わないで、しっかり食べてくださいね。悟空のためにも」 その言葉に、否。と、三蔵が言えない事は充分承知している。 それほど、悟空にとって「三蔵」という存在は絶対なのだ。自分の何を差し置いても… 「後、お願いします」 無言でその背を見送って、三蔵は扉を閉じると静かにベッドへ向かった。 「悟空、薬だ」 持ってきたトレイをサイドテーブルに置くと、小さな身体を抱き起こした。 「の、まなきゃ…だめ?」 「その痛みが我慢できるなら、構わねえぞ」 些細な動作すら痛みを伴い、すでに悟空の金瞳は真っ赤に変わっている。 「…ぅえ…っ」 「辛いだろうが。薬を飲めば、効くまでの辛抱だ」 そんな三蔵の、何時にない優しい言葉と暖かい手に励まされ、悟空はやっとの思いで薬を嚥下する。途端に身体の力が抜けた。 「さんぞぉ…」 「大丈夫だ」 これ程脆い悟空を見るのは久しぶりだった。 時々、この旅に悟空を連れて来るべきではなかった。と、思う事がある。 悟空の戦闘能力の高さは、誰もが認めている。けれど、その無垢な心が何よりも、悟空本人を深く傷付ける。 いつか、その心の疵が悟空を内側から、壊してしまうのではないか。 それこそが、三蔵の最も危惧するところだった。 ――――殺してやる… 悟空が悟空でなくなってしまうのなら、そうなる前に自分が少年の時間を止めてやろう。だが、 「…今は、その時じゃ…ねえ」 自身に言い聞かせるように呟いて、三蔵は悟空を見つめた。 潜めていた眉根が漸く緩んで、腕の中の養い子は穏やかな寝息を零している。 泣きすぎて赤みの残る眦に、三蔵はそっと指を滑らせ、小さく息を吐いた。 出逢った頃よりはいくらか成長した、それでもまだあどけなさの残る寝顔。 泣き虫で、甘えたがりで、呆れるほど素直で…けれど、笑顔は誰よりも眩しくて。 知ってしまった温もりを、手放せなくなってしまったのは、悟空だけではない。 だからこそ―――― 「己の為に、強く…か」 思わず三蔵の肩が揺れた。その拍子に、腕の中の愛し子が小さく身じろぐ。 「さん…ぞ」 無意識に自分を探すその手をとって、強く口唇を押し付けた。 残される者の痛みも、残して逝く者の痛みも知っているから。 何があろうとも、ただ前を見据えて… 誰よりも、誇り高く。 「生き延びてやる。だから…しっかり着いて来い」 いつだって、立ち上がって顎を引き、そして両の足で大地を踏みしめて来たのだ。 今さら立ち止まる事など許さない。 それならば―――― 「強くなれ…」 色を失ったままの頬を包み込んで、そっと呟いた。 そして、忍び寄る微睡いに抗う事無く、その存在を抱く腕を少しだけ強くして、ゆっくりと三蔵は眠りの淵を降りていった。 日記にショボショボ書いたのって、後から繋ぎ合わせると結構、支離滅裂。。。 なので、今回だけは、大幅修正。 以前とは違う「風邪ネタ」を目指したのに、結局、三蔵サマってば大いに小猿を甘やかしてます(アレ?) しょーがないです。花淋はこーゆーの大スキ♪なもので。。。 |