SWEETでゆこう




 どこまでも続く道を、どこまでも走ってゆこう

 この道は、貴方へ続いてる…

 俺と繋がってる…

 だから

 貴方に会いにゆこう


 春はまだ遠いけれど、日差しは優しくて暖かい。
 数年前、己によって山深い岩牢から解放された少年は、大地に水が滲み込むがごとく様々なものを吸収して、日毎世界を拡げていく。
 それが三蔵にとって少し、いや結構……全く以って、面白くない。
「三蔵、八戒のとこに行ってくるなっ!」
 今日も元気な声が響く。
 執務室のドアの前、ピーカンな笑顔は返事も聞かずに、「行ってきます」と彼に背を向けた。
 閉じたドアの向こうに遠ざかる軽い足音を、不機嫌極まりない顔で聞きながら、三蔵は短くなった煙草を吸殻の山になった灰皿へ押し込んだ。
 居れば煩い。
 けれど…居なければ居ないで、これもまた落ち着かない。
 最高僧たる自分が、たかが小猿に完全に振り回されているのを、この頃漸く自覚し始めたところ。
 悟られるのは癪だから。結局、行くなとも言えずに無言で、少年の出て行ったドアを睨むしか出来なかった。
 変わって参道を軽い足取りで走る養い子は、その胸に小さな企みを秘めて、くふふと笑いを漏らしていた。
 彼らと知り合わなければ、けして知る事が無かったその日。

「悟空は、バレンタインって知ってますか?」
「バ…レタン?」
「バ・レ・ン・タ・イ・ン。です」
「何?それ」
「それはですね…」
 八戒が教えてくれた、誕生日とは違う特別な日。
 大好きな人、大切な人に気持ちを伝える日。浮かんだのはたった一人の大好きで大切な人。
「八戒、俺もバレンタインしたい!三蔵にチョコあげる」
 勢い込んで言ってはみたが、
「あ…さんぞ、甘いモン喰わない…」
 菓子の類をほとんど食べない三蔵が、チョコなど口にするはずもなく、悟空はがっくりと肩を落とした。
「大丈夫ですよ。悟空が一生懸命作ったものを、三蔵が食べないわけ無いですから、僕が手伝いますから、がんばりましょう」
 そう言って八戒が教えてくれたのは、ブランデーリキュールが入った甘さを抑えたブラウニーと言うケーキだった。
「コレなら甘さを控えてありますから、三蔵も食べてくれますよ」
 何より、悟空が自分のために作ったものだ。三蔵が食べないはずが無い。と、八戒には確信があった。
 こうして八戒による、にわかお菓子教室が始まり、悟浄の家は連日ケーキの香りが漂っていた。

「子猿ちゃんは今日も来るのか」
 ダイニングテーブルの上には、ここ数日フル活用されている器具が一式。
 咥え煙草で現れた悟浄は、手際よく材料を用意する八戒を、呆れと感心を混ぜ合わせた様な表情で見ていた。
 甘いモノは嫌いじゃない。キライじゃない…が、連日だとさすがに飽きる。
 ここ数日、悟浄の食後のデザートは出来損ないの悟空のケーキだ。
 三蔵のために、不器用ながら一生懸命な悟空を微笑ましいと思うし、そこまで想われている三蔵が羨ましい気もする。のだが…
「さすがにちょっと、飽きた…」
 今の悟浄の正直な気持ちだ。それを八戒も十分、承知している。
「すいません悟浄、あと二日の辛抱ですから」
 いつもより濃い目のコーヒーを出しながら、申し訳無さそうに目元を下げる八戒に、結局、悟浄は丸め込まれ、けれど自分がまんざらでは無い事も分かっていた。

「八戒悟浄、こんにちはっ!」
 家中に響き渡る元気な声に二人揃って、相変わらず躾だけは良い。と、笑いあい。
「いらっしゃい、悟空」
 そして今日も、甘い一日が幕を開ける。


□  □  □


「え?仕事…」
 日暮れ前に寺院へ戻り、夕食の膳を三蔵と囲んでいた悟空は、箸を止めて目の前の彼を見つめた。
「明日から三日間だ」
「三日間…」
 そうなると帰りは15日なってしまう。
 バレンタイン終わっちゃう…
「いつもの様に、アイツらん家に行くか?――― おい、悟空」
「え、あ…うん、そう…だね」
 自分が寺院を空けるたびに見せる悟空の表情。だから、この時の三蔵は悟空の落胆を、いつもの事と決め込んでいた。
「いってらっしゃい…」
 翌日、いつもよりもしょんぼりと自分を見送る悟空を、少しだけ気に掛けながら三蔵は仕事へと向かった。
 今日に限って、八戒や悟浄の目にも何故か非難めいたものを感じて、その機嫌は一気に氷点下まで下がっていた。

「三蔵…夕べからなんか怒ってるんだ…」
 酷く落ち込んだ少年の言葉に、二人の青年は互いに顔を見合わせ、そして苦く笑った。
「アイツ、意外と分かりやすい性格してんな」
「そうですね」
 そう、彼は面白くなかったのだ。悟空が自分たちの所へ入り浸るのが。
 自分以外の何ものにも大した興味を示さない三蔵が、悟空だけはけして自分の懐から出そうとはしない。もっとも、それが無意識だけに始末が悪い。三蔵の怒る理由が分からず、悲しい思いをするのは結局、悟空なのだ。
 向かいに座る落ち込んだ悟空を見やって、二人は小さく息を吐いた。
 普段の元気が鳴りを潜め、すっかり下を向いてしまった太陽の少年。
「そんなにがっかりしないで、美味しく作って、帰って来た三蔵をビックリさせてあげましょう、悟空」
 八戒の優しい言葉に、漸く小さな笑みを浮かべた悟空だった。

「悟空、起きて…悟空」
 耳元に囁かれる声に、ひくんと瞼が動いてゆっくりと悟空は目を開けた。
「八戒?な、に…」
「おはようございます悟空。さ、起きて顔を洗ってください」
 言われて悟空は急かされるようにベッドを抜け出し、身支度を済ませてリビングへ向かった。
「どうしたの?八戒」
 リビングから続いているキッチンへ顔を出した悟空に、柔らかい笑みを浮かべて八戒は、
「さぁ、ケーキを作りましょう」
 と、エプロンを差し出した。

 早朝の清んだ空気の中に、微かな甘い香り。
「出来た…」
 焼きあがったケーキを前に、目を輝かせる悟空と微笑む八戒。
「美味しそうですよ悟空」
「うん…八戒、ありがとう」
 不器用な自分に根気よく付き合ってくれた八戒。そして、
「悟浄も、ありがとう」
 嫌な顔ひとつしないで、味見役を買って出てくれた悟浄。
 悟空はとびきりの笑顔を二人に見せた。

「さて、朝飯も食った事だし、準備すっか」
 煙草を咥えながら立ち上がって、大きく伸びをする悟浄に悟空は首を傾げた。
「準備?」
「そ、今日はいい天気だからな、ドライブすんだよ」
 にかっと白い歯を見せる悟浄と、なにやら袋を持った八戒に背中を押され、されるがままに車に乗り込んだ。
 車に揺られ、どこへ行くのか。と、悟空が5回目の質問をしたところで、
「着きましたよ」
 その全く答えになっていない八戒の返事に、悟空は困ったように笑った。
 そして目の前にあるのは、どう見ても寺の参道で、悟空は結局二人の後ろを着いて行くしかなかった。
「八戒、ここって寺だよな。こんなとこ来てどうすんの?」
「時間的に、もう終わってる頃だと思うんですが…」
 八戒の言葉に悟空は眉をハの字に下げた。どうも、今日の彼は自分の質問に、的外れな答えばかりを返してくる。
 いつもより早く起こされ、訳も分からずこんな所に連れてこられて、全く以って八戒のする事は分からない。
 高い彼の背中を見つめながら悟空は、おおよそ子供らしくない深いため息を吐いた。
「ああ、居ました。悟空」
 呼ばれて顔を上げた悟空は、前を空けた二人の間から見えたその光景に、目を瞠った。
 本堂の脇の庭園。奥の東屋に見間違うはずのないその人。
「さんぞ…」
 やっとの思いで紡いだ彼の名。
 そして、その人も自分を見て立ち尽くしていた。

「貴様ら、こんなとこで何してやがる」
 ゆっくりと、しかし確実に怒気を含んだ声音に、悟空は肩を竦めて目を閉じた。
「いえ、あんまり天気が良いものですから、ちょっとドライブに。三蔵はここでお仕事だったんですね」
 その小春日和な笑顔に絶句する。偶然などであるはずが無いのだ、この計算高い青年の事だから。
 一方、悟空は二人の後ろで小さな身体を更に小さくしていた。
 けして自分が頼んだわけでは無いけれど、結果として三蔵の仕事の邪魔をしたのだ。いつハリセンが飛んでくるのかと、それだけを心配していた。
「丁度よかった、悟空が貴方に渡したい物があるんです。ね、悟空」
 突然話の矛先を向けられ、心底焦った悟空は情けない顔で八戒を見上げたが、はい。と、渡されたその包みに、今度は目をぱちくりさせた。
 がんばって。そんな励ましを残して、二人は悟空から離れていった。悟空はそれを唖然と見送り、三蔵のそれは何だ。と言う声に、我に返って身体を硬くした。
「あ、の…」
 言いよどんだ悟空に三蔵はハリセンを握りかけ、しかし悟空の耳が朱に染まっているのを見つけた。
「あのね…今日は、バレンタインで…好きって言う気持ちを…伝える日、なんだって」
 たどたどしく言葉を紡ぐ悟空を見ながら、三蔵は自分の中にあったモヤモヤが晴れていくのを感じた。
「え、と…三蔵、甘いモン喰わないの、知ってる…けど、俺…ど、してもチョコ…あげたくて」
 恥ずかしくて俯いたまま、悟空は包みを差し出した。
「八戒に教えてもらって…俺、一生…懸命作った…く、喰わなくてもいいから…貰って、くれる?」
 目の前の三蔵からは動く気配を感じない。食べるどころか受け取ってもくれないのだろうか、と下を向いたままじわりと目が熱くなった時。
 悟空の手から包みの感触が消え、そして、頭に温かい手。
「何、泣いてんだ」
 穏やかな声に、ぽたりと丸い雫が地面に落ちた。
「だ、って…」
 言葉は続かなかったが、三蔵には通じたようで、彼は黙って悟空の頭を撫でていた。

「なぁ、三蔵本当にいいのか?帰ってきちゃって」
 三人のドライブは何故か四人に増えていた。
 自分の隣に腰を落ち着けている三蔵を、悟空は困ったように見つめる。
「仕事は終わった。面倒くせえ宴会なんぞ、まっぴらだ」
 寺に居る間中吸う事が出来なかった愛煙を咥えて言い放つ三蔵に、八戒と悟浄は苦笑いを浮かべ、悟空はそれ以上何も言えず、ただその表情はいつに無く嬉しそうだった。
 一本だけ煙草を吸って、三蔵は膝上に置いた包みのリボンを解いた。悟空はじっと息を殺すように彼の一挙一動を眺め、三蔵がその一欠けらを口にすると、ギュッと目を閉じた。
「…まだ、甘い…が、不味くはねぇな」
 その言葉に、悟空の身体から力が抜ける。安心したようなその表情に、三蔵は少しだけ目を細めて、けれど、ふんと鼻を鳴らした。

「おい」
 暫くして肩にかかる重みに顔を顰めた三蔵に、
「寝かせてあげてください。今日、早かったんです」
 八戒の弁護と隣に見える安らかな悟空の寝顔に、それ以上は何も言えず、彼は煙草を咥えた。

 頬を撫でる風はまだ冷たいけれど、肩の重みがもたらす温もりに微かに笑って、三蔵はゆっくりと紫煙を吐き出した。



(c) karing/Reincarnation 2005


 無駄に長くなりました(汗)悟空総受けっぽい三空
 微妙に三蔵様、ヤキモチ…