やっぱりだろう



 一体自分は、どうしてしまったんだろう。

 三蔵は、かなり真剣に悩んでいた。
「離せ…」
「ヤダッ」
「おい…」
「絶対、離さないっ!」
 赤子にも等しい非力な手。
 指の先が真っ白になるほど、力強く己の法衣を握る小さな手。
 振りほどく事など、造作も無いはずなのに。
「猿…」
 一段と低くなった声に、目下の薄い肩がビクンと揺れたが、
「や、やだ…離さないかんな」
 上ずった声で、それでも幼子は頑として譲らなかった。
 溜息を一つ。
 また、肩が震えた。
「悟空…」
「だって…だって…」
 大きな金瞳に盛り上がった透明な雫。思わず息を詰まらせたが、けれど三蔵は震える肩に手を置き、ゆっくりと自ら膝を折った。
「悟空、出掛けるのは遊びじゃねえんだ。それは、解るな」
 努めて穏やかな声音を作る。彼にしては大変な作業だ。
「俺とお前がここで暮らす以上、相応の代価…っても、解らねぇか。俺には、しなきゃならん仕事がある」
「…ぅん」
「別にお前を置いて、ここから消えるわけじゃねえ。俺の帰る場所は、ここだ」
 そう言って、三蔵の手が胡桃色の頭を撫でる。
 その途端、ポロリと丸い雫が落ちた。
「さん、ぞぉ」
「留守番できるな」
 金瞳を覗き込んだ紫暗が、優しげに笑んだ。
「ん、俺、ちゃんと待ってる…待ってるから、早く帰って来て」
 堪らず悟空は彼の首に抱きついた。それを抱き返しながら、
「解ってる」
 胡桃色の頭を二度、軽く叩いて共に立ち上がった。

「いってらっしゃい」
「ああ」
 涙の筋を残した顔が小さく笑う。その頭を撫でて、三蔵は部屋を後にした。

「涌いてんな…」
 幼子に振り回される己に苦く笑う。
 それ以上にそんな生活がこの頃では、満更ではないと思い始めている自分が不思議でならない。
「ザマぁねえな…」
 呟いたその顔が、けれど微かに笑っていたのを、頭上の太陽だけが静かに見下ろしていた。


□ □ □


 月明かりが照らす路を、長い影が往く。

―――俺、ちゃんと待ってるから、早く帰ってきて

―――解ってる

 しかし、あと少しもすれば、日付が変わる時刻。
 出掛けに交わした養い子との約束は、今日も果たせそうになかった。
「くそったれ」
 誰に対しての、何に対しての悪態なのか、本人すら自覚の無いまま、ただいつもより速い歩調が、彼の今の心を表していた。

 静かな回廊を進み、慎重に私室の扉を開けて中へ滑り込むと、淡い灯りの中で、寝台の上に丸まった塊。
 小さく息を吐き、足音を忍ばせて傍へ寄った。
 蹲るようにして眠る養い子。だがその顔を見て、三蔵は眉間に皺を寄せた。
 頬に引かれた涙の筋。寂しさに耐えるように、顰められた眉根。
「悟空…」
 枕元に腰を下ろし、指先が涙の筋を辿った後、ほとんど無意識に三蔵は同じ場所へ口唇を寄せた。
 眦に残る涙を吸い上げ、金鈷から僅かに覗く額に口唇を押し付けた。そのまま鼻筋を下りて、小さな口唇を塞ぐ。
 その時、不意に悟空の身体が揺れた。
「俺は…」
 我に返った三蔵は、己の行動にひどく狼狽えた。
 口付けた相手は自分が拾った子供で、喧しくて食い意地が張った、色気の欠片も無い小猿。
 ましてや自分と同じ男なのだ。
 三蔵は勢いよく立ち上がり、部屋を出た。
 湯殿で頭を冷やし、身体を清めればきっと忘れる。自分はこのところの公務で疲れているのだ。そう言い聞かせて、頭から水を被る。けれど、身体が冷えると、先程触れた悟空の口唇の暖かさが蘇ってくる。
「冗談じゃねえ」
 湯殿に響く本日二度目の、相手の居ない悪態を吐いた三蔵の、心のずっと奥で芽吹いた小さな小さな想いに、彼が気付くのはもう少し先の事。


copyright(C)Reincarnation_karing/2007


【777MACHINE】様でキリ番を踏んで、リクエストさせていただいたイラストに、私が大暴走して添えさせていただいたssの続きです。(美麗なイラストはtrasureでご覧くださいませ)
続きそうで続かない…ような。。。
プラトニックな三蔵はアリですか?(逃走)