大人と子供の境界線



 のんびり流れる雲と、優雅に翼をはためかす鳥の影。胡桃色の髪を風に遊ばせながら、悟空は空を見上げていた。
 朝起きたら、三蔵はもう居なかった。
 このところ忙しいのは知っている。寝食を共にする私室へ戻ってくるのはいつも深夜で、出迎えたいと思っていても、いつの間にか両の瞼はくっ付いて…目が覚めると、いつも朝。
 おはようも、いってらっしゃいも、おかえりなさいも、言えてない。
「さんぞう…」
 忙しい彼の手を煩わせたくなくて、この頃の悟空は朝の食事を済ませると、裏山のお気に入りの場所で一日の大半を過していた。
「早く大人になれればいいのに…」
 大人になって三蔵を助けたい。

 ううん、支えたい――――
 
 三蔵の仕事を手伝う事は出来なくても、疲れた彼を癒す場所になりたい。
 それは、悟空の密やかでそして、切実な願い。


「何処にも居ねえと思ったら…」
 大樹に凭れて眠る養い子の上に落ちた影。
「バカ面も、いいとこ」
 悪態を吐いて静かに隣へ腰を下ろした三蔵は、まろい頬を撫でて髪に指を滑らせた。
「忙しくて、髪も結ってやってなかったな」
 大地の象徴のようなその髪を、一房手にとって遊んでみる。
 明るい日差しの中で悟空の顔を見るのは、本当に久しぶりのような気がした。
「喰って、遊んで、寝こけて…いい気なモンだ全く」
 苦笑交じりの呟きと共に、三蔵はその小さな頭を、自分の膝の上に横たえた。
「寝る子は育つ…迷信確定だな」
 握ったままの悟空の髪に口付けて、自分もまたゆっくりと瞳を閉じた。



「ぅにゃ…?」
 頭の下の暖かい感触と眼に入った真白に、悟空は恐る恐る首を捻ってみた。
「さん、ぞ?」
 どうして彼がここに居るのだろうと思い、そしてはたと気付いた。自分が三蔵の膝を枕にしていることを。
「おれ…三蔵…膝、まくら」
 途端に顔から火を噴きそうなくらい恥ずかしくなって、悟空は身動きも出来ず身体を強張らせた。

―――どうしよう…大人になるって決めたのに、また三蔵に迷惑掛けて、これじゃガキのまんまじゃん

 疲れている三蔵の膝を枕に、呑気に惰眠を貪っていた自分がどうしようもなく恥ずかしくなって、
「大人になるって、決めたのに…」
 無意識に呟いた言葉に、三蔵の片眉があがった。そして、
「何言ってんだ」
 その言葉に、驚いた悟空が今度こそ跳ね起きる。
「三蔵!」
「うっせーなぁ」
「ごめん、三蔵。ごめんね、ごめんなさい。俺…俺、早くおっきくなるから、三蔵に迷惑掛けないように、早く大人…」
「んな、急いで大人になんか、なんじゃねえよ」
「え?」
 思いもかけない言葉に、悟空が呆気に取られる。
「大人ってのは、なりたくてなるモンじゃねえんだ」
「でも、俺…」
「お前はそのまんまで、居りゃいいんだよ」
 そこまで言われた悟空だが、尚も言葉を繋ごうとすると、
「やかましい、大人になりたきゃ大人しくしてろ!俺は疲れてんだよ」
 そう言って三蔵は無理やり悟空の頭を、自分の膝上へ引き戻した。
「三蔵!まって、まだ話が…」
「大人しく俺を寝かせろ…」
 その穏やかな声音に、何も言えなくなった。触れたところから伝わってくる三蔵の温もりは、当然のように離れがたく、まだ自分の中でざわつく思いに、悟空が必死に折り合いをつけようとしていると、三蔵の指がゆっくりと悟空の髪を梳き始めた。
「朝…俺が居なかったら、必ず執務室へ来い」
「さんぞ…」
 頭を巡らせて紫暗の瞳を見上げる。
「髪くらいは、結ってやる」
 不安に揺れる蜂蜜色の瞳を見つめて、三蔵がぽつりと呟いた途端、くしゃりと悟空の顔が歪んだ。
「さびし…かったん、だよ」
 湧き上がる涙を綺麗な指が拭っていく。
「あと少しだ…辛抱、できるな」
「…はい」
 漸く綻んだ悟空の顔に、瞳を細めて三蔵もその口端を僅かに上げた。

 小さな寝息を零す子供の顔を見つめる、穏やかで慈愛に満ちた紫暗。
 まろい頬に指を滑らせると、眠るその口元が微かに笑みを形作る。
「急いで大人になる必要なんか、ねえんだよ」
 囁いて、またその手に一房の髪を絡め、三蔵も瞳を閉じた。
 木々の葉を揺らす暖かい春風が、そんな二人をふわりと包み込み、静かな刻が流れていく。


 それはまだ、二人が旅に出る前のある日のお話――――



copyright(c)karing/Reincarnation_2006



「閑話休題」用に書いてたのに、でも閑話には長すぎるしノベルというには短い。
何とも中途半端な作品。
悟空の髪がお気に入りの三蔵サマ、膝枕をしながら一緒にお昼寝vv
悟空の膝枕話は「閑話休題」に…
2006/4/27 花淋拝