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あの日から、西への旅は止まったまま――――
あの日から、彼の顔を見ないまま…
あの日から、彼の声を聞かないまま…
Pure White
忙しなく通りを行き交う人並み。
見慣れた風景なのに、その中に入ると自分だけが浮き上がってしまう。そんな違和感をずっと抱えたまま、もう何日になるのだろう。
変わらない日常の中で、変わってしまった自分。
「よう兄ちゃん、散歩かい?」
「兄ちゃん、昨日は助かったよ」
「悟空兄ちゃん、遊ぼうよ!」
掛かる言葉に、曖昧な返事を返しぎこちなく笑って悟空は、その声にただの一度も立ち止まる事無く歩き続けていた。
何かから逃げるように…
何かを追いかけるように…
『アイツは俺たちとは逆の方向へ歩いてったんだ』
『ヘイゼルさんたちと一緒のようです』
あの瞬間は記憶に残っていない。
頭で再生されるのは、ぼんやりと見上げた天井。
ただ、力の残滓が身体の奥深くで燻っているような、そんな感覚を確かに感じている。
「俺が…弱い、から」
だから彼は行ってしまったのだ。
自分にとってその事だけが、目の前に突きつけられた現実だった。
歩む足は止まらない――――
両の足が踏みしめる地面が砂利から草地に変わって、漸く悟空は俯いていた顔を上げた。
「あ…―――これ」
視線の先。大地に根ざし、天空へ真っ直ぐに伸びる大木。
「確か…もみの木」
寒風の季節にあって、深い緑の針葉樹がざわんと枝を揺らしていた。
「そっか…もうそんな季節なんだ」
『クリス…マ、ス?』
『ええ、西洋の神様の聖誕祭の事なんですよ』
『誕生日だからプレゼント貰ったり、美味いモン喰ったりすんの?』
『まぁ、今ではそれが主流ですね』
『やりたい!クリスマスやろ、八戒』
何年か前に交わされたそんな会話。
それから毎年、八戒の手料理をたらふく食べて、悟浄からの怪しいプレゼントに驚いたり笑ったり。
執務で忙しい三蔵との、離れ離れの寂しさを紛らわせてくれた。
「今年は…出来ないな」
力なく零れた呟きは乾いた空気に溶けて、悟空は逞しいもみの木に腕を回した。
目を閉じて息を潜めて。浮かんでくるのは、心に住まう唯一の人。
「さん……ぞ」
声に出してしまえば、それはずしりと心に響いて。
指先に力を込めれば、感じるのは硬い幹の感触。柔らかい法衣の心地よさも、すり寄せた胸元から仄かに香る紫煙の匂いも今は遠い。
「さん、ぞ…ぉ」
何故、自分は一人なのだろう。
どうして、ここに三蔵が居ないのだろう。
逢いたい。
逢いたい。
逢いたい。
「三蔵…三蔵…」
プレゼントはいらない。
豪華な食事も。
暖かいベッドも。
三蔵に逢いたい――――
逢わせてくれるのなら、何でもする。何処へでも行く。
例えそれが、地獄の果てであっても。
「だから―――逢わせて…三蔵に」
お願いだから…――――
不意に枝葉が揺れた。
風が唸りをあげて乾いた土を巻き上げ、ざわざわともみの大樹を囲んだ木々が空気を叩き、悟空ははっとして辺りを見回した。
そして、唐突に全ての音が止む。
静寂が支配力を強める――――
かさりと枯れ草を踏む音。何かが近付く気配。
背筋に緊張を走らせ、悟空はぐっと顎を引いた。
ゆっくりと近付く。風が運ぶのは…懐かしい匂い。
「っ…――――」
息を呑む。瞳を見開く。
目の前に立つ、鈍く光る金糸と深い紫暗の瞳。
視界がぼやけて頬が熱くなる。両の足は大地に縫い止められ、心臓は早鐘のように騒ぎ出す。
彼の人は歩幅を緩めず、悟空の前に来ると、
「―――悟空」
全ての音が止まった世界で、その声だけが悟空の耳を、心を震わせた。
ぬくもりが包み込む。
抱きしめられて、大きな手が背中を撫でていく。すっかり冷たくなってしまった胡桃色の髪に口唇を寄せると、日向の匂いが彼の鼻を擽った。
「悟空…」
聞きなれたテノールが名を呼び続けても、悟空は泣いていた。声も上げずに、静かに涙を零していた。
彼は―――三蔵はただその細い身体を抱きしめ続けた。
聞こえるのは微かな息遣いと、同じリズムを刻む心音。
ゆっくりと凪いでいく心と共に、身体中へ広がる暖かさ。
「さん…ぞ」
悟空が泣きはらした金瞳を、三蔵へ向けた。睫に残る涙の粒を、彼の長い指が掬っていく。
「三蔵…」
応える様に紫暗の瞳がすっと細められた。
「―――逢いた、かった…」
返事の代わりに、金鈷から覗く額に口付けが一つ。
「逢いたかった…んだよ」
湧き上がった涙を止めるように、眦に口付けをもう一つ。
「逢いたかったようっ!三蔵ぉ」
かじりつくように三蔵の首に腕を回し、悟空は声を上げて再び泣き出した。
ずっと、ずっと聞こえていた。
一途に己を求める声。
逢いたいと、寂しいと泣く、姿無き声。
離れている間中、思い出すのは笑顔ではなく泣き顔ばかりで、それが歯がゆくて腹立たしくて。
自分の無力を、思い知った。
頭で考えるより身体が先に動いて、己を示すチャクラを隠し法衣を脱いで、闇に姿を隠した。
ただ声のする方へ、呼ぶ者の処へ――――
そして、久しぶりに見る悟空は別れた時と同じ白い顔。胸を抉られたようだった。けれどそれ以上に、愛しさが募った。
抱きしめた細い身体が、それでも命の温かさに溢れていると分かった時、心の底から安堵した。
このまま刻(とき)が止まってしまえばいいとさえ思った。
何もかも捨てて二人だけで…
ふっ。
だが、三蔵の口元が歪んだ。
そんな事を本気で望んでいるわけじゃない。それは悟空も同じはずだ。
自分たちの求めるものはそんな平穏ではなのだから。
互いに、強く在る事――――
腕の中で震えている愛しい存在が、誰よりも逞しいことを 知っている。守られるだけの子供では無い事を知っている。
だからこそ、己もまた強く在れるのだから。
「悟空」
そして、静かな声が響く。
「行っちゃう…んだよ、な」
縋るように向けられた金瞳に、知れず奥歯を噛んだ。
「悟空―――進む路は繋がっている。今は……たとえ今は離れていても、俺の道はお前に、お前の道は俺に繋がっている。それを、それだけを信じていろ」
「三蔵…」
「どんなに離れていても、お前の声は聞こえる―――だから、呼び続けろ。俺を…俺だけを」
「さんぞぉ…」
口付けは、永く深く。永遠(とわ)の誓いのように。
必ず訪れる別れの時を少しでも先に延ばすように、一つになった影を凍てついた大地に長く長く伸ばして。
信じよう。
彼の言葉を。
信じよう。
自分の力を。
求める強さを得て、再び彼の隣に立つ日まで。
再び、この腕に愛しい者を抱く為に。
信じよう。
己の進むべく路を。
信じよう。
少年の強さを。
繋がる心が断ち切られる事など、けして有りはしないのだから。
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