君に誓うたった一つの言葉



―――― 三蔵、大好き

 今まではたくさん言えたのに、真っ直ぐその瞳を見られたのに…
 どうして言えなくなってしまったのだろう。
 どうして見られなくなってしまったのだろう。

 伝えたい想いも言葉も、溢れるほどにあるのに。
 今の自分にはそれを伝える事ができない、身体の中を想いだけがグルグル廻って、出口が見つからない。


 目の前に差し出されたマグカップに、驚いたように悟空が顔を上げた。
「どうかしましたか?」
 自分を見下ろす深い緑の瞳は、変わらず穏やかで、けれどいつの頃からかその優しさに息苦しさを感じ始めていた。
 息苦しい。表現的には違うような気もするが、ただ悟空には何故、彼の優しさをそんな風に感じてしまうのか、実は解らずにいたのだ。
 それはまだ、寺院に居る頃から。
 そして、旅が始まって共有する時間が長くなるにつれて、その苦しさが、痛みが大きくなっていった。

「悟空?」
 自分を気遣う声音に、はっとするように悟空は頭を振った。
「ご、ごめん八戒。何でもないよ、ちょっと考え事してたから…」
 取り繕う少年のそれが直ぐに嘘だと解っても、八戒はその顔から笑みを消さずに、
「そうですか、僕でよかったらいつでも相談に乗りますよ」
 そう言って、持っていたカップを悟空に渡した。
「うん…ありがとう八戒」
 何気ない一言が、今の悟空にとっては小さな棘であるとも知らずに。
 そうして笑う少年の呑み込んでしまった本当の声を、ただ一人聞いていた彼だけが新聞に隠れたその奥で、整った眉根を顰めていた。

「どうしちゃんだろう…俺」
 降り注ぐ熱いシャワーに濡れながら、悟空は疼く胸の前で拳を握った。
「ビョーキ…なの、かな」
 呟いた途端ぞくりと背中が震えた。熱気の篭った浴室で震える肩を抱きながら、
「や…イタ、いよ……さん、ぞ」
 そして、悟空には漏れそうになる嗚咽を、必死に耐えるしか術はなかった。


「悟空の様子、おかしくありませんか?」
 八戒のそんな言葉を聞いたのは、町を出発して数日経った頃だ。
 特に驚く事も無く、三蔵は返事も返さなかった。
「この頃、夜もあまり眠れてないみたいですし…何か、ありました?」
 この場に悟空は居ない。
 野営の為の蒔き拾いに悟浄と出ている。食事の準備の八戒と何もしない三蔵だけが、その場に残っていた。
「さぁな…たとえ何かあったとしても」
 三蔵の抑揚の無い声が一度止んで、
「三蔵?」
 八戒が見たその顔には、隠し切れない…怒りとも哀愁とも取れる紫暗。
「俺には、何も…話さねえよ」
 いつの間にか出来てしまった二人の距離。
 理由は、なんとなく解っていた。ただ、それがどういう意味を持っているのか、実を言えば三蔵にも量りかねていたのだ。

 悟空が抱く、自分に対する想い――――

 それが、親愛なのか。
 熱情なのか。
 おそらくは悟空本人にも解らないのだろう。時折響く音無き声は、隠しようの無い心細さを孕んでひどく儚い。
 何かを言いたそうな金の瞳は、視線が合うと苦しそうに逸らされる。自分に言えないのならば、八戒にでも相談すればいいものを、よくよく見ていれば近頃の悟空はその八戒すら避けているのだ。
 聞けない自分と言わない悟空に、苛立ちは深まる一方で。
 けれど、自分の中に湧き上がるその理由を、三蔵も正確に理解していた訳ではなかった。
 そして、歯車が廻りだしたのは本当に些細な事が、きっかけだったのだ。




「お天気の崩れもなさそうですし、このまま山越えのルートでいいですね、三蔵」
「ああ」
 宿の一室でこの先のルートを決めた三蔵は、懐を探ってから小さく舌を打った。
「おい猿、煙草よこせ」
 空のパッケージを握りつぶしながら、部屋の隅で妙に大人しい養い子を呼びつける。
 悟空は荷物の中から言われた物を取り出すと、
「さんぞ…この頃、吸い過ぎだよ、少し…」
「煩せえな、てめえにとやかく言われる事じゃねえ」
 遮るような辛辣な言葉に、悟空の肩が揺れた。口唇を噛んで踵を返そうとした悟空の背後で、今度は八戒が苦笑交じりで口を開いた。
「でも三蔵、悟空の言うとおりですよ。量も増えてますし、それに煙は…」
「どいつもこいつも、いらんお節介だ」
 荒げた声と共にまだ長い砲身を灰皿に押し付け、手近にあった新聞を乱暴に広げる。が、目の前に立つ養い子は、一向に動く気配が感じられず、今度こそ三蔵の顔に怒りの色が浮かんだ。
「そんなとこに、いつまでも突っ立てんじゃねえよ」
 目障りだ。と、続くはずの言葉は、けれど音にはならなかった。
「…だよ、な」
 見開かれた金の双眸は、ただ三蔵だけを見つめていた。
「さんぞ…八戒、の…言う事、は…聞く、んだ…よ、な」
「悟空?どうしたん…」
「嫌だっ!」
 肩に伸びた八戒の手を思い切り突き放す。
「悟空…」
 溢れる涙を拭いもせずに、悟空は搾り出すような声で呟いた。
「もう…ィヤだ、よ」
「悟空っ!」
「おい、猿!」
 廊下を遠ざかる足音だけが、三蔵の耳を震わせた。


「三蔵!」
「何やってんだ三蔵、早く追いかけ…」
 けれど悟浄も八戒もその表情に、何も言えなくなった。
「どうして…貴方がそんな傷付いたような顔を、するんですか」
 八戒の言葉に、白磁の顔に冷笑が浮かぶ。
「傷付いたのは俺じゃねえ…悟空の方だ」
「お前も。だろ」
 そんな、悟浄の思いがけない言葉に、三蔵は口唇を噛んだ。
「猿、探してくるわ。誰かさんみてえに声は聞こえねえけど、見つかんだろ」
「悟浄…」
 にやりと口の端を上げた長身の青年は、上着を羽織って立ち上がる。部屋を出る時、
「三蔵サマよ、何考えてっか知らねえけど、一つだけ言っといてやるぜ」
 首を捻って三蔵を見据え、
「言葉ってのは、声にするから、そこに意味が生まれるんだ」
 それだけ言い放つと、彼の反応も見ずに部屋を後にした。

「三蔵…どうして悟空に、何も言ってあげないんですか?」
 残された部屋で、八戒の静かな声が響く。
「貴方だってもう気付いているんでしょう。悟空が貴方をどう思っているか」
「…あいつは、勘違いしてるだけだ」
 三蔵のその言葉はあまりにも見当違いで、思わず八戒はこめかみを押さえた。
「本当にそう思ってるんですか」
 呆れを含んだ八戒の声に、むっつりと黙り込む。
「確かに、寺院という特異な環境の中に居続ければ、そうだったかもしれません。でも今は違うでしょう、この旅で悟空は貴方以外から色いろな刺激を受ける様になった。随分成長したと思いますよ」
 次に呆れたのは三蔵の方だった。
「何も変わらねえじゃねえか、バカだし大喰らいだし」
 何処が成長した。と、言わんばかりの三蔵に溜息を吐きながら、
「貴方を想う心と、僕らに対する嫉妬…ただ、悟空自身は気付いてないみたいですけどね」
 その言葉に、三蔵の眼が僅かに見開かれた。
「解らないんですよ、貴方にどう伝えればいいのか。言葉が見つからないんでしょう。だから、貴方の方からあの子に言葉を与えるべきです」
 そして、八戒は真っ直ぐに三蔵を見据えた。
「悟空を…愛しているんでしょう」



 今にも泣き出しそうな空の色は、そのまま木の上の少年の心を表していた。
「おーい、そこに居んだろ。猿呼ばわりされたくなかったら、拗ねて木に登んのやめろよな」
 かさりと葉が揺れる音。けれど、返事は無い。
 悟浄は小さく肩をすくめ、煙草を咥えて火を点けた。ゆっくりと紫煙が立ち上り、湿った空気の中に溶けていく。暫くして、上から降ってきた声に、悟浄は大きな溜息を吐いた。
「俺…一緒に来ない方がよかったの、かな」
 力ない呟きに、吸っていた煙草を踏み消しながら、
「なんで、そう思うんだ」
 悟浄のそれは、何処までも穏やかに。
「悟浄や八戒みたいに大人じゃないし、気ぃ利かねえし…三蔵の事…解んねえよ」
 それには、思わず苦く笑うしかなかった。
 悟空の本音は、あまりにも素直でただ一途に金の最高僧を慕う、純粋なまでの愛情だ。けれど、
「鈍いのもここまでくると犯罪だよな…」
 だからこそ、彼の人が思い切った行動を取れない事に、少しだけ同情した。
 っとに、世話の焼ける奴らだよなぁ。内心で一人ごち、新たな紫煙を吐きながら言った。
「煙草の煙が、悟空の身体には一番良くない」
「え?」
「あの時三蔵は、八戒が何を言うか分かったから、言われる前に煙草を消したんだ。三蔵って男がそんなどうでもいい奴に、気ぃ使うような奴じゃねえのは、お前が一番解ってるはずだろ」
 ガサリと枝葉が揺れて、悟空が地面へ戻って来る。
「アイツの行動は分かりづれえけど、お前はよ、大事にされてんだぜ」
 それが本当ならどれほど嬉しいだろう。それでも今の悟空には、悟浄の言葉を信じるだけの要素を、見つけられない。そしてそれを示したのは、悟浄の指先だった。
「んじゃ、あれは何だよ」
 伸びた指にぽつりと落ちた雨の雫。その先に、浮かび上がるように立っている、悟空にとっては傍に居たい、でも、手を伸ばせない人。その人がゆっくりと近付いてくる。
「ご、ごじょぉ」
「んな顔すんな、あれが答えだろ。お前はちゃんと…三蔵に愛されてるよ」
 目下にある胡桃色の頭をひと撫でして、悟浄は歩き出した。三蔵の横を通り過ぎる時、にやりと口の端を上げて。

「さん、ぞ…」
 身体が震える、早鐘のような心臓を抑えるように、ギュッと服を握り締めた。
 数歩先で止まった三蔵は、黙って悟空を見つめている。空が紡ぐ雨糸は、金の髪を伝い肩を濡らして、大地に吸い込まれていく。
 紫暗に射抜かれ、背を向けることも顔を逸らす事も叶わず、悟空の金の瞳が不安げに彷徨っていた。
 
 そして、空気が動く。
「いつまで濡れてるつもりだ…帰るぞ」
 低い呟きと共に差し出された右手。真っ直ぐ、悟空へと。
 その手をじっと見つめ、けれど悟空の身体は固まってしまったように、動かなかった。
 自分に向かって差し伸べられた、三蔵の手。どんなに待ち焦がれただろう。望むものは一つなのに、それなのに…
 そんな悟空の態度に嘆息して三蔵は、それでも差し出した手はそのままに、
「もう、俺の手は取れないか…悟空」
 穏やかに告げた。
 その途端、全ての歯車が噛みあい動き出す。
「さんぞぉ…」
 ゆらりと揺れた身体は、刹那走り出していた。
「三蔵!…三蔵、三蔵、さん、ぞ…ぉ」
「悟空」
 飛び込んできた細い身体。
 震える肩を抱きしめたかった、涙に濡れる頬を包み込んで、その涙を止めてやりたいと思った。
 それを足掻いて拒み続けたのは、自分を抑えておける自信が無かったからだ。
「離すな……手を取ったのはお前だ」
 拒む事を諦めて身を委ねてしまえば、愛しさだけが溢れ出した。
「うん、うん…離さない、絶対離さないよ…だから、三蔵も…離さないで」
 返事の変わりに口唇を押し付けた。
 繰り返し、繰り返し、心から不安が、瞳から涙が消えるまで。
 

「悟空」

「三蔵」


 抱き合って、指を絡めて、瞳の奥に互いを映し、そうして告げるのは一言。
 
 永久(とこしえ)に、君に誓うたった一つの言葉――――



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69500hitなち様のリクエストで「本当は想いあっているけれど、微妙に気持ちがすれ違っていく三空」
すれ違って、最後はくっつけてしまいました(汗)
や、ラストは悩んだんですが、文中で悟浄さんに「声にするから意味がある」なんて、カッコイイ台詞言わせてしまったものですから…
お持ち帰り、苦情その他は、なち様限定です。
早く上げますと言っておきながら、お待たせして申し訳ないです。
なち様、この度はリクエストありがとうございました。
2006/4/27 花淋拝