痛みを力に変えること




 初めて出逢った時から、聞きたいことは山ほどありましたよ。
 だって、そうでしょう。あまりにも違いすぎる二人でしたから。
「トンビが鷹を産んだ」なんて、生易しいモンじゃないですよ。
 本当にどうして、あれほど素直なまま、大きくなったんでしょう。
 それが、少しだけこの旅を始めて、分かった気がしました。


「ハラ減った…」
「お前だけじゃねえ」
「ケツ痛い…」
「お前だけじゃねえ」
 背後の会話はなんとも危険で、隣の雲行きがいっきに落ち込んでいく。
 気付かないんでしょうか…困りましたねえ。
「悟空、悟浄、そろそろいい加減にしませんか」
 結局、僕は損な役回りです。
「八戒〜ぃ、まだ着かねえの?ハラ減って死にそう」
「すいません悟空、この調子だと、今日中には…」
「えーっ!だって、街に着いたら美味いモン喰っていいって」
 その声に、思わず苦笑いが漏れた。
「ええ、でも予定外の事が起こっちゃったでしょう」
 予定外の運動。後から後から、何とかの一つ覚えのような台詞を叫びながら、しつこい訪問者は、この頃量だけは増えてきて、無駄な時間ばかりかかる。
「それは、そーだけどぉ」
 納得がいかないような悟空の声。
 今日に限って、その歯切れの悪さが妙に気にかかった。
「もう少し先に進んで、どこか夜を明かせる場所を探しましょう。いいですか、三蔵」
 どんなにがんばったところで、街に入るのは無理ですから、とりあえずは悟空の空腹を何とかしなければ。本当に僕は、すっかり専用保父さんです。あ、でも嫌だなんて思ったことは無いですよ。結構、楽しんでます。
「好きにしろ」
 投げやりな許可はいつもの事、不機嫌は、
「MAX寸前ってとこですかねえ」
 その途端、視界の端に凶器の光が見えましたけど、別に聞こえないように言った訳ではないので。そんな事をいちいち気にしてたら、この人となんか付き合えませんからね。
 そして、僕はジープのスピードをゆっくりと落とした。
 これから起こる事など、露ほども思いもしないで…


「足りない…」
「すいません、悟空。こんな予定じゃなかったので…街へ着いたら、悟空の好きなものを、たくさん食べましょうね」
 満たされない食欲に、悟空はすっかりヘソを曲げてしまったようで。
「いい加減にしろよ猿。なんだかんだ言ったって、お前が一番喰ってんだぞ」
 悟浄のうんざりしたような声に、思わず苦笑いを漏らした僕の横で、三蔵だけは、そうですね…変な顔。というか、怒っている様な心配している様な、まぁ、彼らしくない表情で悟空を見ていました。
 でもそんな顔されたら、気になるじゃないですか、ね。
「三蔵。悟空変ですか?」
 その途端、彼はいつもの仏頂面に戻って、
「別に」
 視線を逸らして、煙草を咥えてしまった。
 すごく気にしてます。って、顔にはバッチリ出てるんですけどね。

「くそーっ、もうテッペン来た」
「そりゃコッチの台詞だ、チビ猿。いつもいつもてめえの我が侭が、通ると思うなよ」
「うっさい!我が侭なんか言ってねえ」
 ああ、始まってしまいました。こうなると、手が付けられないんですよねえ。
「大たいなぁ、てめえは甘やかされすぎなんだよ」
「悟浄、もうそれくらいでいいでしょう」
 どう考えても、歳にあったケンカの仕方じゃないです。兄弟ゲンカに見えなくも無いですが。
「悟空も、そんなに大きな声出してると、余計にお腹が空いてしまいますよ」
「八戒、甘やかすなよ。図に乗るだけだぞ」
「なんだと、このゴキブリ河童」
 どうしてこの人ってば、火に油を注ぐような事を言うんでしょう。
「ほら、悟空も少し落ち着いて」
「何だよ、八戒まで俺の事、ガキ扱いすんのかよ」
 意外にも矛先が、僕に向かいました。
「猿、八戒に八つ当たりすんじゃねえ」
 すかざす、悟浄が横槍を入れて、その大きな手で胡桃色の頭を押さえつけ様とした時でした。
「お前…」
「触んな!悟浄のバカヤローッ」
 そう叫ぶと、いきなり駆け出して、止める間もなくその姿が、宵闇の中に消えてしまった。
「悟空っ!」
 今さら呼んでも、聞こえないのは解っていましたが…
「アイツ…」
 悟浄は自分の手を浮かせたまま、すっかり傍観者を決めていた、本来の保護者さんに向き直った。
「三蔵…アイツ、何であんなに冷てえんだ」
「悟浄?」
 僕は訳が分からず、交互に悟浄と三蔵の顔を見るだけでした。
 そして、黙って立ち上がった三蔵は、悟空の消えた木立へ歩みを進め、それはまるで悟空が、何処に居るのか解っているかのような確かな足取りでした。
 僕と悟浄に出来たのは、その後姿をただ見送るだけでした。







――――ごめ…ごめん、な…い……きら、い…ない、で

 聞こえるのはざわめく心の声。自分を責めて、苦しんで、それでも痛みを堪えようとする声。
 迷いの無い確かな足取りで、三蔵は消えた背中の後を追う。今夜に限っては、仕方ない事だと解っているつもりだ。
「猿にしちゃ、我慢した方か…」
 時折踏む落ち葉の乾いた音に混じって、風が運ぶのは涙声。そうして見つけた養い子は、膝を抱え小さな嗚咽を漏らしていた。
「悟空」
 その途端、薄い肩が揺れた、それでも悟空は顔を上げようとはしなかった。
「そんなになってもまだ、やせ我慢を続けるつもりか」
 負の色を一切含まないその声に、微かに覗いた金瞳。怯えたように彷徨うその視線に、思わず苦笑いが零れる。
「怒ってねえよ」
 その言葉にたっぷりと間を置いた後、掠れた返事が三蔵に届いた。
「……ほん、と」
 月明かりに見えるまろい頬に、新しい涙の筋が一つ。
「同じ事を二度も言わせんな…悟空」
 三蔵は一度言葉を区切り、そして、
「ほら」
 両手を広げた。
 手を取るためではなく、抱き締めるために。
「さん、ぞ…」
 答える様に三蔵が小さく頷く。
「三蔵!」
 飛び込んできた身体は、氷のように凍えていた。
「三蔵、さん、ぞぉ…」
 幼い子供のように泣きじゃくる。
「ここに居る」
「寒い、よぉ…」
「暖めてやる、大丈夫だ」
 しゃくり上げ、後から後から溢れる涙が、三蔵の法衣を濡らしていく。冷たい頬に手を添え背中を撫で擦り、いつまでも三蔵は、その細い身体を抱き締めていた。



「さっき、悟空が冷たいって言ってましたよね」
 焚き火の火が悟浄の髪をオレンジ色に染め、時折火の粉を上らせていく。
「ああ、真冬の雪ん中に居たみてえに、あのお子ちゃま体温の悟空がだぜ」
「ここ数日、悟空の様子おかしいのに、気付いてました?」
「妙に絡んできたよな、なんてか、いつもの我が侭とも違うっつーか」
 首を傾げた悟浄に、僕はぽつりと呟きました。
「子供の癇癪」
「そう!それだ」
 パチっと焚き火の火が爆ぜ、空へ上っていくのを何とは無しに目で追っていました。
 その時、背後から足音が聞こえ、思わず身を固くした自分に苦笑いが出る。隣の悟浄も同じでした。
「三蔵…悟空」
 戻って来た三蔵。悟空はその腕に抱えられて、
「悟空…」
「眠ってるだけだ」
 腰を浮かせた僕に、静かな返事が返ってきました。
「八戒、毛布」
 言いながら、僕たちと焚き火を挟んで反対側に座ると、三蔵の肩の力が抜けるのが分かりました。
 言われたとおり荷物から毛布を出して三蔵に渡すと、そっと悟空を包み込みました。動かした拍子に、悟空が小さく唸ると、慣れた手つきで背中をたたき出します。
 正直言って、驚きです。
 普段の三蔵なら、絶対に僕らには見せない、悟空に対する態度ですから。もちろん二人きりの時は、これが当たり前なのかもしれませんが。
 だからという訳では無いですが、本当に声を掛けるタイミングが、僕も悟浄もつかめませんでした。そんな時です。
「何が聞きたい…」
 意外にも話を振ってきたのは、三蔵の方からでした。


「えっとですね…」
「ま、いろいろと」
 話を聞く僕らの方が、緊張しました。
「悟空の様子が変なのに、三蔵は気付いてたんですか?」
 とりあえずは、この辺りから。
「癇癪を起こした事か」
「ええ、我が侭とも違ったでしょう」
「寺に居た頃から、何度かあったからな」
 ああ、それで。
 納得しかけて、ふと湧き上がった疑問を声にしようとして、
「あのよ、まどろっこしいのはいいから、猿はどうしたのか話せよ」
 それは悟浄らしい、横槍でした。
 三蔵の視線が悟浄に移ってから、腕の中の悟空に落とされ、
「一人じゃないと、頭では解っていても。心が五百年の孤独を、引き摺っている…」
 それはとても簡単な説明で、けれど、あまりにも重すぎる理由でした。







 心が引き摺る、五百年の孤独。
 僕らには想像も出来ない事でした。悟空が犯したという罪以上にその罰は、少年の小さな心を傷付けていたのです。償いは続いているのだと言わんばかりに…
「コイツが必要以上に人に引っ付きたがるのは、自分以外の体温を感じる事で、あの頃の辛い記憶に蓋をしようとしているからだ」
「あんな風に癇癪を起こすのは、不安の表れという事ですね」
「簡単に言えばな」
「猿だと思ってたけど、結構フクザツなのな…」
 悟浄の言葉に、三蔵の視線が一気に厳しくなりました。
 本当に、こういう時に限ってあの人は、場を読むという事を忘れてしまうんですよね。
 そんな僕らに、話は終わりだとばかりに、三蔵は…悟空を抱えたまま横になろうとして、
「ちょっと待てよ」
 悟浄のその言葉に、思いがけず動きを止めました。
「なんで悟空の奴は、突然そんな癇癪を起こしたんだ?」
「そういえば…」
 確かに思い返しても、悟空のこんな変化は初めて見るものでした。
「三蔵?」
「せぇーな、関係ねえだろ」
「大ありですよ、今度は悟空がこうなる前に、対処できるようにしておかなければ」
 それが、専属保父の役目と言うものです。
「いつ起こるか分からねーモンの準備なんかいるか」
 もはや聞く耳を持たないといった風に、三蔵は今度こそ横になってしまいました。
「一度言い出したら、梃子でも譲らないんですから…悟浄?」
 気がつけば僕の隣の仲間が、それはそれは、人の良い笑みを顔に貼り付けていました。 
「つまりだ、小猿ちゃんは誰かに引っ付いてねえと、心配でしょうがないって事だろ」
「はぁ…」
「俺たちと知り合う前から、こういう事があったって事はだ、そん時ゃ誰が温もりを与えてやるんだ?」
「誰…って」
 いま、凄く凄い想像が頭を駆け巡ったんですけど…
「宿に泊まったのは、どれくらい前だった」
「あー…そういう事ですか」
「そういう事だな」
 一言で言えば「三蔵が足りなかった」と、いう事なんですね。
 このところの派手な戦闘で予定は大幅に狂いっぱなし、野宿が続いたり街では宿が無かったりで、二人きりで肌を寄せ合って眠ると言う事が出来なかった訳です。
 当然、三蔵が僕らの前で今のような態度を取る訳が無いし、悟空はずっと我慢するしかなかったんですね。
 それが、ああいう形で表に現れたという事ですか。
「我慢の限界だったわけだ小猿ちゃんは、可愛いねえ」
「悟浄」
「一度死んで来い、河童」
 ドスの利いた声と、焚き火の向こうから真っ直ぐに伸びた砲身。
「三蔵、発砲なんかすれば、悟空が起きてしまいますよ。せっかく、安心して眠ってるんですから」
 その時、悟空が身動きをしたようで、半身を起こしていた三蔵は小さく舌を打つと、また横になりました。
 何だかんだと言っても、悟空を一番心配しているのは三蔵なんです。
「僕たちも寝ませんか?」
「んだな」
 漸く静かになったそこは、焚き火の火だけがゆらゆらと揺れていました。
「アイツも、結構ムリしてんだな」
 それが悟空の事を言っているのだと直ぐに分かりました。
「光の届かない場所で、何年も何年も…」
 それは言葉にすることさえも躊躇われるほどで、一人ぼっちで耐えてきた悟空は、それでも僕らの中の誰よりも笑顔が似合う少年である事は、間違いないのです。
「ん、でも今は居るじゃねえか、アイツだけの太陽が」
「そうですね…きっと、明日はいつもの悟空に会えますよ」
 なんたって、悟空だけの太陽が昼となく夜となく、傍にいてくれるのですから。
「本物の太陽と、悟空だけの太陽が、この先も僕らの進む道をずっと照らしてくれますよ」
「だよな…」



「おはよう八戒、あの…昨日はごめんなさい」
 朝一番で僕に謝ってくれた悟空は、昨日よりも明るい表情でした。
「おはようございます悟空。僕は全然、気にしてませんよ。それよりも昨日は、よく眠れたみたいですね」
 そう言えば、そのまろい頬に薄紅が差しました。
「さあ、今日こそは街に行って美味しいものをたくさん食べましょうね」
「おうっ!」
 その時、思いました。
 悟空のこの笑顔も、僕らにとっては「太陽」なのだと。

 大地に根ざす全ての命に、生きる力を与える「太陽」なのだと――――



copyright(c)karing/Reincarnation_2006


今回、珍しく一気に書きあがった。しかし…おかしい。。。
バカップルのはずだったのに…どこでシリアス?
や、単に「三蔵が足りなくなって、子供の癇癪を起こしてグズる悟空」を、書きたかっただけなので…
私の書く理由なんて、こんなモンです。。。
06/5/25 花淋拝