ブリキのオモチャ箱 それは、あいつらと出会って、初めて迎えた冬の事… 「こんにちは、悟空」 静かに開いた寝室の扉から顔を出したのは、ある事件がキッカケで知り合う事になった、長身の青年二人。 「は、かい…ごじょ…」 「ああ、ムリすんなよ。寝とけって」 ムリに身体を起こそうとした、金の少年を制して、二人が枕元へ歩み寄る。 「具合はどうですか?」 「ヘーキだよ、ちょっと熱があるんだって」 大きな手が額に乗せられ、その少しひんやりする心地よさに、悟空は赤い顔を綻ばせた。が、手を置いた八戒は内心で、眉を寄せる。 ちょっとと言うには、語弊があるほど少年の体温は高い。 「とにかく温かくして寝てましょうね悟空。何か欲しいものはありますか?」 八戒の優しい笑みに、悟空は遠慮がちに「身体ベタベタして、気持ち悪い」と訴えた。 「身体を拭いて着替えましょう。汗が出てきたなら、熱も直ぐに下がりますよ」 そう言いながら、悟空の着替えを少年の部屋まで取りに出た八戒。悟浄は洗面室から、絞ったタオルを持ってくると、熱の所為で更に細ってしまった身体を支えながら、小さな背中を拭いていた。 「悟浄…ありがと」 気持ちよさそうに目を閉じている悟空に「がんばれよ」と、悟浄は小声の励ましを送った。 着替えを済まし、八戒の剥いてくれた林檎を、一欠けらだけ頬張ると、悟空は再びうつらうつらとし始め、二人は足音を忍ばせて、そっと寝室を後にした。 「悟浄、ちょっと三蔵さんのところへ寄りたいんですが、いいですか」 その声が、いつもと違う硬さを含んでいる事に、悟浄は気付いていたが、何も言わずに八戒の後を執務室へ向かった。 「三蔵さん、お仕事中に申し訳ありません」 訪れた青年に黒檀の机の向こうから、三蔵がちらりと視線を上げた。 「三蔵さん、悟空の事なんですが…」 最初に上げた視線だけで、無視を決め込もうとする三蔵に、逃げる間を与えずに八戒は、悟空の名を出した。 「何だ…」 渋々と返事を返し、けれど三蔵は顔を上げる事はしなかった。 「もう少し、悟空の身体を気遣ってあげてください。あんな部屋で寝起きをしていれば、身体を壊すのも当たり前です」 悟空の着替えを取りに、少年の部屋を訪れた八戒は、そのとても部屋とは呼べない場所に、怒りすら湧き上がった。 板張りの床に直に敷かれた薄い布団。小さな窓は隙間風でカタカタと震えている。暖をとる手段は何もなく、夏ならまだしも冬の寒さで、身体をおかしくするのは容易に想像できた。 「んな事はお前に言われる筋合いのモンじゃねぇ」 「そうですけど、現に悟空は寝込んでるんですよ」 「だから、俺のベッドを貸してやってるじゃねぇか」 「そんな問題じゃないでしょう!三蔵」 声を荒げた八戒に、すっと三蔵が顔を上げた。途端、彼はその紫暗に射抜かれたように、動けなくなった。 そして、怒りを滲ませた三蔵の声が響く。 「ここはな、くだらねえしきたりや、バカくせぇ伝承やらが呆れるほどあんだ。何も知らねぇくせに、余計な口挟むんじゃねぇよ」 そうして今度こそ、話は終わりだとばかりに、三蔵は目の前の書類に視線を落とし、彼らが部屋を出るまでその顔が上がる事は無かった。 「八戒、これ以上は何言っても無駄だろ。帰るぞ」 「…分かりました。お仕事の邪魔をして、すいませんでした、三蔵さん」 ぱたんと静かに扉が閉じて、二人の足音が完全に聞こえなくなると、三蔵は無言で席を立ち執務室を後にした。 廊下を渡り、三蔵はその扉を静かに開いた。 奥から小さな呼吸が聞こえる。ゆっくりと歩み寄ったそこに、赤い顔をして忙しない息を吐く、彼の養い子が横たわっていた。 金鈷から微かに覗く額には汗が光る。 三蔵は自ら冷水に浸したタオルを絞ると、そっと汗を拭った。途端、ひくりと瞼が震えて、金瞳が姿を現す。 「さん、ぞ?」 「起こしたか」 高熱で赤く腫れてしまった眦を優しく拭いていくと、ひんやりとした心地よさに悟空の顔が綻ぶ。 「きもち、い…」 嬉しそうな悟空の言葉に、三蔵の目が細められる。一度タオルを浸し、再び小さな額に乗せると、柔らかい胡桃色の髪をそっと梳いた。 「ごめんなさい…」 消え入りそうな謝罪の言葉に、三蔵の手が止まった。 「それは何に対しての、ごめんなさいだ」 「熱出して、三蔵に…めい、わく…かけ、た」 最後の音は涙と共に紡がれた。喉を鳴らしてしゃくりあげる悟空に、嘆息して、 「なら、余計な気を使ってねぇで、さっさと治せ」 何も知らない他人が聞けば、眉を顰めるようなその言葉も、悟空には十分すぎるほど、三蔵の優しさが感じられて、涙に濡れた金瞳を瞬かせこくりと頷いた。 「寝ろ」 三蔵の手がゆっくりと動いた。 それは悟空が小さな寝息を零すまで続き、落ち着いた呼吸になる頃、三蔵はそっと寝台を離れた。 『もう少し悟空の事を…』 廊下に出て煙草を咥えながら、八戒の言葉を思い出した。 「てめえに言われるまでもねぇよ」 紫煙と共に吐き出した言葉を、吹き抜ける寒風がさらっていった。 数日後、一軒の家の扉がノックされた。 出迎えた青年は一瞬、驚いたように固まったが、刹那にこやかにその人を迎え入れた。 「先日は失礼な事を言ってすいませんでした。三蔵さん」 香りのよい紅茶を振るまいながら、素直に非を詫びると、 「あの時は、三蔵。だったがな」 その抑揚の無い声に、思わず苦笑を零し、それから向かいの席に腰を下ろした。 「あの…ところで今日は何か」 「明日から説法に出掛ける。帰りは早ければ三日。遅くても五日後には戻る。それまで…猿を預かれ」 人にモノを頼む態度では、とても無いけれど、八戒は内心とても驚いていた。あの三蔵が他人の事で頼み事をするなど、はっきり言って想像すらしなかったからだ。 「預かるのは構いませんが…その」 「悟空は明日、俺が連れてくる」 「あ…そう、ですか」 この時、八戒は先日の自分の言葉が、本当に余計なお節介だった事を知った。 考えていないのではない。 彼は十分過ぎるほど、悟空の事を思っているのだ。お世辞にも「禅僧」とは言いがたい三蔵が、文句を言いながらも仕事をこなすのも、全て悟空を守るため。少年に対する、厳しすぎるほどの躾も、僧徒の侮蔑の目を逸らすためだったと、今なら分かる。 「悟空も、あちらに居るよりは、気が楽かもしれませんね」 この人には敵わなくても、せめて彼の居ない寂しさを、紛らわす事ぐらいは、自分たちにも出来るだろう。 それ以上の事は必要ないと、八戒は感じた。 話が済むと三蔵は腰を上げ、玄関へ歩き出す。その背を見送りに出た八戒に、ちらりと視線を向け、 「今、奥向(おくむき)の離れを直している。片付いたら、悟空はそこへ移す。裏庭から直接入ってこられるから、お前らも寺のバカに気を使う事ねぇだろ」 煙草に火を点けながら呟いたその言葉に、八戒は彼の本質を垣間見たような気がした。 「三蔵さん…先日は、本当に申し訳ありませんでした。余計な事を言って…」 「忘れた…嫌な事は、直ぐに忘れる質なんでな」 ああ、この人は何て不器用な人なのだろう。 三蔵の背中を見つめながら、八戒は心の中で呟いた。 けれど、悟空は知っているのだ。彼の優しさを。だから、あんなにも無邪気に、全てをこの人に預けて笑っている。 自分たちには到底立ち入る事の出来ない、強い強い絆が二人にはあるのだ。 「三蔵さん、あの…」 「その、「さん」はよせ。俺は三蔵だ」 そして、気まぐれに彼の優しさは、自分たちにも向けられるのだ。 八戒は遠ざかる背中を見つめながら、もはや彼には聞こえないだろう、低く呟いた。 「貴方の愛情は全て、悟空に注がれてるんですね。三蔵」 見上げた空に光る太陽が少年と重なった。 「さて、それじゃ悟浄を起こして、明日の食料を買出しに行きましょうか」 確実に訪れる、賑やかな時間を思って、八戒がくすりと忍び笑いを漏らした。 「ごじょーっ!起きろーっっ!!」 「ぐえぇぇぇ」 「起きたか?」 自分の上で能天気な笑顔を見せる太陽の少年に、悟浄はげっそりとした顔を見せた。 赤と緑の青年が住まうこの家に、金の台風が上陸して三日目の朝。 悟浄は枕元の時計を見て、途端深いため息を吐いた。 『カンベンしろよ、早起きの坊主じゃあるまいし…』 「悟浄早く起きろって、今日は天気がいいから、布団干すって八戒が言ってるんだぞ」 ベッドの上に上半身を起こし、どこか遠い目をする悟浄を、現実に引き戻す元気な声。 結局、『起きろ攻撃』に撃沈された悟浄は、のろのろとベッドを降り、悟空は上掛けを丸めると、うんしょと一声部屋を出て行った。 「元気は元気なんだけどな…」 後に残された悟浄は、窓越しに庭へ出て行く悟空を眺めながら、目覚めの一本を大きく吸い込み、 「どう見ても…カラ元気ってか」 紫煙と共に呟いた。 「あーっ!それ、俺の春巻き」 「早いモン勝ちだ」 「うー、八戒ぃ〜悟浄が俺の春巻き取った」 「お前なぁ、誰ん家に厄介になってんだよ」 食卓の小さな戦争。 箸を握り締めて、恨めしそうな悟空の前で、悟浄が大口で春巻きにパクついた。 「大丈夫ですよ悟空、まだたくさんありますから。それに三蔵から、悟空の食費を頂いてますからね、悟浄に遠慮は入りませんよ」 「ホントッ!!」 「マジ?!」 正反対の二人の顔に、八戒が笑みを零す。 何を言っても、今ここに居る全員が、この食事を楽しんでいる事は、疑い様も無い。けれど、時にその楽しすぎる時間が、仇になる事を八戒と悟浄は知っていた。 だから、食事が終わってすぐ、悟浄がふらりと出て行ったのを、八戒はあえて止める事はしなかった。 夜半を過ぎて静かに開いたリビングのドアから、ひょいと悟浄が顔を出した。 「お帰りなさい」 「ああ…」 後ろ手にドアを閉め、反対の手には大きな包み。 「今日は間に合わなかったか」 「ええ」 早ければ三日という約束は、叶わなかった。 仕方ないと分かっていても、少年の小さな背中が容易に思い浮かんで、悟浄も八戒も目を伏せる。 「コーヒ…でも入れましょうか」 「ああ…んじゃ猿の様子でも、見てくっか」 「お願いします」 再びドアが開いて、そっと閉じた。 戸口から中を覗けば、ナイトランプに浮かぶ、丸まった布団。 悟浄は嘆息して、そっとベッドに近付くと、 「ガキはさっさか寝ろよ」 言いながら、しかし布団を剥いだ。 「何すんだよ、寝らんねぇだ―― ぶっ」 奪われた上掛けを取り返そうと身を起こした途端、ばふんと顔に柔らかい衝撃を受けて、 「痛てぇなっ!」 実際、痛くなどなかったが言葉の勢いは止まらず、悟空は抗議の声を上げた。 「夜中に大声出すな、それでも抱いて寝ちまえ」 「なんだよ、コレ」 押し付けられたモノをしげしげと見つめて、けれどじわりと悟空の鼻の奥が熱くなった。 それは、真白のクマのぬいぐるみ。仄暗いランプの明かりでも分かるのは、紫色の丸い瞳。 「ごじょぉ…」 「早く寝れば、早く朝が来る…だろ」 「…うん」 自分を見下ろす、緋色の瞳がベッドへ促す。素直に横になって、しっかりとぬいぐるみを抱きしめた。 「悟浄、ありがと…おやすみ」 「ああ」 目を閉じたのを見届けて、悟浄はそっと部屋を出た。 昼間、元気に振舞っていても、やはり離れた寂しさは、隠しようも無くて、悟浄と夕食の買い物に出掛けるその背中を、八戒はため息と共に見送った。 窓から差し込む夕日が、部屋を茜色に染め上げ、静かだったそこにベルの音が鳴って、その玄関先に立つ彼に、八戒は安堵の笑顔を見せる。 「お帰りなさい。お疲れ様でした」 むっつりと中へ入る少年の待ち人。その横顔に浮かぶ微かな疲労の色は、仕事の過酷さか、はたまた養い子の身を案じているのか。 迷わずリビングへ向かう突然の来客に、 「悟空は、悟浄と買い物ですよ」 八戒の笑いを含んだ声が響いた。 いつにも増して勢いよく玄関のドアが開いたのは、きっと悟空だから。 駆けてくる足音だって、ほら、とても軽い。 そうして、リビングのドアが開いた。 「ドアは静かに開けろと、いつも言ってるだろ」 「お帰りなさい、悟空」 少年が抱えている忘れられた荷物を取って、八戒はキッチンへ向かい、後から入ってきた悟浄は、ちらりと二人を見てそのまま八戒の後を追った。 「……さんぞ」 震える声は続かず、蜂蜜色の瞳が見る間に潤んだ。 嘆息して三蔵は、けれど自ら立ち上がり悟空へと近付く。 「遅くなった」 一言告げて、その涙が溢れだす前に、そっと胡桃色の頭を抱き寄せた。 「ふぇ…おか…ひっく…りな、さい」 「ああ」 堰き止めていたものが一気に溢れだす。 この時ばかりは、三蔵も何も言わなかった。 離れている間、ずっと聞こえていたのは、寂しさを懸命に耐える養い子の声。 縋りつく震えた背中をあやすように擦り、髪を梳いた。気の済むまで、何度も。何度も。 「八戒、悟浄、お世話になりました」 「はい、どういたしまして」 「また、来いよ」 夕食の膳を囲った四人。 悟空の心からの笑顔に、三人の大人も目を細めた。 寺院へと帰る二人を見送りに、玄関まで出た八戒と悟浄に、行儀正しく頭を下げた悟空はにっこりと笑い、先日悟浄から貰った、クマのぬいぐるみをしっかりと抱えた。 「世話になった」 その一言で、くるりと踵を返し歩き出す三蔵の後ろを追いかけて、一度二人を振り返ると、大きく手を振って、 「八戒悟浄、ありがとっ!」 三蔵と共に帰って行った。 寺院までの道のりを、悟空はひたすら話し続け、三蔵は時折小さく頷き、けれどその手は互いをしっかりと握りしめていた。 「お帰りなさいませ」 「済んでいるか」 「は、それが…」 出迎えの僧徒と小声で会話を交わす三蔵を、離れたところで待っていた悟空は、ふと抱きしめていたぬいぐるみに視線を落とした。 離れていた時とは違う寂しさ。 けして自分が入ることが出来ない領域を感じて、悟空は小さく息を吐いた。 「悟空、行くぞ」 その声に顔を上げれば、三蔵はすでに歩き出していて、悟空は慌てて後を追いかけた。僧徒の前を通り過ぎる時、ちょこんと頭を下げて。 「三蔵、どこ行くの?部屋こっちだろ」 「黙って付いて来い」 渡り廊下を抜けて辿り付いた離れの入り口で、三蔵は悟空にその扉を開かせた。 広いその部屋の奥、大きな窓を背に見知った黒檀の机が納まっていた。 「ここ…」 「新しい執務室だ」 それは以前の部屋よりも大きく、脇にはソファとテーブルまで置かれていた。 「奥が寝室だ、見て来い」 「うん…」 言われるままドアを開けて灯りを点ける。 執務室よりは狭いけれど、窓は床まであって、そのまま中庭へ出る事が出来た。 悟空はカラカラとガラス戸を開けて夜空を見上げ、くしっと鼻を鳴らした。 自分と三蔵の違いを見せ付けられた様で、心が沈んでいく。 気が付けば三蔵が横に立っていた。 「いい部屋だね…」 搾り出すように言えば、三蔵からは意外な言葉が返ってきた。 「気に入ったか」 「…三蔵?」 訳が分からず、首を傾げて彼を見上げる。 「ここが、今日からお前の部屋だ…俺とお前のな」 悟空は金瞳を見開き、震える声で呟いた。 「だって…ベッド、三蔵の…」 寝室に置かれているのは、先日、熱を出した自分が寝かされていた三蔵のベッド一つ。 「お前のベッドは、間に合わなかった。今夜は…寝相が悪けりゃ、蹴り落とすからな」 心臓が止まるかと思った。 そして、悟空は今日二度目の盛大な泣き顔を晒し、呆れながらけれど三蔵は、優しくその頭を撫でた。 「さんぞ…ありがと……いっぱいいっぱい、ありがと」 「ここなら、坊主の目もそんなに気になんねぇだろ。お前はお前らしく居ろ」 「うん……はい」 そうして、同じ夜具にくるまって見たのは、とてもとても幸福な夢。 その後二人の訪問者によって、「新婚部屋」と称されたこの部屋に、狂気の轟音が響いたのは、言わずもがな。で、ある… 花淋的、三蔵悟空同棲突入編。 そしてお揃いのベッドカバーとか使っちゃうのよ(39PleasureRush「冬のひまわり」) 私の書く話は、サイト内全部ひっくるめて、どっかの話と微妙に繋がってるんで、 その辺で、楽しんでもらえると嬉しいなぁ〜 |