てぶくろを買いに

 この頃、三蔵が優しい…いつもだって、俺には優しいけど、それがもっと優しくなる。
 一人で先に行っちゃう事もないし、俺が黙っていれば必ず、声を掛けてくれる。
 そして、俺は気付くんだ。
 
 また――
 あの季節が来る…

「おい八戒、まだ着かねえのか」
「もう直ぐですよ」
「ったく、寒くてやってらんねえよ」
 車の前と後ろで何度となく繰り返される会話。この時期、さすがに屋根のない車は応える。俺はマントに顔を半分近く埋めて、悟浄と八戒のそれを、ぼんやりと聞いていた。
 寒いのは俺も一緒。でも、身体が硬くなるのは、それだけが理由じゃない。
 分かってても、この強張りが緩む事は、無かった。
「おい、悟空寝るなよ。死ぬぞ」
 一言もしゃべらない俺の頭を、悟浄が軽く小突いた。
「寒くたって、寝ねーよ!」
 言い返した声は、普通に聞こえたかな。
「お子様なんだから、寒くねえだろ。子供は風の子だろうが」
「誰がお子様だっ!ざけんな、エロ河童」
「いい度胸じゃねえか、このクソチビ猿」
 ムキになってにらみ合いながら、続く限りの悪態を並べ挙げる。
 果てしなく続くと思われた、三蔵曰く「低レベルなケンカ」は、八戒の「町が見えてきましたよ」の一言で一旦終了した。
 そして俺は、あれと思う。
『三蔵が怒らない』
 普段なら、あれだけのケンカを始めれば、俺にはハリセン、悟浄には鉛玉が飛んできてもおかしくないのに。
『怒ってるわけでもないのになぁ』
 その時の俺は、まだ呑気にそんな事を考えていた。
 そして宿屋の受付から戻ってきた、八戒の手には鍵が四つ乗っていた。
「今日は、個室しか空いてないそうです」
「いーんでねえの、たまには一人でゆっくりするのもよ」
 悟浄はそう言って、さっさと鍵を取ると、自分の荷物を抱えて宿の奥へ入っていった。
 俺は八戒から鍵を受け取ると、悟浄を追いかえるように、部屋へ向かった。
 本当を言うと、今日はみんなと一緒の部屋が良かったと思うけど、それは俺のわがままだし、
「大丈夫、みんな近くに居んだから」
 自分を励ますように声に出してみた。
 
 部屋に入ると、温かい空気が凍えた身体を、抱きしめるように気持ちいい。
 荷物を部屋の隅に置いて、窓へ寄る。外は夕闇がその紫を濃くして、風の音がガラスを叩いた。
 俺はギュッと目を瞑って、勢いよくカーテンを引いた。

――大丈夫、怖くない…まだ降ってない

 ドアをノックする音に、叫びだしそうな程驚いて、思わず自分を抱きしめた。
「悟空?食事に行きますよ」
 聞こえてきた声に、膝の力が抜けた。
「う、うん…今いくよ、八戒」
 一度大きく息を吸って、ノブへ手を掛ける。
 食堂へ行けば、三蔵と悟浄は相変わらず煙草を咥えて、でも食事が始まっても、三蔵は何もしゃべらないでただ、箸を動かしていた。
 俺はそれだけが気になって、それ以外の事には全く、気が回らないでいた。

 その頃、町を覆う低い雲が、銀色の光彩を放って湿った空気を、吐き出していた。
 そう、三蔵は気付いてたんだ。
 風呂に入って、体があったまって、俺は冷蔵庫の中の缶ビールを、一本だけがぶ飲みした。普段なら三蔵に怒られるけど、こういう時は一人部屋に感謝だよな。
 空き缶をゴミ箱に投げ捨てて、そのまま布団を被った。
 何度かごそごそと寝返りを打ちながら、いつの間にか俺は瞼がとろんと下がって、そのまま眠っていた。

「ん…さむ」
 手探りで布団を探すうち、意識がすっかりと浮上して、俺は渋々目を開けた。寝る前、温かかった部屋はすっかり冷え込んで、起こした上半身が寒さで震えた。
 暖房の温度を上げようと、仕方無しにベッドを出て、外がいつもより明るいように感じた。ぺたぺたと窓辺に寄って、僅かに開けたカーテンから目に飛び込んできた光景に、俺は立ち尽くして、声を上げることも出来なかった。
「あ…あ…」
 掴んだカーテンを離すことも出来ない。
 足は床に縫い付けられたみたいで、目を瞑る事だって出来なくなっていた。
 ただ震えて、苦しくなって、声が出ない。
 呼びたいのに、呼べない。
 お願い、届いて。俺は閉じる事の出来ない瞳の奥に、必死にその人を思い浮かべて、ありったけの思いを込めた。
『三蔵!』
 
 背後で静かにドアが開いたのに気付く事もなく、俺はだた心の中で三蔵を呼びながら、震えたまま立ち尽くしていた。




 ベッドへ横になったものの、寝付くことが出来ずに、俺はただ天井を見上げていた。
 昼間の猿の大人しさ、そして近付くそれに気分が苛付いて、
「冗談じゃねぇ…」
 起き上がって煙草を咥える。
 紫煙を吐き出しながら、カーテンを微かに開ければ、とうとうそれは降ってきやがった。
「くそっ」
 悪態を吐いて外を睨みつけ、ただ、猿が起きなければいいと思った。
 だが、そんな思いとは真逆の自分が居る事も、俺には分かっている。

 呼べばいい、俺を――

 お前が呼ぶから、傍に居てやる。
 たとえそれが口実であっても、二人で居る理由には十分だから。

 全てを白に変える雪を怖がる悟空。
 こんな日に、お前を一人にしたくないと言うのは、隠しようのない事実だ。
「湧いてんな…大概」
 強くなれと言っておきながら、それを許せない。きっと、手を掴んでおきたいのは…その時だった。
『三蔵―!!』
 不意に響いた、音無き声。そして、ゆっくりと口角が上がる。
「遅えんだよ、呼ぶのが…」
 俺は足音を立てずに、部屋を抜け出した。
 静かにドアを開ければ、予想に違わず、悟空は窓辺で固まっていた。
『朝は一度じゃ起きねえクセに、何だってこういう時ばっかり…』
 内心で一人ごちて、けれど小刻みに震える身体がどうにもやりきれず、背後から手を回して、カーテンを硬く握り締めていた指を、一本ずつ解いていく。すっかり冷たくなった細い身体を抱き上げてやると、漸くその視界の中に俺を映した。
「悟空…」
 どんな言葉でもない。ただ、名前を呼んでやるだけ、今は一人では無いのだと、分からせてやるだけだ。
「お前は、一人じゃない」
「さ、んぞ…」
 答える代わりに、共にベッドへ入りその身を抱きしめた。
 氷のように冷たい頬へ、口唇を押し付け、背中を擦ってやると、次第に強張りが緩んでくる。そして聞こえて来るのは、すすり泣く声。
 
 一人ぼっちの悲しみ。
 癒えない傷。
 
 悟空の心を蝕むそれは、けして浅いものでは無い。それなのに、このバカはそれを誰にも打ち明けずに、一人で我慢しようとする。
 確かに、弱い奴は要らないと言ったのは俺だ。だが、それを自分の前でまでやられるのは、癪にさわる。なんとも矛盾した話だがな…
 はっきり言って、悟空の涙は堪(こた)える。
 けれど、俺は慰めの言葉を知らない。抱きしめてやるしかないのだ。
 名前を呼んで、抱きしめてやるしか…
 しゃくり上げが収まってくると、悟空は涙に濡れた金瞳を向けた。
「落ち着いたか」
 頷きながらも、再びじわりと浮かんだ涙を、吸い取ってやる。
「大丈夫だ…」
 落ち着かせて、安心させて、暖めて。漸く泣き濡れた頬に、悟空は微かな笑みを乗せた。
「…平気だ、と…思った…んだ」
 でも、ダメだった。最後の言葉はほとんど空気と同化して、けれどしっかりと俺の耳に届いていた。
「焦る事は無い。お前のペースで、クリアして行けばいいんだ」
「でも…」
 詰まる声を、背中を叩いて促してやれば、
「それは、我が侭になる…」
 と、小さく続いた。
 俺は内心で嘆息し、普段からそれくらい気を使えばいい。と。少しだけ場違いな思考に陥った。
「本当に、厄介な猿だな…」
 俺の言葉にびくりと肩が震える。
「そういうのは、我が侭とは違うんだよ」
「え…」
 見上げたいつもの間抜け面に、安堵する自分が居る。
「だが、お前がそれを我が侭だと言うんなら、それでも構わねえ」
 一度言葉を区切って、まだ冷たい頬を挟み込むと、
「それくらいの我が侭は…聞いてやる」
 大きく開いた金瞳から、大粒の涙が湧き上がる。縋り付いて、今度こそ悟空は、声をあげて泣いた。

 けして悟空の泣き顔を見たいわけじゃない。
 だが、こんなにも無防備なコイツは、俺の中だけに閉じ込めておきたい。
 打ち消す事の出来ない感情。

 悟空が泣く理由も、笑う理由も自分でありたい。
 
 それは狂気にも似ている。
 最初に手を差し伸べたのは自分。だが、囚われたのはきっと俺の方だ…
『我が侭を聞いてやる』
 自分でも信じられない言葉だが悟空という存在は、確かに俺の何かを変えた。不思議と不快ではなく、それを受け入れる事に抵抗は無かった。

「さんぞぉ…」
 腕の中の小猿が顔を上げた。いつもの金瞳は赤が濃い。
「わが…まま…」
 涙を止めようと、瞬きを繰り返す幼い仕草に、自然と頬が緩む。
「言ってみろ」
 囁くように問うてやれば、はにかんで口を開いた。
「傍に、居て…」
「それだけか?」
「俺を…見てて」
「それから」
「………離さないで」
 じわりと心が熱くなった。
 聞きたかった想い。言わせたかった言葉。
 だから、悟空――答えてやるよ…
「ああ…離さねえよ」

 降り続く雪のように、想いは深くなる。
 けれど、それは雪のように、融けて消えてしまうわけではない。
 いつまでも、互いの心に――



 昨夜の雪は西への足を止め、降ってわいた余暇に、四人は何をする事も無く一日を過していた。ただ、部屋だけは個室から、二間続きの部屋へ変わっていた。何も言わないが、八戒も悟浄も、悟空を心配しているのは、三蔵と一緒だった。
「あれ、三蔵は?」
 ほんの少し部屋を出ていた悟空が戻ってくると、そこに三蔵の姿は無く、のんびりと煙草をふかす悟浄と、白竜の毛づくろいをする八戒の二人だけ。
「ああ、三蔵ならさっき出て行きましたよ。煙草が切れたと言って」
 ストックがありますよ。と言った八戒に、気晴らしだと告げて、珍しく自分で買いに出かけたのだと言う。
「そっか…」
 普段であれば一も二も無く飛び出していく悟空が、逡巡する様子を二人は黙って見ていた。が、
「俺、追っかけてくる」
 顔を上げた悟空が、いつもの笑顔でいるのに、二人の目元が緩む。
 気をつけて。と、送り出した背中を見ながら、
「愛は勝つ。ってか」
 ちょっぴり的外れな悟浄の呟きに、八戒はくすりと笑みを零した。

『今度は自分で出て来い…悟空』
 その言葉に突き動かされて、飛び出した最初の一歩は、たくさんの中の一つになった。けど、
 まだ少しだけ、引きずってる。
 悟空は宿の軒先で、じっと地面を睨んでいた。
 雪は上がった。目前には、光の洪水のように、陽の光が反射しいる。それは三蔵の様にも見えた。
「この先に、居る…」
 姿も気配も見えないけれど、悟空には三蔵が、自分を待っているように思えた。
 そして…
 小さな雫を弾かせて、真白の世界へ飛び込んでいった。


 乱反射する光の渦に目を細めて、三蔵は煙草に火を点けた。
 我ながら、馬鹿なことをしていると思う。
『煙草なら買い置きがありますよ』
 八戒の言葉にどうして、あんな風に答えたのか…
『気晴らしだ…』
 目的の物は買った。では何故、自分は宿へ帰らず、こうして待っているのか?
 待つ――誰…を?
 紫煙を吐き出し、短くなったそれを踏み消すと、冷たい大気を深く吸い込む。その時、彼の口角が、微かに上がる。
 聞こえてくるのは、音無き声。
「煩せー猿…」
 だが呟いたその顔は、酷く穏やかだった。
 
 そして――
「三蔵ーっ!」
 
 ああ、いつもの悟空(お前)だ…

 その瞳も、声も、全て自分だけに向けられる。
 一直線に駆け出して、三蔵の数歩手前で悟空は地を蹴った。
「三蔵!さんぞー、さんぞー!」
「煩せえよ、人の名前を、安売りすんな」
 懐に飛び込んできた愛し子。自分を見上げる顔は晴れやかで、頬を紅く染めながら、金の双眸に太陽を宿していた。
「よく、来られたな」
「うん…」
 三蔵はただ、胡桃色の頭を一撫でした。言葉は要らない。
 子犬のように頬をすり寄せる悟空を抱きしめる。
「三蔵…」
 ありがとう。と、続くはずの悟空の言葉は、少し冷たい仄かに苦いそれで塞がれた。

 雪につけた足跡は、すぐに消えてしまうけど…
 二人で歩いてきたその道は、けして消えはしない。









おお、悟空視点で始まったのに、最後こんなでイイのだろうか…
「てぶくろを買いに」…実際に、悟空は手袋買わなかったけど、たった一人で人間の町へ行った子狐と、一人で行かせた母狐。その二匹の勇気と、悟空を信じた三蔵と応えた悟空。共通するかなぁ…なんて思ったりして。
でも、今度は元気に雪合戦する悟空も書いてみたいvv
花淋拝