ぬくもり〜三蔵ver.〜


「出て行け!二度とその花を、俺の前に持ってくんじゃねえ」
 感情に任せた辛辣な言葉は、まだ幼い悟空を傷つけるには、十分だった。
「…めん、な…さい」
 搾り出すような声が背後で聞こえ、それから気配が消えた。

 悟空は何も知らない。だから、何も悪くない。頭では理解していても、その花を見た途端、自分を失った。
 床には悟空が落としていった、一輪の紅い彼岸花。
 忌まわしい、赤の記憶。

『春の彼岸は自然を尊び、秋の彼岸は亡き人を偲ぶ。とされているんですよ』

 微笑みを浮かべて語った、あの方の顔を思い出す。
 けれど、到底偲ぶ事など、出来るはずが無かった。
 あの日思い知ったのは、己の無力さだけだ。その紅く染まる師の背中が、あの花と重なった。
 笑顔でそれを差し出した悟空に、無性に腹が立った。が、だからと言ってそれが、傷つけていい理由にはならない。
 俺はその花を拾い上げると、部屋を出た。頭に響く姿無き声を頼りに、裏山へと足を向けた。
 悟空の落としていった花の道標は、立ち枯れた巨大な古木の前に散乱していた。
 子供がやっと一人入れるくらいの隙間の奥から、小さなしゃくりあげの声が聞こえる。
「悟空…」
 意を決して呼びかけると、中で微かに気配が動いた。
「悟空、出て来い。俺は入れねえぞ」
 だが一向に出てくる様子は無い。仕方無しに、俺は太い幹に背を預け、口を開いた。
「出てきたくなかったら、そこで聞いてろ」
 そして、今まで誰にも聞かせなかった、自分の過去を話し出した。

 自分の事をべらべらと話すのは好きじゃないが、俺はこの時、悟空にありのままの自分を見せる事に、何の抵抗も無かった。

「この花は彼岸花と言って死者に手向ける花とされる。その花を見て自分を失った、俺はまだ、光明の死を受け入れられねえんだ」 
 そこまで話して、深く息を吐いた。
 と、小さく土を踏み締める音がして、涙と泥で汚れた顔が覗いた。
「悟空」
 名前を呼んだ途端、大粒の涙を零しながら、俺に飛びついてきた。
「ごめん…ごめんなさい、さんぞぉ」
 小さな身体を抱きしめて、背中を擦ってやる。
「お前が悪いんじゃねえ」
「ううん、俺…三蔵、悲しくさせた…お師匠様の事…」
 尚も言葉を続けようとする悟空を抱き上げて、涙を拭ってやる。
「もう、泣くな…帰るぞ」
「ん…」
 軽い身体を抱き上げたまま、夕焼けの中を歩いた。


「…ぞ、三蔵」
 肩を揺すられて薄く目を開けると、普段より濃い蜂蜜色の瞳が覗き込んでいた。
「三蔵、こんなとこで寝てると、風邪引くぞ」
 何を言われているのか、一瞬分からなかった。
 悟空の向こうに広がっている彼岸花の群に、漸く頭が回ってきた。
「夢…か」
「三蔵?」
 首をかしげて自分を見る悟空の顔が、幼い時のそれと重なる。変わったのは、髪の長さくらいか。
「三蔵、なぁどうしたんだよ」
 法衣を引っ張りながら聞いてくる仕草は、あの頃と何にも変わっちゃいない。構わずに立ち上がり歩き出した。
「何だよ、待てよ三蔵!」
 むくれた顔で、追いかけてきた悟空が隣へ並ぶと、俺を見上げてきた。
「何だ」
「さんぞ、もう平気か?あの花」
 猿はくだらねえ事ばかり、憶えてやがる。金瞳に浮かぶ不安の色に、思わずため息が漏れた。
「いつまでも憶えてんじゃねえよ、嫌なら来ねえ」 
 そう言って懐から出した煙草を咥えた。
「そ…っか」
 それっきり何も言わずに俺の後を付いて来る。
 触れ合っているわけではないのに、悟空から伝わるそれは、いつの間にか当たり前に在るもので、柔らかく俺を包み込んでいる。

 まだ ————
 あの人を偲ぶ事は出来ないけれど、あの花を見ても、心が乱れなくなったのは、きっと…
「お前が、居たから…か」
「え?何か言ったか、三蔵」
 無意識に声になった言葉は、吐き出した紫煙と一緒に、夕焼けの空へ融けていった。



ぬ、ぬくもってナイ?
悟空が居る事に、ほんのちょっとだけ感謝した、三蔵サマ