crossroad




 幹線道路は、今日も真っ赤なテールランプに埋め尽くされて、空を行く鳥さえも霞んで見える灰色の空気。
 ひしめく車の脇を涼しげに通り過ぎる青白のツートンカラーのバイクは、都心の一等地にそびえる高層ビルの前で止まった。

「こんちはー、ピジョンサービスでっす」
 人懐っこい笑顔と声に気付いて、すでに顔見知りとなった彼らは、笑顔で少年を迎え入れた。
「おや悟空、来てたんですか」
 カチャリと開いた奥のドアから見慣れた顔が現れる。
「八戒、今来たとこ。え…と、慶雲商事からコレ預かって…き、た…」
 持っていた書類ケースを示しながら、しかし悟空の視線は八戒の後ろから現れたその輝きに、完全に奪われてしまった。
 窓から差し込む陽光をそのまま吸い込んで、尚眩いその金は清んだ音色さえ聞こえてきそうで、けれど何より悟空の目を惹きつけたのは、きっと少年が知る中で最も美しい菫色の瞳。
「俺の顔に、何か付いてるか」
 声に驚いたのは他でもない八戒だった。自分が知る彼は、初対面の人間に自ら話しかけるような事を、けしてしない男のはず。
【もしかすると面白い事になりそうですねぇ】
 そんな事を思っていれば、最後に現れた長身のその人も同じ事を感じたのか、八戒を見てその口元を微かに上げて見せた。
「よ、お二人さん、なぁに見つめ合ってんの」
 茶化す声にじっとりと目を眇めたのは金の人。
「あ、あ…ごめん、なさい」
 悟空は慌てて視線を逸らし俯いて、けれどその耳はほんのりと薄桃色に染まっていた。
「悟空、紹介しますね。今度この第一開発部の主任になった、玄奘三蔵です」
 僕と悟浄と同じ大学なんですよ。そう付け加えて、八戒はいつもの笑顔を見せる。
「三蔵、彼は社が専属契約してるメールサービスで、うちの担当についてるアルバイトの孫悟空君です」
 八戒の言葉に、悟空は少しだけ顔を上げ、はにかんだように小さく笑った。
「初めまして…孫悟空です」
 それを黙って眺めていた三蔵は、微かに口の端を上げると、
「……猿みてぇ」
「え?」
 一瞬、何を言われたのか理解できずに、悟空は声の主を見やった。が、彼はさっさと自分のデスクにつくと、他の一切に興味は無いと言った風に、手元の書類に向かってしまった。
「あ…の」
 呆気に取られた悟空に、八戒は困ったように笑い、
「気にしないでくださいね、あの人はああいう人なんです」
 取り繕うその言葉の後、少しだけ声を潜めてこう続けた。
「でも珍しいんですよ、三蔵の方から声を掛けるのって」
「そ、なんだ」
 不躾な自分の視線に気を悪くしたのではと、気にした悟空は八戒の言葉に胸を撫で下ろした。
「っと、これ慶雲商事の書類。じゃ俺、まだ渡すとこあるから」
「はい、ご苦労様でした」
 茶封筒を渡し次の部署へ向かう悟空を、八戒が思い出したように呼び止めた。
「帰りに寄ってくださいね、悟空の好きな杏仁豆腐がありますから」
「分かった!ありがとう」
 明るい笑顔で手を振る。そんな少年を自分のデスクから、ちらりと目の端に捉えて、三蔵は再び書類に意識を落とした。


 メールサービスのバイトでそこを訪れる度に、その人は何時も忙しそうに書類に目を落としていた。
 初めての日から、何度か会話を交わすことはあったけれど、何時もなんだか怒っているような感じがして、もしかして嫌われてるのかな。などと、思っていたある日の事。
「ああ、悟空ナイスタイミングです。大至急、届けていただきたいものがあって」
 自分の顔を見た途端、八戒らしいと言えばらしいその笑顔に、一抹の不安を感じながらも「届け物」の中身を聞かされた悟空は、しばし固まり妙な間を置いてから漸く口を動かした。
「その…玄奘さんを、届ける…の」
「そうです」
「俺はモノじゃねぇ」
 悟空の問いに、彼の両側から両極の声音が響き、次いで背後からは大爆笑。
「悟浄、笑ってる場合じゃないんですよ。事は急を要するんです、お願いします悟空。この時間はどの道も大渋滞で、それなのにこの人ってば電車は絶対に乗らないなんて、我が侭言うんです」
「おい何だ、その我が侭ってのは」
「我が侭じゃないですか、いい歳して電車も乗れないなんて」
「え?電車、乗れないの?」
「てめぇ、人にケンカ売ってんのか」
「三蔵、悟空を怖がらせてどうするんですか。貴方は届けてもらうんですよ」
「だから、俺はモノじゃねぇっつてんだろうが」
「いいから、急いでください」
 完全に自分とは別次元で会話を続ける二人に着いて行けず、困ったように間に立つ悟空の後ろから、大きな手が少年の頭をくしゃりと撫でた。
「悟浄、あの」
「ココはいいから、お前はバイクの準備しとけ」
「う、うん…」
 頷いて愛車へ向かう悟空だが、その足取りは…重い。


「悟空、お願いしますね」
「ん…あの、いい…ですか?」
 スーツ姿にヘルメットという奇妙な格好の三蔵は、悟空の背後で黒い空気を纏っていた。問い掛けにヘルメットの奥から、くぐもった声で早く行けと突付かれ、悟空は肩を竦めてバイザーを下げた。
「気を付けて、三蔵、悟空。行ってらっしゃい」
「頼むぜ、悟空」
 八戒と悟浄に見送られ、悟空は今まで一番厄介な届け物を背に、アクセルを踏み込んだ。通いなれた道が、普段の倍以上に長いと感じながら。

 幹線道路と平行して続く裏路地を、一台の二人乗りバイクはイラついた車のクラクションを聞きながら、軽快に進んでいた。車では間違いなく間に合わない急な会議、もしかしたら電車より早く目的地へ着いたかもしれない。
「間に合いますか?」
「上出来だ」
 バイクを車道の脇へ寄せ、悟空はそれに跨ったまま後ろを仰いだ。
 三蔵は脱いだヘルメットを悟空へ渡し、無造作に髪をかき上げる。そんな仕草に顔が熱くなった。
「おい、今日はこれで上がりか」
「え?あ、あ…はい、そうです」
 不意に声を掛けられ、心臓がドキドキと派手な音を立てる。悟空の上ずった声を変に思いながらも、三蔵は話を続けた。
「終わるまで、そこらで待ってろ。メシくらい奢ってやる」
 あまりの出来事に、悟空が返事を返せないでいると、嫌なら別にいい。と、低い声が言った。
「い、嫌じゃないっ!…あ」
 大声で答え、それに加えて三蔵のスーツを握り締める。慌てて手を離し、真っ赤になって俯いてしまった悟空の頭に手を乗せ、
「待ってろ」
 一言だけ告げると、くしゃりと髪を撫で数歩進んでから、思い出したように振り返った。
「悟空」
 名前に反応して顔を上げると、綺麗な放物線が描かれる。
「会議中は使えねぇ、ついでにお前の番号入れとけ」
 自分の手中に納まった携帯電話と、彼の顔を交互に眺め、そして、
「うん!」
 悟空はこれ以上ないくらいの笑顔を浮かべた。
 ビルの中に三蔵の姿が消えていった後、ガードレールに腰掛けて走る車を眺めながら、
「初めてだよな…名前呼んでもらったの」
 呟いた途端、恥ずかしさが込み上げて顔を真っ赤にしながら、三蔵が預けていった携帯を握り締めた。

 それから、相変わらずその人は忙しそうで、でも時々リラックスルームでコーヒーをご馳走になったり、勉強を見てくれる様になった。「バカ猿」というオマケも付いたが。
 「玄奘さん」と呼ぶと、「三蔵でいい」と言われ。言葉遣いはいつもキツイけれど、なんとなく擽ったい気分になり、気付かぬ内に悟空の中で彼に対する淡い想いが、少しずつ膨らみ始めていった。


 俺、どうしちゃったんだろう…
 自分でもおかしいと思うほど、三蔵のことが気になって仕方ない。彼の一挙一動が目に留まって、けれどまともに視線が合えば、不自然に逸らしてしまう。
 会えば嬉しいと思うのに、どんな顔をすればいいのか分からない。いつものように配送の書類を受け取りに八戒の元を訪れた時、その場に彼が居ない事に、寂しい自分と安堵する自分が居た。
「じゃあこれ渡して、いつもみたいにサイン貰ってくればいいんだね」
「いいえ、サインはいりませんよ。今日はそれで最後ですから、そのまま上がってください。もう直ぐ試験でしょう、しっかり勉強してくださいね」
 にっこりと言われ、悟空は曖昧に笑って鼻の頭を掻いた。その時身支度を整えた三蔵が現れ、悟空は一瞬で顔を強張らせた。
「これからですか」
「ああ、終わったらそのまま、上がる」
「分かりました」
「あ、あの八戒、それじゃ行って来るな」
「ああ、はい。気をつけて、お願いしますね」
 逃げるように二人の前から離れた悟空の後姿を眺めながら、八戒は三蔵の顔を伺った。
「何かありました?」
「…さあな」
 いつもより低いその声が、彼の機嫌の悪さを物語っていた。

 バイクを走らせながら、胸の痛みがどんどん大きくなっていくのを、悟空ははっきりと自覚していた。
 仕事を終えて自宅へ向かう途中、反対車線に止まった車から出てきた三蔵を偶然見つけた。けれど、彼は一人ではなく、後ろから現れた黒髪の女性を見た途端、体中の力が抜けた。不機嫌な顔は相変わらずだったが、彼の態度から二人の親しさが伝わってきた。
「綺麗な人だったな…」
 そうだよ、あんなにカッコイイ人なんだから、恋人がいたっておかしくない。
 その瞬間、不意に視界が歪み次に見えたのはありえない空の景色、激しい衝撃を全身に受けながら、ああ、そうか。と、気付いた。

―――― 俺、あの人が好きだったんだ…

 ゆっくりと沈んでいく意識の中で、最後に見えたのは彼の顔だった。



「……ぁ」
「悟空!」
「おい、大丈夫か悟空」
 ぼんやりと開いた視界に、見知った顔が二つ。頭を巡らせようとして、全身に走る痛みにうめき声を上げた。
「無理しないでください」
「はっ…かい…俺、ど…したの」
「バイクですっ転んだんだよ、お前らしくねぇ」
 心配と呆れを含んだ悟浄の言葉に、鈍い頭を働かせて悟空は、ひとつひとつ思い出そうとした。
「本当に、知らせを貰った時は、心臓が止まるかと思いましたよ」
 お母さんとも連絡が取れましたから、直ぐ来ると思いますよ。そう続けた八戒は、座っていた椅子を少しだけベッドへ寄せて、
「何かありましたか?…三蔵と」
 名前を聞いた途端、別の痛みが胸に生まれ、悟空は顔を歪めた。
「悟空?」
「別に…何も、ない…よ」
「何もないって、顔じゃないけどな」
 二人が心配してくれているのは痛いほど分かる。けれどこの気持ちだけは、誰にも告げてはいけない。
「ホントに何でもないんだ…心配かけて、ごめん…」
 口唇を噛む悟空に、これ以上はなにを聞いても答えが返らないと感じたのだろう、二人は互いに小さく息を吐いて、苦く笑った。
 そんな時、急に騒がしくなった廊下の気配に、八戒が腰を浮かせた時、
「悟空っ!」
 病室に飛び込んできた人物に、その人も含めその場の全員が固まった。


「随分早かったですね、三蔵」
 最初に八戒がクスクスと笑い出し、次いで三蔵が渋い表情を見せた。悟浄は病室の隅で肩を震わせ、そして悟空は…悟空はただ、瞬きもせずに、その蜂蜜色の瞳を見開いていた。
 音もなく立ち上がった八戒と入れ替わるように、三蔵が枕元へ立つ。
「どうなんだ、具合は」
 その声は初めて聞く、優しい、けれど心配を含んだ色。
「少し前に目を覚ましたんです。幸い骨折もないし、脳波にも異常は無いとの事ですよ」
 その途端、三蔵の顔から強張りが消えたのを、悟空は信じられないような面持ちで見上げていた。
 何故、この人がそんな顔をするのだろう。自分はただのアルバイトで、特別親しい訳でもない。
 それなのに…
「ど、して…」
 真っ直ぐ自分を見つめる深い菫色の瞳はあまりに綺麗で、閉じ込めていたはずの感情を、引きずり出される様な気がした。
「俺…」
「八戒から連絡をもらった時…目の前が真っ暗になった」
 静かに紡ぎだされる言葉に、ただじっと耳を傾けた。
「どうしてなんて、こっちが聞きたい。こんな…バカで、大喰らいで、脳天気な…どこにでも居そうな猿」
 言われた事に反論も出来ず、悟空はしかしその金瞳を逸らしはしなかった。
「信じらねぇけど…気付いちまったんだよ」
 すっと三蔵の手が、悟空の頬へ伸び包み込んだ。触れる手は暖かくて優しくて、何度も何度も撫でられ、悟空の鼻の奥がつんと熱くなる。
「気付いちまった ――― お前が…何よりも大切なんだよ」
 目の前の顔が滲んだ。ぼやけた視界の中で、頬を撫でる感触だけが、彼の言葉が嘘でない事を悟空に知らせていた。
「…ふぇ…さん、ぞ」
 三蔵の言葉だけが何度も頭の中で繰り返す。足音を忍ばせて、後ろの二人が出て行ったことも気付かなかった。
「おれ…す、きって…気付い…でも、女の…ひと…さんぞ、いっしょ…」
 言葉を続ける悟空の口唇に、三蔵の指が触れた。溢れた涙は大きな手が拭ってくれた。
「俺が女と居るのを見て、一人で廻ってたのか…やっぱりバカ猿だな」
「だって…」
 その先を塞いだのは熱くて柔らかい感触。目の前いっぱいに広がる金に、大きな瞳は更に開いたまま、ゆっくりとそれが離れていっても、悟空には何が起こったのか分からず、身体は硬直したまま。
「二度は言ってやらねぇからな」
 そう告げると、そっと悟空の耳元に囁きが落ちた。
 ぎこちなく動いた視線の先にある穏やか三蔵の笑みに、悟空の瞳から再び大粒の涙が零れ落ちる。
「さんぞ…俺も」
 痛む身体を動かして手を伸ばせばそっと握り返された。
 
 囁きの合間に交わされる口付けに、悟空は嬉しそうに微笑み、三蔵の指は胡桃色の髪を愛しげに何度も梳いていく。そんな二人だけの甘やかな時間を、闇夜に光る月だけがいつまでも静かに照らしていた。


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「FASCINATION」 志桜 紫乃魅様のサイト開設二周年をお祝いして、献上させていただきました。
リーマン三蔵に高校生悟空のパラレルです。
書いていて自分が楽しんでいました。
紫乃魅様、これからのご活躍をお祈りいたします。
おめでとうございます!
なお、コチラは紫乃魅様のみお持ち帰り可です。
花淋拝