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a soft voice…
真夜中に目が覚めた。
仄昏い天井に、自分がどこに居るのか分からずに、二、三度目を瞬いて頭を覚醒させた。
西への旅路。立ち寄った町の質素な宿。
ゆっくりと頭を巡らせ、隣のベッドにその人を見つけた途端、すごく安心した自分がいる事を感じた。それは同時に、目覚めた事で忘れてしまった夢が、辛いものだった事を伝えた。
そして、眠る前の会話を思い出す。
「何度言やぁ分かるんだ、バカ猿。寝る時は灯りを落とせ」
「やだっ!」
「この…」
「今日は…やだ」
二つのベッドに挟まれた、ナイトテーブル。
ライトの灯りを消す消さないで、三蔵と言い合いになった。寝る時に灯りが点いているのを、三蔵が嫌う事は悟空も知っている。けれど、今日だけは、暗闇の中で眠るのが嫌だった。
「ごめん三蔵、今日だけ…お願い」
「ふざけんな!何ガキみてえな事言ってやがる」
「じゃあ、俺が寝るまで。直ぐ寝るから、そしたら消していいから」
自分を見上げるその瞳にあるのは懇願。そしてその瞳に三蔵が弱い事を、悟空は知らない。
「勝手にしろ」
「ありがとう三蔵。すぐ、寝るから」
もぞもぞと自分のベッドに潜り込む悟空をねめつけ、三蔵は何を思ったのか声を掛けた。何故、灯りを消すのが嫌なのか、と。
「……怖いんだ…今日は月が出てないから…」
そう言われて、窓から外を見れば、夜空に星が光ってはいるが確かに月の姿は無い。
「朔か…」
呟いて視線を悟空へ戻せば、申し訳なさそうに身体を丸めて俯いている。その姿を苦々しく眺め、
「さっさと、寝ちまえ」
いつもと変わらぬ厳しさで言い放つと、自分は彼に背を向け、身体を横たえた。
「ん…ありがとう。おやすみ、さんぞ」
そんな言葉と衣擦れの音が背後でして、部屋は静かになった。
それから暫くすると、悟空の寝息が微かに聞こえてくる。三蔵は向きを変えて彼を見、その顔がいつもと変わりない事を確かめ、自分も目を閉じた。
ライトの灯りは、そのままにして――
「点けといてくれたんだ…」
無音で呟くと隣に眠る三蔵を見た。
いつも厳しい彼が、時折り見せる優しさに、悟空の口元が綻ぶ。我が侭を言ったのは自分で、それに対して常のようにハリセンが飛んできても、文句は言えなかった。それが無かったのは、三蔵が悟空の不安を感じ取ったからだ。
「分かっちゃったのかな…」
ポツリと呟いたその視界が、ふいに歪んだ。溢れる出る涙に驚き、布団に顔を押し付けて必死に嗚咽を堪えた。
その時だった。
「バカ猿、泣くくらいならさっさと来い」
思いも寄らなかったその声に顔を上げると、隣から呆れたように三蔵がこちらを見ていた。
「さん…ぞ」
震えた声で彼を呼ぶと、来いと短い返事が返り、悟空はベッドを飛び出した。
そこは暖かく、嗅ぎ慣れた煙草の匂いが、悟空を包み込んだ。抱きすくめられ、大きな手があやす様に背中を撫でると、瞳から溢れるそれはいよいよ止まらなくなった。
三蔵は何も言わず、ただ悟空が泣き止むのを待った。
月の無い夜に、大地の子が感じた恐怖。
それは…失くしてしまった遠い過去か、孤独に怯えた五百年の時間か。
だからと言って、そんなものにこの腕の中の存在を渡すつもりは、三蔵には爪の先程も無かった。
悟空は、俺が手に入れた、唯一のもの。
三蔵がそんな事を考えていると、腕の中で悟空が動いた。
「さんぞう…」
向けられた瞳には、まだ涙の粒が残っている。それを指で拭ってやると、悟空は少しだけはにかんだ様な笑みを浮かべた。
「何をそんなに、恐れる」
その言葉に、悟空の瞳が曇ると三蔵は安心させるように、大きな金目に口唇を寄せた。
啄むように口付けを繰り返し、最後に色を失った口唇を塞いだ。永く…深く…
そして、漸く三蔵のそれが離れると、また悟空の瞳にじわりと涙が浮かんだ。
「泣くな…俺は、消えたりしねえ」
涙が溢れる。けれど、それは三蔵の言葉の所為。
三蔵は気付いていたのだ。悟空が何を恐れていたのか…欠けていく月に、己の姿を重ねていた事を。
ったく、救い様がねえ、バカだな…
「俺が、信じられねえのか」
紡がれた言葉の柔らかさに、悟空は涙に濡れた顔を横に振る。
「信じてる…三蔵を…信じる」
その声は震えてはいたが、悟空に怯えの色は見えなかった。強張っていた体が緩み、擦り寄ってくる愛し子を、三蔵は再び抱きしめた。
「眠れ」
小さな頭を己の胸に引き寄せ、眠りを促す。悟空はそこから伝わる鼓動を聞きながら、ゆっくりと眠りの淵を降りていった。
翌朝、眩しさで目が覚めた悟空は、自分を見下ろす暖かい紫暗を、笑顔で受け止めた。
それを見た三蔵の目がすっと細くなり、大きな手が悟空の頭を撫でた。
「起きるぞ」
「うん」
「ひゃー今日も、ピーカンだな〜」
「腹減ったぁ〜」
数日後の車中、そこにはいつもと変わらない風景が在った。
精神年齢が同じな猿と河童。それを受け流す笑顔の保父と、ハリセンと銃で黙らせる有髪の最高僧。
そして、一時の休みを取る為に止まった湖の畔で、三蔵は悟空を呼んだ。
「何?三蔵」
「あれが見えるか」
澄んだ空を指差す。悟空はその先を追っていき、そして小さく声を上げた。
「月ってのはな、何時もそこに在るんだよ」
青空に浮かび上がる白い月は、夜空に浮かぶそれよりも儚げで、けれど確かにそこに存在していた。
『消えたりしねえ』
三蔵の言葉が蘇る。悟空はそっと彼の法衣を摘んだ。
「ありがと…」
三蔵はふんと鼻を鳴らすと、乱暴に悟空の頭をかき混ぜた。
「猿頭で、ろくな事悩んでんじゃねぇよ」
「何だよ、猿って言うな!」
そんな他愛ないやり取りを、離れた所から眺めていた仲間は、
「俺たちの事、ぜってー忘れてるよな」
「あてられちゃいますね」
呆れた口調ではあったが、その顔に浮かぶのは笑顔だった。
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