今はまだ、この胸の奥に…


 この時期、年越しと新年の準備に追われ、三蔵の機嫌は連日氷点下のままで、寺院中の坊主が「触らぬなんとか」状態で、本当にどうしてもやむを得ずな時以外は、けして執務室へ近付く者は居なかった。
 そんな中、ただならぬ空気を感じながら、久しぶりに訪れた二人の友人を、悟空はぎこちない笑みで出迎えた。
「なんだか、落ち着きませんねえ」
「ごめんな、この時期はいつもこうだからさ」
「ま、寺にしてみりゃ稼ぎ時だからな」
「悟浄…過激な発言は控えてくださいね」
「へーへー」
 ここがいくら三蔵と悟空の住まう私室だとしても、どこで誰が聞いているか分からない。何気ない一言が、実は目の前の少年を悪戯に傷つける要因となる事もあるのだ。
 そうして八戒は、テーブルの上に持参した菓子を並べ、
「三蔵はずっと、仕事ですか?」
 紅茶を注いだティーカップを、悟空へ差し出しながら尋ねた。
 それを受け取りながら、そうだ。と、応えた少年のどこか寂しげな表情に、八戒だけでなく悟浄までもが内心で嘆息した。
「ずっと、執務室で…寝に帰ってくるだけ…」
 ぼそぼそと呟く悟空の丸まった背中を見て、年上の友人は無言で頷きあう。
「悟空、ちょっと席を外しますね、悟浄と遊んでてください」
 悟空の返事も待たずに、八戒はさっさと部屋を出てしまい、
「八戒、どしたの?」
 と、首を傾げる悟空に、悟浄はただ笑って煙草を咥えるだけだった。

 暫くして部屋に戻った八戒の開口一番が、
「悟空、お泊りの準備をしましょう」
 だった。
 訳が分からず、悟空は大きな金瞳を更に開いて、固まっている。
 そんな少年を横目に、八戒は手際よく悟空の着替えをカバンへ詰め始め、悟浄も帰り支度を始めた。
「は、八戒。お泊りって…俺、三蔵に」
「大丈夫ですよ、三蔵のお許しはもらってますから」
「え…さんぞ、いいって言ったの?」
 展開の速さについていけず、結局悟空はされるがまま、数分後には執務室の扉を叩いていた。
「さんぞ…あの」
 扉の前でもじもじと立つ悟空を呼び寄せ、三蔵は向かい合うように自分の膝の上に座らせた。
「ホントに、泊まりに行っていいの?」
 自分が寺院を留守にするとき以外は、絶対に外に泊まる事を許さないのを知っている悟空は、不安そうに三蔵の顔を見上げた。
「あまり、あいつらに無理言うんじゃねぇぞ」
 悟空の後ろ髪を撫でながら、金瞳を覗き込む。その柔らかい口調に、漸く悟空の緊張が解けた。
「ぅん…じゃない、はい」
 はにかむ笑みに、三蔵の紫暗がすっと細くなる。
「新年の祈祷が終わったら、迎えに行く」
「はい」
 頷いて、けれど小さな頭を、こつんと三蔵の胸に預けた。
「どうした」
「…早く、来てね」
 きゅっと抱き付いてきた愛し子を、三蔵も抱き返す。
「夜更かしすんじゃねぇぞ」
「はい」
「菓子は食い過ぎんな」
「はい」
「寂しいって、泣くんじゃねぇぞ」
「三蔵もね」
「言ってろ」
 くすくすと笑い合いながら、そっと口付けを交わす。
 悟空を立ち上がらせ、共に扉へ向かうと、開く間際にもう一度重ね合わせた。



「おーっチビ猿、八戒の手伝いは、はかどってっか」
「チビ言うな!エロ河童」
「にゃにを〜」
 ぐりぐりと拳でこめかみを挟まれ、悲鳴をあげる悟空だが、痛がってる様子はなくむしろ面白がっている様である。
 それは悟浄も同様で、彼らにとってはコレがスキンシップみたいなもので、もっともこの場に最高僧が居れば、標的になる事が確実な、これもまた「鬼の居ぬ間のなんとか」だった。
「腹減ったなぁ〜今日のメシ何?」
「まだ準備中だよ、何でそんなに帰ってくんの早いんだよ」
「今日はカモが居なかったからだよ」
 リビングで交わされる会話を、キッチンで聞いていた八戒は、サラダを盛り付けながら小さな笑みを零した。
 赤髪の青年の優しさは、自分が一番よく知っている。
 
 寂しくないように。悟空が、笑っていられるように…
 
 トレイを持って、いまだ兄弟のようにじゃれあう、大きな子供と小さな子供の前に立った。
「お待ちどうさま。いただきましょう」
「「おーっ!」」
 見事にハモった二人の声に、八戒はただ微笑むばかりだった。


「なぁ悟浄。悟浄ってさ、ずっとここで一人だったのか?」
「あー、まぁ一人だった時もあれば、ダチが転がり込んでた時もあったぜ」
「ふ〜ん…」
「何だよ」
「やっぱ、誰かと一緒に居んのって、楽しい?」
 大掃除も終わり、後は年越しを向かえるだけになった大晦日、何気ない会話の展開から先の話になった。
「そりゃお前、誰も居ない部屋に帰ってくんのほど、侘しいモンはないぜ」
「誰も居ない…部屋」
 悟浄の言葉に、不意に悟空の脳裏に浮かんだ、たった一人の大切な人。
「明かりの点いた、あったけー部屋で、『お帰りなさい』なんて言われりゃ、それほど嬉しいもんはねぇだろ」
 そう言って、悟浄はちらりと視界の隅の八戒を捉え、彼の耳が赤く染まっているのを見て、僅かに口の端を上げた。
「俺!帰る」
「悟空?」
「おい?」
 勢いよく立ち上がった悟空を、驚いたように眺める二人は、扉へ向かおうとする悟空を引きとめ、
「どうしたんですか?いきなり」
「そうだぜ、お前。だいたい今、帰ったって」
 二人の慌てた様子に悟空は、真剣な表情になって、
「だって、三蔵に『お帰りなさい』って言わなきゃ」
 見上げた金瞳に退かない意志が宿っていた。
「三蔵疲れて帰ってくるんだ。俺…あったかい部屋で、三蔵のこと待ってたい」
「悟空…」
「おし!ジープ悪りぃけど、ひとっ走り寺まで頼むぜ」
(キューッ!)
「悟浄…」
 見下ろす緋色の瞳が軽くウインクするのを、悟空は飛び切りの笑顔で受けた。
 そんな二人を八戒は目を細めて眺め、悟空の上着を取った。



 指の先は冷え切って冷たさも感じない。重い身体を引きずるように、三蔵は本堂からの渡り廊下を私室へ歩いていた。
 年を跨いだ祈祷。あと数時間もすれば日の出を迎え、再び読経の繰り返しとなる。
 三蔵は足を止めて、廊下を中庭へ出た。空気は冷たく、渡る風に身を切られそうになる。部屋へ戻る気にはとてもなれなかった。
 今更ながらに感じる、悟空が居ないという事を。
 
 喧しくて、手がかかって、食い意地がはって、泣き虫で、甘えたがりで…それでも、笑顔は眩しくて。
 その笑顔に幾度となく癒されて、いつしかかけがえの無い存在になっていた。
 人の温もりなど煩わしいだけ、優しさも必要ないと思っていたのに…
 数年前に拾った小さな生命は、自分が張り巡らせたどんな壁もすり抜けて、心の一番奥に棲みついた。
 追い出すにはすばしっこくて、放っておいたら…愛しさで一杯になった。
 あの小さな身体の中に、溢れるほどの愛を抱えて、自分の前に現れた ――― 悟空
「大した拾いモンだ…」
 呟いたその顔はいつになく穏やかで、三蔵は冷たい大気を深々と吸い込んで、踵を返した。

「灯り…」
 闇に覆われた奥向(おくむき)の私室から、もれ光る灯りに無意識に早くなる歩調。そんなはずがないと思いながら、期待している自分に自嘲の笑みが零れる。
 そして、静かに扉を開ければ三蔵を包み込むのは、温かい空気と…何よりも望んだその笑顔。
「お帰り、三蔵」
 飛びつくその身体を受け止めて、三蔵はしかし、綻びそうになる顔を引き締めて言った。
「何故、ここに居る」
 低いその声に、えっとと詰まって、
「三蔵にお帰りなさいって、言いたくて…」
 法衣の襟元をきゅっと掴んで、悟浄があったかい部屋でお帰りなさいって言われるのは嬉しいって、言ってたから自分もそんな風に三蔵を迎えたかったのだと、恥ずかしそうに告げた。
「それからね…明けましておめでとう、三蔵。今年もよろしくお願いします」
 一番に言いたかったんだ。頬を薄紅に染めた輝く悟空の笑顔に、三蔵も柔らかく微笑む。
 あんなに冷たかった身体が、重かった心が、たった一人の存在でこんなにも、温かく軽くなる。
 そんな気持ちを何と呼ぶのか、それはあの雨の日に置いてきた、捨てたはずの言葉 ―――
 
「おい…」
 ずり落ちそうな身体を慌てて支えれば、悟空は幸せそうな表情を浮かべて寝息を零していた。
 抱き上げて自分のベッドへ寝かせると、その隣に横になる。もそりと動いて、まるでそこが定位置のように、三蔵の胸に擦り寄った悟空。
「バカ猿」
 呟いた声は甘く闇に融けて、三蔵はゆっくりと微睡みに身を預けた。


 自分の心に、確実に育っていくその想いを、大切にしたいと素直に言える。
 いつか告げるその日まで、花を咲かせるその時まで、共に在り続ける事を誓って ――――



(C)2005 karing/Reincarnation






 皆様、新年明けまして おめでとうございます。
 昨年はたくさんの温かいお言葉の数々、本当にありがとうございました。
 世間では、暗いニュースが多いですが、今年もReincarnationは200%ラブ甘三空で、走ってまいります!
 新年最初の更新は、お年賀freeです。
 それでは、今年も花淋とReincarnationを、よろしくお願い致します。

2005/1/1 花淋拝