時々、貴方が分からない事がある。

 それが悲しい時もあるけれど…

 嬉しい時の方が多いから…

 言葉にはならない、貴方のトクベツ ――――



〜 僕 だ け の ト ク ベ ツ 〜





 夜空にぽっかりと浮かんだ銀月。
 空気さえ凍ってしまいそうな冴え冴えとした夜は、耳が痛くなりそうな静寂を生んで、聞こえるのは自分たちの微かな息遣いだけ。
 こんな静かな夜は滅多に無くて、包まった毛布から覗く顔が外気に触れて少し痛いくらいだけど、なかなか眠る気にはなれない。
 そうやって悟空はじっと、息を殺して夜空を見上げていた。
 仲間は眠っている。今日も昨日も派手な戦闘だった。疲れは貯まる一方で、狭い車中で身体を折り曲げて寝るのが、さらに疲れを増長する事は分かっているから。みんなの眠りを妨げないように…
「吸い込まれそう…」
 心の中だけで呟いて、今日に限ってなかなか訪れない睡魔を恨めしく思いながら、そっと悟空は視線を地上へ戻した。
 青白く浮かぶ地表は水底の様で、そこかしこに名残りの雪が硬く凍って、ぼんやりと月を映していた。
 少し前の自分なら、とても平静ではいられなかっただろう。
 本当は今も、少しだけ緊張する。けれど、心が乱れなくなったのは、ここに居る仲間のおかげだと悟空は思う。
 何より、貴方の一言が今でも勇気を与えてくれる。

―――― 今度は、自分で出て来い…悟空

 それはけして消えない灯となって、絶えず自分を照らして、暖めて…
 思いながら悟空は、くすりと忍び笑いを漏らした。


 三蔵に拾われてから、初めて迎えた冬。
 雪が怖いと訴えた自分に、
【ガキは雪見て喜ぶのが、普通だろ】
 ああ、そういえば彼も悟浄と同じ事を言ったんだっけ。
 それでも、動けないでいるとあの人は、そっと自分を抱きしめてくれた。
 それから毎年、雪が降った最初の日は公務を休んで、ずっと傍に居てくれた。
 長い冬の間のたった一日。けれど悟空にとっては「トクベツ」な一日。


 ついと動いた視線の先に、月明かりに白く光る金糸。
 冷たい印象を与えるそれが、見た目よりずっと柔らかい事を悟空は知っている。きっと、自分だけ…
「俺だけの…トクベツ」
 それは本当に微かだったのに、しっかりと空気を震わせた様で、
「早く寝ろ」
 ぴくりとも動かずに返ってきた返事に、悟空は少し驚いて、それから口元を綻ばせて目を閉じた。
―――― おやすみ、さんぞ
 声にはならないそれは、しかし三蔵だけには届いていた。


 『個』に対する執着もこだわりも、感情すらも捨てたはずだった。
「それが、このザマか…」
 内心で一人ごちて、三蔵はゆっくりと目を開けた。
 背後から聞こえる規則正しい寝息は、顔を見なくても、穏やかな眠りである事が伺える。その事に自分が安堵しているのを、三蔵はもうかなり前から自覚していた。


 あれは、初めて見る悟空の表情だった。
【ヤダ…怖い、よ…ゆき…キライ…】
 小刻みに震える小さな肩が見ていられなくて、思わず抱きしめた。
 かたかたと怯える腕の中の悟空から、己へと伝わる恐怖。
 あの時、自分は確かに感じた。守らなければ、と ――――
 けして、偽善的な庇護欲からではない。純粋に、守りたいと思ったのだ、穢れ無き真白のごくうを。


 それがいつの間にか、心の一番深いところに在って、「特別」になった…
 今更、追い出すのも面倒。は、きっとただの言い訳。
 三蔵は苦く笑って、そして目を閉じた。






「ごくう…悟空…」
 小さく肩を揺り動かされて、悟空はうっすらと瞼を上げた。
「さん…ぞ」
 そこに濃い紫の瞳がじっと、自分を見ている。
「ど、した…の」
「起きられるか?」
 労わる様な優しい眼差しを向けられて、悟空の頭がゆっくりと覚醒する。
「ん…」
 こしこしと眦を擦っていると、やんわりとその手を止められ、
「あまり擦るな」
 吐息のような囁きに、頬が熱くなるのを感じた。
 三蔵の手を借りながら眠る二人を起こさないように車から降りると、一度伸びをしてから、三蔵を見上げる。
「少し付き合え」
 言葉と共に差し出された右手。
 それを断る理由など無く、悟空は嬉しそうにその手を握り締めた。
「どこ、行くんだ」
 凍る雪を踏み締めて白い息を吐きながら、二人は林を抜けて行く。
 やがて目の前に広がるのは、真っ白な ―――
「どこ?」
「湖だ」
 そこに広がるのは雪原と見紛うような広大な、しかし厚い氷に覆われた湖。流れを感じない、時が止まってしまった、水が眠る場所。
「ここに、何かあんの?」
 眠っている自分を起こしてまで、ここへ連れて来た三蔵の意図が全く分からず、悟空は小さく肩を竦めた。
「寒いか?」
「ちょっとだけ…」
 すると三蔵は悟空の後ろへ回り込み、小さな身体を抱きしめた。
「さんぞ」
 驚いたのは悟空のほうで、上ずった声に思わず三蔵が喉を鳴らす。
「わ、笑うなよ」
 背後で笑う気配に、悟空が頬を膨らます。
 三蔵は腕を緩める事無く、大気に冷えてしまった胡桃色の髪に、口唇を寄せた。
 身を寄せ合い、明るくなりだした空を見上げていると、不意に三蔵が悟空の耳元で囁いた。
「始まるぞ」
 意味が分からず、悟空が何をと、問おうとした時
――――ビシッ…
「何?」
 それは初めて見る。そして、とても荘厳な光景だった。

 地平線から昇る朝日を受けながら、湖を走る一筋の道。
 清んだ音を立てながら、生まれていく氷柱の道は金色に輝いて、悟空は目を細めた。
「御神渡りだ」
「おみわたり?」
「昔は、神が渡った道だと言われていたが。早い話が自然現象だ」
 それがあまりにも三蔵らしい答えで、悟空が小さく笑いを漏らす。
「何だ」
「ううん、綺麗だね」
「気に入ったか」
「うん」
 旅の途中の、こんなふとした三蔵の優しさが嬉しい。
 いつもは、「うざい」「面倒くせぇ」と滅多に自分から動く事はしないのに、悟空の変化に誰よりも聡いのは三蔵だ。特に冬の季節は…
 だからこそ、この真白の世界でも悟空は、気持ちを乱すことが無くなった。
 だがけして、それは三蔵の甘やかしではない。彼はいつも悟空を見て、一人では越えられそうに無い壁に突き当たった時だけ、そっと手を差し伸べる。
 救うのではなく、きっかけを与える。
 それは、鏡のような水面に、一粒の雫が落ちるくらいの些細な事ではあるけれど、波紋が広がるように悟空の心を満たしていった。
「三蔵、ありがとう」
「…まだ、先は長いからな」
「そうだね…」
 それから暫く、二人は何も言わずにただじっと、朝日を浴びながら光る湖面を眺めていた。

 様々な意味で、二人の旅は永い。終着点があるのかも分からない。
 けれど悟空は思う。
『三蔵と一緒なら…』
 
 そして、三蔵は思う。
『コイツが居るから…』


 昇りきった太陽を背に、仲間の元へ戻る。
 来る時は三蔵に手を引かれていた悟空が、今度は三蔵の手を引いている。
 はしゃぐ声はソプラノ、応える声は心地よいテノール。
 真っ白な世界を鮮やかに染め上げて、これからも続いていく。
 
 大切な「トクベツ」が ――――









テーマ「真っ白」
2月はバレンタインもあるから、そちらも考えたのですが、結局花淋得意の「エセしりあす」(汗)
すいません、この頃そんな気分なんです。
どうも「雪が苦手の悟空と、それを見守る三蔵様」に、萌え所が集中して…
元気に雪合戦する悟空も書いてみたいんですが…
こんなブツでも、皆様の中に何か残ればいいなぁと、それだけを願うばかりです。
しかし、御神渡りが起きるほど寒い日に野宿なんかできねーよ…先に自分でツッこんどこ(爆)
花淋


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