夏風邪をこじらせたじいちゃんは、余りに呆気なく逝ってしまった。
 火葬場の煙突から昇っていくそれを見送りながら、俺は悲しむ間もなく、ただ途方に暮れていた。


真夏の奇蹟



「悟空、そろそろ行きますよ」
「うん…」
 全開にしてあった窓を閉め、レースのカーテンだけを引いてから、悟空は大きなスポーツバッグを肩に掛け小さな遺影を胸に抱いた。 そして、ゆっくりと部屋を見回す。さして広くも無い部屋だが、思い出は溢れるほどあった。
「やっぱり、寂しいですか?」
「ちょっとだけね…でも平気。俺約束したから、泣かないって」
「約束?おじいさんとですか」
「ううん、太陽と…」
 そう言って笑った悟空が、それでも少しだけ八戒の目には、寂しそうに映った。

 八戒の運転する車に揺られながら、悟空はあの日を思い出していた。
 じいちゃんが死んで、葬儀屋が来て石屋が来て、小さい骨になったじいちゃんが両親の眠る墓に納まった。
 悟空はただ、そこから動けずにいつまでも墓前に立ち尽くしていた。
 気が付けば辺りは茜色に染まり始め、悟空は大きく息を吐いて、漸く顔を上げ歩き出した。山門を抜けて長い石段を降りて行く、微かに聞こえて来た賑やかなその音色に、不意に悟空の視界が歪んだ。

『じいちゃん、今年もお祭あるんだろ、一緒に行こうな』
 あれは、夏休みが始まる前に交わした言葉。
 決して裕福では無かったが、じいちゃんとの暮らしは悟空にとって、幸せな日々だった。

「約束は守れって…言った…じい、ちゃ…」
 足が動かず、石段に座り込んで膝の間に顔を埋めた。漏れてくるのは嗚咽、肩を震わせて小さくなって…じいちゃんが死んでから、初めて流した涙は止める事が出来なかった。
 その時だった、自分の上に影が出来た事で悟空は顔を上げ、そして…時間が止まった。
 目の前に太陽が降りてきたのかと思うくらいに、その人は、否その金糸は光り輝いていた。
「いつまでも泣くな…」
 言葉と共に大きなその手が頬の涙を拭った。
 悟空は瞬きすら出来ずに、その吸い込まれそうな紫暗の瞳に、釘付けとなっていた。
「一年間…泣かないと、約束できるか?守れたら、来年の夏祭りは一緒に行ってやる」
 それは魔法の呪文の様に悟空の心を虜にして、彼はこくりと頷いた。

 悟空はくすりと忍び笑いを漏らした。
 今になって思えば、とんでもない話だ。
 いきなり現れた、誰とも分からぬ人物との約束。
『一年間、泣かないでがんばる』
 その人は一体、何処でそれを確認するのだろう。そもそも自分とその人との関わりなど、悟空には皆目見当が付かなかった。
 名前も知らない太陽の様な人と交わした約束。
「でも、あれは不機嫌な太陽だったな」
 ポツリと漏らした言葉は、しっかりと音になっていたらしく、ミラー越しに八戒が何ですかと聞いて来ると、悟空は曖昧に笑って鼻の頭を掻いた。
「此処が、今日から貴方の家ですよ」
 案内されたマンションの一室。八戒の暮らす部屋の一部屋を宛がわれ、今日から新しい生活が始まる。
「とにかく、がんばりましょう。一年なんてあっという間です」
 そう言われて、悟空は気付くべきだったのだ、八戒の言う「一年」がなにを意味してたのか、けれどその時の彼はこれからの事で頭が一杯だった。
 何しろ、この半年で三流高校生の悟空は、名門の桃源大に入学しなければならないのだから。

 悟空の前に八戒が現れたのは、じいちゃんの初七日が終わった次の日だった。
「貴方の身元を引き受けた方の、代理で来ました」
 そう言って笑った翡翠の瞳は、とても穏やかな色をしていた。
 じいちゃんは自分の身にもしもの時は、自分の事を八戒の言うその人に頼んでいたらしく、一人で生きていくだけの糧を得るまでは、僕らの元に留まってもらいます。と、八戒は告げた。
 それを拒否する事は出来なくてお世話になります。と、素直に頭を下げた悟空に、但しと言って八戒が付け加えたのが、「桃源大学に入学する事」だった。
「大丈夫ですよ、勉強は僕らがしっかりと、面倒見ますから」
 安心してください。と、言われ悟空は黙って頷くしかなかった。
 かくして、八戒と悟空。それと八戒の恋人だと言う、悟浄という青年との奇妙な、共同生活がスタートした。
「なぁ八戒、俺の保護者?その人には会えないのか」
「ええ、彼は今とても忙しくて…彼も父親を亡くしたばかりで、会社の引継ぎなどで、世界中を行ったり来たりなんです」
 そんな大変な時に、赤の他人である自分の事まで気に掛けてくれた、八戒曰く「足長お兄さん」(まだ独身ですから、おじさんでは可愛そうでしょう。とは八戒の意見だが)の期待に応えるべく、悟空はそれこそ泣く暇も無く机に向かう毎日を送る事となった。
 
 太陽との約束だけを、心の支えにして ———



 その日は、去年と変わらず暑い日だった。
「やっぱ、まだ信じらんねえよ…」
 墓前に供えた線香の細い煙を追いながら、悟空は呟いた。
 彼はこの年の春、超難関だと言われた桃源大学の狭き門を通ったのだ。
「悟空ががんばった結果ですよ」
 と言ったのは八戒だが、正直彼と悟浄がいなければ、今の自分は在りえなかった。
「足長お兄さんからの伝言です。おじいさんのお墓参りに行くように、あとから彼も行くそうです」
 此処まで送ってくれた悟浄が、帰り際にがんばれよと言った言葉が、なんとなく引っ掛かるが、悟空はこうして一年間自分を見守ってくれた人物と、初めての対面を果たす時が来たのだ。

 そして、同じ様に茜色の空が近付く。遠くには賑やかな笛の音。
『来年の夏祭りは、一緒に行ってやる』
「俺が逢いたいのは、貴方なのに…」
 足長お兄さんには、感謝している。どれほどの礼の言葉を並べても、言い尽くせないほどの恩を受けた。けれど、この一年悟空を支えていたのは、太陽との約束。
 逢いたいと焦がれ続けたのも、太陽の様なその人。
 悟空は知らず知らず走り出していた。
 山門を抜け、石段を降りかけた悟空は思わず足を止めた。ゆっくりと上ってくるその人に、視線は縫い付けられたまま。
「何処へ行く気だ」
 目の前に現れたのは、あの日と変わらず少しだけ不機嫌な太陽。
「俺は、墓の前で待っていろと言ったはずだ」
 言われた悟空の視界がぼやける。
「泣かないと約束したのを、忘れたか」
 同じ様に頬に大きな手。悟空は小さく首を横に振って、添えられた手に自分のそれを重ねた。
「…っと、逢い、た…った…」
 溢れる涙は止まらない。彼は何も言わずに、そっと悟空の頭を抱き寄せた。
「夢…みたい」
「夢じゃねえよ」
「一緒に、お祭行ってくれるの?」
「ああ…約束だろ」
「来年も?」
「そうだな…」
「さ来年も?ずっと、一緒に居てくれる?」
「…居てやるよ」
「うん…」

 一年前の、あれは魔法の呪文だった。
 悟空は、抱きしめられた腕の中で、深い紫暗の中に幸福の奇蹟を見つけた。

「名前…教えて」
「三蔵…」
「三蔵…大好き」
 
 それは、真夏の太陽が叶えてくれた、決して解けない魔法。




パ、パラレルです…「夏祭り」をテーマに。
三蔵が一年も我慢するなんて、そっちの方が奇蹟です(汗)
でも、三空ですかねぇ?コレ…

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